第8話 逃避/アウェイク(上)
ありふれた日常の風景。
放課後の学校にて、レイモンドの姿はゴミ捨て場にあった。
躊躇いがちにゴミ箱へ身体を突っ込み、ゴミを掻き分けて中身を引き出す。
周囲を汚しているような行いではあったが、レイモンド自身必死でやっている事だった。
「学校のゴミを漁る汚い害獣はっけーん!」
「アライグマかぁ?うわっ、レイモンド・クロスだぁ!」
必死になるのも当然。
レイモンドはリュックサックを奪われて、それを探しにやって来た。
そんな様子にスマホを向けて、面白おかしく囃し立てるのはまさしくリュックサックを奪った張本人達。
ただ一時の娯楽として消費されている状況だが、レイモンドはただ無言でゴミを漁る。
とはいえその顔は、不快感に歯を食いしばって迫り上がる様々なものを堪える様子だったが。
「てか、やけに早く見つけてね?真っ先にここ来るとかゴミ好き過ぎるでしょー!」
「あぁクソ、ここ居たらレイモンドのゴミクッセェ臭いが移る!」
「おい待てよライアン、撮れたか?」
好き放題に騒ぎ立てて、動画を撮って去って行った彼らを見送り、レイモンドは息を吐く。
吐いた分を吸い込んで、鼻を突く臭いに咽せてはしまったものの、静かな分心が安まる時間になった。
そして何を言っても無駄だと、火に油を注ぐだけだと固く結んでいた口から悪態も多少は溢れる。
「ここに来るのなんて当たり前でしょ、何度も捨てられてるんだから対策するって……」
レイモンドはポケットから自身のスマホを取り出し、アプリを起動する。
それはイヤホンの追跡アプリ。
以前も彼らにイヤホンを捨てられた事があったので、新しく買い替えた時には、このような追跡機能が付いた物を選んだのだ。
それをリュックサックに入れておけば、何処かに行っても安心だった。
とはいえ、やはり早く見つけなくてはという思いは強い。
此処にある筈だとアプリで再度確認し、ゴミを漁る。
「リュックサックの中にはあの薬が入ってるんだから……!」
そうして掻き分け、ひっくり返し、必死になって探した末にリュックサックは見つかった。
不快な臭いは既に嗅覚を麻痺させて、見つかった喜びと安心だけが疲労したレイモンドの心を満たす。
大切に抱き締めて、その中身が欠けていないか十二分に確認し、リュックサックの奥に作った隠しスペースに能力獲得ドラッグが無事に存在する事が確認出来て、レイモンドはこの日1番の溜息を吐いた。
「はぁ……良かった……」
安堵と共にリュックサックを背負って周囲を見回せば、散乱したゴミが酷い有様。
さてどうしようかと考え始めた時、間の悪い事に人がやって来た。
ジャンプスーツを着たその人は清掃員。
自らの仕事をふいにするような惨状を見て、思わず顔を顰めるのも無理はない事だった。
「なんだこれは……」
「あ、あの──」
「こんな事して何が楽しい?他人の苦労を一瞬で台無しにてよ」
「ち、違っ!」
「給料を貰ってやってる事だがなあ……!それでも朝から汗だくになって、生意気なガキ共に笑われながら片付けた物を散らかされちゃあ我慢の限界も来るんだよ!」
怒鳴られて、反射的に身体を竦めたレイモンドへ怒声が堰を切ったように浴びせ掛けられる。
抑圧された労働者の不満の大爆発であった。
「他人を馬鹿にして楽しむって、どんな神経してんだ?犯罪だらけのクソみたいな街で、ゴミにまみれて真っ当に仕事してる人間はゴミと同じか!?」
「か、片付けます!今片付けます!」
「出て行け!今すぐに!恥を知れよクソガキが!」
「ごめんなさい!」
レイモンドはその場から走り去る。
怒られたからという理由もあるが、何より自分が小さく感じたのだ。
持ち物を盗まれて、それを探してゴミを漁り、それを咎められる。
ゴミを散らかして清掃員の仕事を無駄に増やしたのは事実だろう。
だがそれにも理由があった。
そしてそれを話して、理解してもらう事は可能だったかもしれない。
それをしなかったのは、怯えて自分を強く持てなかったレイモンドの問題だ。
逃げ出すように走り去ったのは、なによりそんな自分から逃げたかったからだった。
◆◆◆
逃げたとて、家に帰ってもひとり。
学校という自らを傷付ける人間関係から離れられても、レイモンドを癒すような家族や友人といった隣人は居ない。
ならばレイモンドはどのようにして、心の健康を保とうとするのか?
答えは単純、ドラッグだ。
それは一時的に能力を得て、ヒーローのように振る舞って人助けを出来る魔法の薬かもしれない。
だが結局のところ、それがレイモンド自身に与えているのは他のドラッグが見せる幻覚と大差なく、逃避には違いないのだ。
そして今日も今日とて、レイモンドの逃避は続く。
いつも通りに困っている人を助け、誰かから──あるいは自分自身から──生きていてもいいという許しを得る。
1日の間の僅かな時間、能力を得る制限時間こそがレイモンド・クロスの生きる意味。
これまで生きてきた意味であり、これから生きる為の行い。
レイモンドの人生における苦しみ以外の生の実感が、ここにはあった。
「カッコいい登場台詞とか必要かな?僕が何言ってもあんまり聞いてもらえないんだよ」
「うーん……ヒーローにはやっぱり相応しい名前が必要じゃないかなぁ」
「確かに。ルミナスは良い事言うね」
と、いつもの屋上で
レイという少女であると、自身を偽って交流を深める相手は本来ならば自身を捕まえるべきヒーロー。
人間誰しも自分を隠し、属する場所や生まれを問わず、人間性で分かりあう事が出来る。
そのような好例と言えるだろうか。
とはいえレイモンドは今日もここに来る前に隠れて注射を打ち、ひとしきり身体変化の感覚に悶えてから来ているのだが。
隠し事にも大小、善悪があるだろう。
「ウチはもう素敵なお目目を名前にしたよ。輝いてるでしょ?」
「じゃあ僕はなんだろう?これと言った特徴無さそうだけど」
「プリティーフェイス?」
「自画自賛強すぎない?あと僕ってそんな感じなんだ……」
「鏡を見なさいお嬢さん、無自覚な可愛さは時に武器になるからねぇ」
不思議そうに自身の顔を触って、こねくり回すレイとそれを見て笑うルミナス。
少々歪な部分もあるが、2人は確かに友情と呼べるものを築いていた。
「コスチュームも欲しいな。この服洗濯するの大変だし……」
「ダクトテープグルグル巻きだもんねぇ。そういえばマスクは着けないの?ヒーローは顔を隠すものだよ?」
「僕は……いいかな。この顔見られても、誰も僕の事知らないし」
「家族にバレたりしない?」
「バレたら、もし本当に僕だと気付いてくれたなら……嬉しいな」
噛み合っているような、噛み合っていないような会話を無為に続けて、時折レイモンドはパトロールへ向かう。
街をグルリと周り、事件を解決したり何か面白いものを見つけたらルミナスへ報告する。
そんな、ありふれた日常の風景。
「ねえねえルミナス!脅されてるキッチンカーの人助けたらブリトー貰った!」
「わぁ、美味しそう〜」
「包みの上からでも中身見えるの便利だね……!」
「フォーチュンクッキーも良いやつ選べるもんねぇ」
「それって占いの意味あるの?」
2人並んでブリトーを頬張り、特等席から街を見下ろす。
食べるモノ自体は至って普通の、労働者に好まれる塩気のあるジャンクフード。
だがそれを人助けの対価として受け取り、唯一と言ってよい友人と食べるとなれば、レイの頬も緩むというものだった。
「美味しそうに食べるねぇ、レイは」
「そう、かな?久しぶりに誰かとご飯食べたんだ。こんなに楽しくて美味しいって忘れてた」
「ウチは静かに食べられる時間が久しぶりかも。レイはチルのオーラを出してるから〜」
「僕は食べるの遅いから、見てるとイラつくってよく言われる」
「ウチは慌ただしくて息が詰まるって言われるなぁ。ご飯美味しいのとお喋りしたいのとで、口が全然足りないんだよねぇ」
互いに自虐を含みつつ、正反対の2人は暗くも明るくもなり過ぎずに吊り合って、ブリトーを食む。
レイは食べ方を過剰に気にしてゆっくりと、ルミナスはその遠くまで遮る物なく見通す眼で周囲を観察しながらゆっくりと、食べ進める。
「何か見えるの?」
「何でも見える〜。歩いてるひとりひとりの顔が見えるし、大切そうに花を抱えた人も見えるし、写真を撮ってる人も見えるねぇ……おっ、良い写真だ」
高さにおいては地上まで遠いビルの屋上から、更にはワンブロック先の様子を眺めてルミナスはそんな事を言う。
到底常人の眼では捉えられない遠方を、まるで手に取るように把握する様は上位者のよう。
地上で起きる様々な事柄に顔を綻ばせ、犯罪を監視する小さな女神。
さながらそんな風格だろうか。
「ルミナスは凄いね。僕なんかより、よっぽど……」
であればレイは、分不相応な力を掠め取り身分を偽った罪人だ。
そんな自分を理解している為に、レイは消え入るような声で羨望や嫉妬を漏らす。
自分もそうであればと、偽物である自覚があるからこそ憧れる。
(僕が幾ら頑張っても、この
それからもルミナスはしきりにレイへと話し掛け、レイはたどたどしく答える。
そうすると2口程食べて、またルミナスが楽しげに会話を始めレイは律儀に話を聞く時にはブリトーから口を離す。
いかに透視能力を持つルミナスといえども、人の心の内側までは覗けない。
服の下、皮膚のした、脂肪の下筋肉の下まで覗いたとしても、レイには怪しい点は無いだろう。
ただ少々気弱で、人を助けたいと思う素朴な善性を持つ少女にしか見えない。
ヒーローと呼ぶには力に振り回され、悪人を威圧する威厳も無ければ大きな事件に飛び込む勇気も無い。
それを変えるきっかけは、レイモンド・クロスを大きく変えた拾い物と同じく唐突だ。
「あれ……銀行強盗?」
ルミナスは、己の視界にとらえたものを素直に口にした。
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