第18話 スピード(下)
と、そのような事が起きている頃。
ルミナスはといえばエレベーターから降りて透視を使い、上へ上へと逃げる犯人の姿を見つけたので追い掛ける事にした。
本人もどうして良いかは分からないが、取り敢えず追い掛けてみよう、という程度の曖昧な動機でやっていたのだが。
「わっ!居た!」
「っ!」
やはり透視能力は強力で、あっという間に透視を使わずに姿を見れる距離まで近付けた。
しかし救助対象と鉢合わせして、向けられた最初の反応が睨み付ける鋭い視線とくれば、流石のルミナスでも怪訝に思う。
思ってすぐ、能力を使った事はプライバシーの観点を考慮しなければ、己の取れる手段の中で最良を選んだと言えるだろう。
「えっ……痣……」
「何故それを……!?ママ!」
誘拐犯を連れて被害者が階段を登る。
その様子を見送って、ルミナスは少し立ち止まった。
己の見たものを整理して、飲み込み、どうするべきか考える。
ただ現場とはそんな時間が許されるものではなく、程なくしてケイナインが現れた事で思案は終わりを告げた。
「犯人は何処に行ったの!?」
「えっと、上で──」
続く言葉を聞きもせず、ケイナインは階段を駆け上がる。
本来は関係者以外立ち入り禁止の階段は、このまま登れば外へ繋がる扉があるとケイナインも知っている。
そして大仰な翼が見掛け倒しでないのなら、そこから飛ばれると少し厄介な事になるとも考えていた。
『あの〜お話ししたい事がありましてぇ〜』
「後で、お願い」
『いやぁ、それが今話さないといけないので今話しますねぇ』
「お願い後にして……!今外に出た。あの忌々しい翼が見える」
そこは本来、整備などでしか立ち入る必要のない場所だ。
位置も高く風が強く吹けば、真っ逆さまに落ちてしまうのではないかと不安になる程。
そんな場所の端の端に、ケイナインが追う相手が居た。
『あの、ケイナインさん!重要な話だと思うんですけど!』
「今、犯人が目の前に居る……それより重要な事がある?」
『それより重要な事なんですよぉ!』
「なら、手短にお願い」
『その娘さん……シャーロットちゃんの身体には古いものから新しいものまで沢山の痣があるんです!なんかお母さんとも仲良さそうですし、もしかしたら酷い家から逃げ出した……とかじゃないかなぁ〜って』
「せめて自信を持って言って欲しい……」
ルミナスと会話をする為に、能力を使わずゆっくり歩いていたケイナインにシャーロットはようやく気が付いた。
後ずさろうとするが、それ以上下がる余地は無い。
「落ち着いて……貴女を捕まえようとしているわけじゃないの、シャーロットさん」
「分かっています……母を捕まえるんでしょう!」
「大丈夫、私の仲間──さっき会ったピンクの髪のヒーローが、貴女に虐待の痕跡があると教えてくれた」
「だから何!?ヒーローが何をしてくれるっていうの!?」
母にしがみつき、シャーロットはどうにかケイナインから距離を取ろうとするが、その足取りのひとつひとつが非常に危うい。
シャーロット自身もそうなのだが、何より彼女がしがみつく母の様子がおかしかったのだ。
足取りはおぼつかず、これだけ近付くケイナインを見ているようで見ていない。
「エドナ……貴女のお母さんは少し、朦朧としている。そんな場所に居ては危ないから、こちらに来て」
「そうして捕まえるつもりなんでしょう?大人はみんなそう……ママは何もしていないのに!偽の証拠で罪に問われた!」
「そんな事は起きない……今回は、違うと約束する」
「今更、信じられるとでも……?産まれてからずっと、何もかも決められてきた。死に方くらい、自分で決めたいの。お願いママ──飛んで」
ドラッグが切れてきたのだろう、ダラリと垂れた翼は萎びて頼りない。
それでも娘の願いに応えて、翼を広げて母娘は身を投げた。
「待って、待って──」
ケイナインの呼びかけ虚しく、羽根を散らしながら落ちてゆく。
翼は懸命に風を受け止めるが、効果が切れ掛けた状態ではまともに動いてくれはしなかった。
使ったドラッグが悪い訳でもない。
ただ単に、エドナとこのドラッグの相性が悪かっただけの事。
能力自体はまともなものだったが、一度の使用で意識が混濁する程度の耐性しか持たないエドナは効果時間も特筆して短いものだった。
効果も、風も受け止められずに母は落ちる。
唯一選べた終わりに満足げな笑みを浮かべた娘を抱いて。
それを朦朧としたエドナは見れてはいないだろう。
ただ促されるままに落ち、反応として翼を広げてみただけの事。
このまま続けても、落下までの先送りにすらなりはしない。
だが、その落下を見た者がひとり。
「っぐ……ロッティ……!」
展望フロアで這いつくばったブリンクが、大きな窓の外に落ちる影を見て、力を込めて床を叩いた。
痛みに揺れる頭をもたげ、窓の外を睨んで……跳んだ。
「ふぅ──ぐぁ!?」
テレポートの1回が、重く重く頭を揺らす。
ハンマーでも振り下ろされたような痛み怯み、目を閉じかけたブリンクを再起させたのは己の言葉。
「人を……助けなきゃ、ヒーローの意味がない!」
落下する2人を追い掛けブリンク自身も落下する。
そのままでは追い付けないと、細かく近付くテレポートを行いながら。
「ぐっ──っう……まだ!──もっと近付かないと」
頭は割れるように、焼けるように、弾けたように酷く傷むというのにブリンクは続け様のテレポートで追い掛ける。
そんな状態のテレポートでは上手く狙いを定められずに、助ける対象を巻き込まないようにと、余計に細かくテレポートせざるを得ない。
ひたすら痛みに耐えて、追い掛ける。
「う、おおお──おおおっ──もう少しっ!」
近付く地面。
このまま落ちれば避けられない死が待っている。
落下は根源的な恐怖を呼び起こす。
にも関わらず、ブリンクはただ無心で目の前の人間を助けようとだけ思考する。
痛みが考える為の余裕を奪っている、というのもあるのだが、それにも増して恐怖を押し除ける本人の意思の力が強かった。
あるいはそれは、必要な機能を麻痺させた異常者の行いでもあるが。
「ブリンクさん──?」
「掴んだよ!人を助けるのがヒーローだから!困ってるなら助けたいんだ!」
「離して!貴女まで巻き込みたくない!それに、このまま終われば私は!」
「それじゃあ君のお母さんが悪い人のままだ!君の守護天使なのに!それが誰にも知られないままなんて駄目だよ!」
地面まで1cm。
あとほんの少しの時間で墜死体が完成して赤い飛沫が広がった。
ただ実際はそんな事にはならず、落下する3人は姿を消す。
代わりに地面を数滴の涙が濡らしていた。
◆◆◆
「お疲れ様で〜す」
「お疲れ……」
と、救急車やパトカーが集まる様子を、展望フロアから眺めるルミナスが適当に言葉を放る。
それを受け取るケイナインも、自分の仕事のせいで酷い有様のフロアを見回し、適当に受け答え。
肩や首を回しながら、無事な椅子を見つけて腰掛ければケイナインの口からは深い、深いため息が飛び出した。
「ホントお疲れみたいですねぇ」
「貴女の
「ヒーローさん?」
「命を救った事は評価する。それだけはね」
「おやおや〜意外と優しいんだなぁ〜」
ケイナインはもうボロボロだった。
少なくとも展望塔の上から下まで降りる速度は、自由落下のそれより遅い程度。
マスクで隠れていない顔の上半分だけでも、疲労の蓄積が見て取れる。
「それで、どうだって?」
「ロッティが悲しむような事になったら、お前達は悪者だ!ですって。悪者になっちゃいますねぇ」
「酷い捨て台詞……舐めるなクソガキ、とでも返信しておいて」
「はいは〜い……あの子のアドレス知ってる事はもう、気にしないんですね〜」
「もう好きにしたら……?私は疲れた……マスクも邪魔」
ケイナインはマスクを外し、息苦しさから解放されて晴れやかな表情だ。
相変わらず眉間に皺は寄っているが、それでも幾分らくにはなっている。
「わぁ、ヒーローさんの素顔見ちゃったぁ」
「何?今更そんな事で舞い上がるの?というか貴女、透視があるじゃない」
「プライバシーありますし〜?見せてくれたって信頼の方が重要なんです!」
「服の下に隠れた虐待の跡に気付いておいて、よく言うもんね」
「あれはファインプレーじゃないですかねぇ?時と場合によりけり〜」
都合の良い事を言うルミナスだが、そんな柔軟さを持つ彼女はケイナインとは正反対で、だからこそコンビとしては適しているのかもしれない。
呆れた顔のケイナイン自身も、マスクを外している時点で満更ではないのだ。
「あのテレポーター、追ってみようとは思わなかったの?」
「思った事はありますけど……あんまり良くないなぁって」
「へえ、その好奇心は否定しないのね」
「そりゃあ謎の人助けヒーローは気になりますよぉ。でもちょっとだけ見て、後悔しちゃって」
「何を見たの?ああ、これは単純な興味よ。仕事じゃない」
「ネグレクト、されてるんじゃないかな〜って。ウチが服をプレゼントするまで、着古した男物しか着てなくて。ヒーロースクールに行かないのも、そんな理由かなぁって」
当たらずとも遠からず。
少なくともルミナスはそう納得し、ケイナインもそのようなものかと思える程度の説得力が無いわけではなかったし、それに同情する個人的感傷も持ち合わせている。
ともあれそれを口にするより、現実的な対応策の方を口にする性分でもあったが。
「なら、適切な行政の介入の出番じゃないの?」
「わっかんないんですよねぇ……ウチがどの程度出しゃばって良いのか」
中空を見つめながら、ルミナスはぼうっと口を開けて続く言葉が出ないか待つ。
ケイナインも疲れていたから会話の起点は預けきって、沈み始めた夕陽を眺めていた。
「ケイナインさんは?ウチ、ケイナインさんの話に好奇心いっぱいだなぁ〜!」
「別に、大したことないわ」
「それでも聞きたいなぁ〜聞きたい聞きたい!」
「何それ……私の何が聞きたいのか、せめて質問をして」
「なら、なんでヒーローになったのか!」
ルミナスの問い掛けに、ケイナインは少し驚いた表情をした後、考え込む素振りを見せてポツリポツリと語り始める。
それは殆ど、苦虫を噛み締めるような表情だったが。
「ヒーローになったのは人を助けたいと思ったから──これはインタビューで答える用ね。正直な話をすればヒーロー自体には別に、なりたいと思っていたわけじゃないの。ただ、成り行きでなっていただけ」
「首席で卒業なのに?」
「ただ良い成績を出せれば良かった。とにかくそれが重要だったから」
「それにしては今日は結構張り切ってませんでした?ウチ分かっちゃうなぁ〜」
と、見透かすような事を言うルミナスに、ケイナインは苛立ちでもなくただ自省でもって返答を考える。
「私はただ、後悔が大きいの。母は……私と弟とでは態度が違って、弟は虐待を受けていた」
「だから今日も虐待って聞いて、なんとかしなきゃ〜って思ったんですか?」
「それすら思っていなかったわ。ただ苛立っていた……自分自身に」
「えっと、そんなに悪く言わなくても〜?」
吐き捨てるように、自嘲してそう言ったケイナイン。
それに対する慰めの言葉は、それを発したルミナス本人ですら薄っぺらくて笑ってしまうようなものだった。
とはいえそこに、思いやりがある事くらいはケイナインも分かるので、注釈を付け加えるくらいはする。
「私は弱かったの。力も心も……弟の悲鳴をいつも聞くだけで、助ける事も、慰める事もしなかった。私が弱いから、私自身が傷付きたくなくて弟から距離を取った。私と話しているところを見られると、母さんが機嫌を悪くするからって責任を転嫁する言い訳をして……結局、今も変わらないのね。私は自分を見つめる勇気すらない」
今日のケイナインの行いは、全てが自分自身に返ってくるものだったのかもしれない。
ブリンクに対して苛立つのは、己を想起させるから。
その苛立ちは自分自身に向いていて、言葉も全て自身を抉る為のものだった。
「この力に目覚めても、母の関心を引いていれば大丈夫だって言い訳して弟を直視してこなかった。逃げる為にばかり能力を使って、結局……」
手元のマスクを見つめるケイナインの瞳には、強い後悔ばかりではなく、自身の原点に立ち返った懐かしさも含まれている。
そんな郷愁に引き寄せられたのだろう、ケイナインは不意に意識しないように封じ込めていた情報を思い出した。
「ああそう。実は、この街に弟が住んでいるの。住んでいる場所が変わっていなければ」
「えぇ!?会わないんですか!?」
「怖いから……きっと、今会っても互いに姉弟だって分からないわ。それに私は嫌な記憶と結び付いているでしょうから、会わない方が良い」
穏やかであればそれで良いと、ケイナインは微かに笑って息を吐く。
今日は大変な1日で、大仕事も片付けた。
ヒーローとして十分に働いたと、誰もが文句を言わないだろう。
ただひとり、彼女自身を除けば。
「私はただ、弟の為のヒーローになれれば良かったのに。それが出来なかったから、1番助けたかった存在を置き去りにしてヒーローを続けている……逃げるのが速いって、本当に嫌い」
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