黒衣の宰相

大寿見真鳳

第1話 全ての始まり

昨日までの雨が嘘のように晴れ渡った空。

雲ひとつも見当たらない快晴だった。

心地よい日差しと緩やかな風が吹いている。

そんな中、小高い山を登る一人の男。

男の名は庵原いはら慎介。

庵原慎介は今年で65歳。

サラリーマンとして長い人生を生き、定年を迎えて趣味のひとつである日本の城と城跡を巡る旅を楽しんでいた。

子供の頃から歴史が大好きで、特に戦国時代に惹かれるものを感じていた。

それが高じて火縄銃愛好会に入り、年に数回大きなイベントなどに呼ばれて、火縄銃に火薬を込めて射撃を見せることにも参加していた。

それもあり、火縄銃の構造にもとても詳しくなり、火縄銃を細かく分解して手入れも自分でできるほどになっていた。

さらにそれが高じて戦国時代の火縄銃の製造方法にまで詳しくなっていた。



その上、数えきれないほどの歴史に関する書物を読み込んできたが、いまだに飽きること無く新しい歴史に関する書物を手に入れては読み込みを続けている。

そんな井原慎介は気ままな一人暮らしを続けていた。

自分の子供はすでに独立。孫はいるが遠い都心で生活している。

妻を10年前に亡くしてから、子供達は一緒に生活しようと呼んでくれる。

健康には何の問題も抱えていない。

髪の毛はずいぶんと白くなり視力も衰えたが、病気らしい病気も無く、健康診断は健康そのもので驚かれるほどだ。

だからしばらくは一人暮らしでいいと考え、市腰を鍛えながら趣味に生きる日々を送っている。

今日はひとりで山城跡を見るために小高い山に登っていた。


「お〜、これはいい眺めだ」


横を見ると眼下に広がる街が見えていた。

遠くには海も見えている。

見晴らしはいいものの、ちょっとした崖になっている場所。

そんな崖の上をゆっくりと歩いている。


「まだ、地面には昨夜の雨が残っているのか、気を付けないとだな」


崖の上の地面には、苔が至る所に生えていて、雨水を吸って滑りやすくなっている。

足下を見ながら緑色の苔を踏みしめゆっくりと歩く。

そんな時、崖の向こうからは鳶の鳴き声が聞こえてきた。

足元を見つめていた視線を鳶の鳴き声がした方に向ける。

青い空の下に広がる街並みの上空を鳶が飛んでいるのが見えた。


「ほぉ〜、これはなかなか絵になる景色だ」


絶景に目を奪われながら歩いていた時、濡れていた苔で急に足が滑ってしまった。


「な・・何・・ウァァァ〜〜〜〜」


庵原慎介は、足を滑らせそのまま崖下に落ちていった。



********************



高熱を発して意識も虚なまま、ひとりで眠っている若き僧侶。

ここは室町時代の京都臨済宗建仁寺。

戦国乱世の真っ只中の頃の臨済宗建仁寺派の総本山。

この時代は多くの感染症が繰り返し流行して、その被害の大きさにより元号が何度も変わっていた。元号を変えることにより、悪い運の流れを変えようとの考えからである。

高熱を発して倒れた若き僧侶。

あまりの高熱のため周辺の僧侶達は、疱瘡ほうそう(天然痘)を疑い、腫れ物に触るような扱いであった。

しかし、水疱や膿疱は出ていないためおそらく疱瘡ではなく、単なる風邪による高熱であろうということになり、周囲の僧侶達は安堵していた。


眠っている僧侶の名は九英承菊。

後に駿河国で黒衣の宰相と呼ばれることになる太原雪斎である。

九英承菊は、高熱に苦しみながら今まで見たこともない夢を見ていた。

夢現ゆめうつつのまま目の前に現れる景色を驚きながら見つめている。

見たこともないほどの高さにまで作り上げられている建物。

それを見ていると魂の奥底から『高層ビル』という言葉が浮かんできた。

南蛮のギヤマン(ガラス)をもっと綺麗に透明にして、板状にしたものが隙間なく壁面に貼り付けてある。

どんな仕組みなのか、どんな方法で建てられたのか、全くわからない。


周りを見渡せば足下には綺麗に舗装された道。

轍も無く、草木も無く、歩いていても泥や土埃も無い。

黒い何かが隙間なく使われているようだ。

石などではないようだが、これも見たことが無い。

これはなんだろうと足下を見つめていると、『アスファルト』との言葉が浮かんでくる。


そんな舗装された道を行き交う箱のようなもの。

馬も牛も繋がれていないのに勝手に走る輪の付いた箱。

『車・自動車』という言葉が浮かぶ。

さらにそんな舗装された道を歩く人々が着ているものは、いままで見たこともないものだ。

噂に聞く南蛮人の服装とも違うようだ。

しばらく見つめていると、『スーツ』『ジーンズ』『シャツ』『・・・・』などの言葉が次々に浮かんでくる。どうやら着ているものを指しているようだが、意味がよくわからない。

どれもとても鮮やかで多彩な色に見える。

いつも自分が見かけている野良着や着物を着た人はいないようだ。


空を飛ぶ巨大な鳥のような物体が見えたと思ったら『飛行機』との言葉が浮かぶ。


急に場面が切り替わると、家族と幸せそうにしている一人の男が見えた。


九英承菊は全てを悟る。

目の前のこの男の名は庵原慎介。

いま、自分が生きる乱世の時代より遥か未来に生きていた。

庵原の名は、自分の実家である庵原一族と同じだ。

もしかしたらこの男は、自分と同じ血が流れている庵原一族の末裔なのかもしれないと考えていた。

この男が崖から落ちて死んだことでその魂が時を遡り、高熱で死にかけていた自分の魂と融合することで自分の命が助かったのだと!

そんな不思議な気持ちが湧き上がってきている。

浮かんでくる見たこともない景色、浮かんでくる初めての言葉と呼び名。

全て庵原慎介の魂が持つ知識が教えてくれているのだと、何故か理解するのであった。

魂同士が融合することで、井原慎介が持つ莫大な歴史の知識を、九英承菊が共有することになった。

そして九英承菊は知る。

これから自分が辿る人生。

これから起きる歴史の出来事。

これから知り合う親しき人物。

これから知り合う憎き相手。

これから知り合う手強き相手。

虚な意識のまま全てを知り、全てを受けれていく。

九英承菊は虚な意識のまま、この時代を生き抜く決意を固めるのであった。

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