根っからの陰キャ貝になりたいと願ったら本当に貝になった話

悪玉菌

第1話 貝になりたいって言ったら、本当に貝になった件

人間関係から逃げ続けて、二十年近く生きてきた。


小学校では一人で本ばかり読んで、

 中学では休み時間をトイレと図書室で潰し、

 高校では「空気」「影」「居たんだ」とか散々言われ、

 大学でも、サークルのLINEで既読すらつかない存在。


そういう人生を、世間はまとめてこう呼ぶ。


――陰キャ。


「……もう、貝になりてぇ」


その日も、レポートの締め切りを前に、俺はベッドに顔を埋めて現実逃避していた。


課題、バイト、ゼミ発表、全部ギリギリ。

 友達ゼロ、サークル幽霊、飲み会は端で水を眺めてるだけ。

 誰かと会話すると、頭が真っ白になって、帰ってから一人反省会でメンタルを削る日々。


(人間って、なんでこんなにコミュ力を要求してくるんだ……)


殻に閉じこもって、一生誰とも喋らずに済む生き物が、心底うらやましかった。


「海辺でさ、砂に半分埋まってさ。

 波の音だけ聞いて……。

 あー……貝になりてぇ……マジで……」


半分寝ぼけながら、そう呟いたのを最後に、意識が暗闇に落ちていった。


――それが、俺の「人間としての」最後の記憶だった。


次に目を覚ましたとき、世界はもうぜんぜん違っていた。


まず、ひんやりとしていた。


布団の温もりも、ベッドの軋む感触もない。

 代わりに、体の下半分を、さらさらとした冷たい何かが包み込んでいる。


(……床で寝落ちした? いや、これ……砂?)


ぼんやりした意識の中で身じろぎしようとした瞬間、別の違和感がすべてを上書きした。


――体が、まったく動かない。


腕も、足も、首も、指一本さえ、ピクリともしない。

 重いとか、痺れているとか、そういうレベルじゃない。


“そこにある”のに、操作権がない。


(え、ちょ、は? 金縛り? でもこれ、レベル違くない?)


焦りで心拍数が上がる――はずなのに、その感覚も薄い。

 そうやってパニックを起こしかけたとき、視界の上方に、それは唐突に現れた。


【異界転送ログを再生します】


(……は?)


空中に、半透明のウィンドウ。

 ゲームでよく見る「システムメッセージ」そのものが、自然な顔で浮かんでいた。


─────────────────

【魂データ:カイヅカ カイト】

・種族:人間(旧世界基準)

・死亡原因:睡眠中心停止(過労+生活習慣の乱れ)

・最終思考ログ:

 『もういっそ、誰にも話しかけられない“貝”になりてぇ……』


【願望解析中……】

・逃避願望:MAX

・社会不適合度:高

・対人ストレス耐性:極低

・対孤独耐性:無駄に高い


【特記事項】

・特殊性癖フラグを検出:『貝願望』

 →分類:特殊性癖

 →ゲームバランスへの影響:皆無

 →実装効果:ありません

─────────────────


(ちょっと待て、誰だ今「特殊性癖」って言ったやつ)


抗議はもちろん届かない。

 ウィンドウは、容赦なく続きを流し始める。


【異界転生プログラムを起動します】

・転生先世界名:アーク・マギア

・基本仕様:ステータス/スキル/レベル制

・魔力密度:中〜高

・モンスター進化システム:有


・ベース種族候補を抽選中……

→『貝になりたい』という強い願望を優先します。


【決定】

・ベース種族:シェルフィー・レイス(下級貝殻魔族)

・転生地点:南洋沿岸部・無所属エリア

・ボーナス特性:〈異界からの転生者〉を付与


【なお、特殊性癖:貝願望には一切のボーナスはありません】

※なぜ最後の願いにこれを選んだのか、管理側は理解に苦しんでいます。


(うるせぇ。追い詰められた人間の最後の叫びを性癖扱いすんな)


「異界転生プログラム」「世界名」「モンスター進化」。

 情報量がデカすぎて理解が追いつかない。


けれど、たった一つ、分かることがあった。


(……俺、死んだのか)


その実感が喉元まで上ってきたところで、視界が一度だけ白く弾ける。

 次の瞬間、俺の目の前には、青空と、白い雲と、見渡す限りの砂浜が広がっていた。


ざざーん、ざざーん。


規則正しく押し寄せてくる波の音。

 鼻の奥をくすぐるしょっぱい潮の匂い。

 肌を撫でる――はずの風。けれど、俺にはそれを感じる「肌」がない。


(……いや、これ、本当に砂浜じゃん)


妙に低い視点。

 上下左右の感覚が、今まで知っていた体とまったく違う。


おそるおそる、自分の「体」を意識してみる。


上下にパカパカと開閉できる、分厚い板が二枚。

 内側は柔らかくてぬめっとしていて、外側は硬くて頑丈。

 下半分は、さらさらとした砂に半分埋まっている。


(……いやいや、まさか、そんな)


試しに、上側の板をほんの少しだけ持ち上げてみた。


ぱかっ。


視界が、わずかに広がる。

 青空の面積が増える。天地の感覚が変わる。


どう見てもこれは――二枚貝が殻を開け閉めしているときの、それだ。


(……本当に貝になってんじゃねぇか!!!)


内心で叫んでも、当然声は出ない。

 ぱくぱくと殻を震わせても、現実世界には波の音しか響かない。


【異界転生が正常に完了しました】

【ようこそ、アーク・マギア世界へ】


続けざまに、別のウィンドウがせり上がってくる。


───── ステータス初期表示 ─────

【名前】貝塚 海斗(カイヅカ カイト)

【種族】シェルフィー・レイス(下級貝殻魔族)

【レベル】1


【HP】5/5

【MP】1/1

【攻撃】1

【防御】10

【敏捷】0

【知力】2(※前世記憶による補正)


【称号】

・〈異界からの転生者〉

・〈根っからの陰キャ〉

・〈特殊性癖:貝願望〉


【スキル】

・《硬殻防御Lv1》

・《死んだふりLvMAX》

─────────────────


(情報量……!)


ひとまず、落ち着いて上から順に見ていく。


〈異界からの転生者〉

【称号:異界からの転生者】

・別世界から転生/召喚された魂に自動付与。

・効果:

 ①進化分岐の発生率+200%

 ②種族本来とは異なるスキルを獲得する可能性あり

・備考:

 歴史上、この称号持ちの多くは「世界の流れ」に大きな影響を与えています。


(世界の流れとか大げさなこと言ってくるな……。

 俺、ただの陰キャ大学生だったんだが)


だが、「進化分岐+200%」の文字は、確かに目を引いた。


次。


〈根っからの陰キャ〉

【称号:根っからの陰キャ】

・人生の大半を「陰」ポジションで過ごした者に贈られる不名誉称号。

・効果:

 ①敵対存在からの認識率-10%

 ②人混みで視線を合わせられにくい(対人限定効果)

・備考:

 ※本人の願望と実績が高度に一致した結果、付与されました。


(不名誉とか言うな。自覚はある)


最後。


〈特殊性癖:貝願望〉

【称号:特殊性癖:貝願望】

・「自分は貝になりたい」と強く願った魂に付与されるネタ枠称号。

・効果:ありません。

・あらゆる戦闘/探索/交渉判定に一切影響しません。

・備考:

 開発会議ログ抜粋:

 『さすがにこれ、ボーナスつけなくていい?』

 『甘やかすと同じ性癖が流行るからやめとけ』

 『じゃあ称号だけつけよ』

 →結果:実装(効果なし)


(ログを晒すなログを! なんで開発会議の中身まで覗かされてんだよ)


称号欄だけでツッコミが追いつかない。

 とはいえ、〈異界からの転生者〉が明らかに「成り上がれますよ」な匂いを出している以上、完全に詰んでいるわけではないらしい。


(……まぁ、最悪雑魚貝でも、進化次第でなんとかなる、か?)


そう思って、今度は種族名のところを意識してみる。


【種族図鑑:シェルフィー・レイス】

・分類:魔物/軟体殻生物

・生息地:温暖な海岸沿い

・特徴:

 動きが鈍く、攻撃力は皆無に等しい。

 ただし殻の硬度は同レベル帯の中ではやや高い。

・通常進化カテゴリ:

 → 通常進化:シェルガード/シェルストライカー など

 → 環境進化:深海殻種/炎殻種 など(条件付き)

 → 魔導進化:魔殻種 など(条件付き)

・備考:

 ごく稀に、進化経路不明の「特殊進化個体」の報告あり(詳細不明)。

─────────────────


(お、ちゃんと「通常/環境/魔導」ってカテゴリがあるのか……。

 特殊進化個体って単語もあるけど、詳細不明ってなんだよ余計に気になるな)


どうやら、この世界の魔物はレベルを上げれば「進化できる」らしい。

 しかも、環境とか魔法の使い方次第で、分岐の仕方も変わる。


(だったら、防具専門の貝から、殴れる貝にだってなれるかもしれないわけだ)


そう考えると、さっきまでの絶望感が、ほんの少しだけ薄らいだ。


現状把握のために、残りのスキルも確認していく。


《硬殻防御Lv1》

・殻を固め、物理攻撃によるダメージを小軽減する。

・レベルに応じて効果上昇。

・一部の個体は、これを攻撃に転用する派生スキルを得ることもある。


(要するに、防御スキル。

 転用って単語がちょっと気になるな……)


《死んだふりLvMAX》

・敵対存在からの認識率-90%

・生命反応の偽装(ほぼ完全に「死体」と判定される)

・発動中、防御+20%/敏捷-50%(※敏捷が0のため実質変化なし)

・恐怖度に応じて経験値獲得量+(最大+100%)

・このスキルがLvMAXに達するには、

 通常、長年の生存本能の積み重ねが必要です。


(最後の一文いらない。

 俺の人生、どんだけ死んだふりしてきたことになってんだよ)


ただ、敵に見つかりにくくて、防御も上がって、恐怖で経験値ブーストまでかかる。

 弱小モンスターとしては、かなり生存に寄った有能スキルだ。


とはいえ――


(……それにしても、動けなさすぎだろこれ)


試しに砂の中でジリジリと体を動かしてみるが、

 辛うじて数センチ「潜る」程度しかできない。


ジャンプ? 無理。

 ダッシュ? 論外。

 人間の足どころか、カニにすら追いつけない自信がある。


(いやまぁ、「誰にも話しかけられない生活」がしたかったわけだから、

 動けないのはある意味、願ったり叶ったりなんだけど)


殻を少しだけ開いて、空を眺める。


青い。

 雲が、ゆっくりと流れていく。


波の音。

 潮の匂い。


誰も話しかけてこない。

 予定も、タスクも、締め切りもない。


(……あれ? これ、わりと理想の生活では?)


そう思った瞬間、ステータス欄がぴこっと点滅した。


【精神状態:混乱 → 受容】

【スキル《精神安定(小)》を獲得しました】


《精神安定(小)》

・ストレス時の精神ブレを軽減

・パニック/錯乱状態への移行を遅延


(便利だけどさぁ……

 「受容」って、お前そんな綺麗な言葉でまとめるなよ)


さらに、追い打ちのように称号欄も更新される。


【称号〈根っからの陰キャ〉の効果が強化されます】

・敵対存在からの認識率-10% → -15%


(認識率どんどん下がってくな……。

 これ、最終的に誰にも気づかれない透明貝になるんじゃないのか)


でも、悪くない。

 少なくとも、前世の「人間関係地獄」に比べれば、

 この砂浜ニート生活は、天国に近かった。


――その時、足音が聞こえてくるまでは。


ざく、ざく、と砂を踏む音。


ゆっくりと近づいてくるそれに、俺の殻の内側がピクリと震えた。

 経験したことのない恐怖が、じわじわと広がる。


(やばい、プレイヤー側……じゃないけど、人間だ)


図鑑によれば、この世界には「冒険者」とか「ギルド」とかいうものがあって、

 弱い魔物は序盤の経験値用に狩られるらしい。


(絶対その“序盤の的”枠だろ俺……!)


慌てて殻を閉じようとした瞬間、例のスキルが勝手に動いた。


【軽度の殺意/捕食意図を感知しました】

【スキル《死んだふりLvMAX》が自動発動します】


(お前オートなのかよ!!)


体の内側から、すうっと熱が引いていく。

 鼓動も、呼吸も、あらゆる「生きている証」が限りなくゼロに近づいていく。


視界の隅に、人影が映った。


痩せた少女だった。


肩までの淡い茶色の髪はボサボサで、毛先はところどころ跳ねている。

 着ているローブは安物で、膝や袖口には小さな綻び。

 腰には、小さな木製の杖。


少女は、俺から少し離れたところに、どさりと座り込んだ。

 膝を抱え、しばらく無言で海を眺めていたが、やがてぽつりと呟く。


「……今日も、ダメだった……」


かすれた声。

 俺の殻の内側まで届くギリギリの小ささ。


「スライム一匹、ちゃんと倒せない……。

 攻撃魔法、全然うまく撃てないし……。

 このままだと、ギルドからも村からも、見放されちゃうよね……」


(あー……。

 これは分かる。めちゃくちゃ分かるやつだ……)


出来ないことばかり積み重なって、

 周りから期待されなくて、

 自分でも自分にがっかりして、

 でも諦めきれない感じ。


俺は貝だけれど、陰キャとしての共感だけは、やたら高性能だった。


(でもごめん、今の俺は死んだふり発動中の貝だから、

 慰めることも、隣に座ることもできません……)


せいぜいできるのは、「踏まれませんように」と祈ることくらい――


「……あれ?」


少女の視線が、ぴたりと俺に向いた。


(え、なんでバレてんの。〈根っからの陰キャ〉+《死んだふり》フルコンボ中だぞ?)


細い指が、そっと砂を掘り起こす。

 俺の殻が、砂から引き抜かれる感覚。重力が別方向にかかる。


「貝……?」


(はい貝です。できればそのまま砂に戻してくれると助かります)


少女は、俺を掌の上に乗せて、じっと眺めた。

 瞳の色は、くすんだ青。

 その奥には、疲れと、不安と、ちょっとした諦めが滲んでいる。


「……きれいな殻。

 生きてる、のかな……?」


俺は全力で「ただの貝殻です」と念じる。

 《死んだふり》のおかげで、実際、ほとんど死体のはずだ。


【《死んだふり》の効果により、対象の興味がわずかに減少しています】


(よし、そのまま飽きてポイで頼む)


少女は、しばらく迷ったあと、小さくため息をついた。


「……ごめんね。

 今日のご飯、これしか見つけられなかった……。

 生きてる貝じゃなさそうだし、すぐには食べられないけど……」


(やめろおおおおおお!!!)


「乾かしてスープの出汁にすれば、ちょっとはマシになる、よね……」


(出汁ぃ!!??)


【対象からの捕食計画を感知しました】

【恐怖度が上昇します】

【《死んだふり》ボーナス:経験値獲得量+30%】


(経験値ブーストいらねぇんだよ!!)


少女は、今度は腰のポーチから、薄い羊皮紙のようなものを取り出した。

 淡く青白い光を帯びた、それは――


(スクロール……? いや、こっちの世界だと魔法札とかかな)


「……一応、鑑定だけ……。

 魔物の素材だったら、売れるかもしれないし……」


(鑑定!? やめろ、“珍しい個体”とか判定されたら、完全に研究室行きコースだろ……)


少女は、羊皮紙をそっと俺の殻に触れさせ、小さな声で呟いた。


「――《シンプル・アプレイザル》」


ぱちり、と微かな魔力が弾ける感覚。

 次の瞬間、少女の視界と、俺の視界の両方に、ウィンドウが開いた。


─────────────────

【簡易鑑定結果】

【種別】魔物(下級貝殻魔族)

【名称】シェルフィー・レイス

【レアリティ】★3(浜辺個体としては★4)

【状態】仮死


【評価】

砂浜に生息する弱小魔物。

動きが遅く、攻撃力もほぼないため、

初心者冒険者の格好の的とされる。


殻は一定以上の硬度を持ち、

魔力との相性が良い個体は【防具型契約魔物】として利用されることもある。

─────────────────


(“弱小”“的”って真っ直ぐ書くなよ……)


俺の視界には、さらに細かい情報が追加で流れてくる。


【追加情報(本人のみ閲覧可)】

・特殊タグ:〈異界からの転生者〉

・進化カテゴリ:通常/環境/魔導

・進化傾向:未計測(レベル不足)

・人化進化(魔人化)……条件未達/詳細非公開

─────────────────


(人化進化……魔人化……?)


見慣れない単語に、思わず意識がそちらに向く。


【ヘルプ:魔人(まじん)】

・魔物の一部は、進化の果てに人型に近い姿へと変化することがあります。

・それらは総称して「魔人」と呼ばれ、

 かつて契約を一方的に破棄し、大規模な被害を出した例があるため、

 現在は多くの国やギルドで危険視されています。


※あなたにはまだ関係のない情報です。


(余計なお世話だ。

 ……いや、“まだ”って何だ、“まだ”って)


俺が将来どうなるにせよ、今はただの雑魚貝だ。

 今考えるべきは、人化とか魔人とかじゃなくて――


(出汁にされる未来からどう逃げるか、だよな……)


少女――この世界の名前はまだ知らない――は、

 鑑定結果を見て、目を丸くしていた。


「……防具型、契約魔物……?」


彼女は、俺とウィンドウを交互に見比べ、唇を噛む。


「売ったら、今日一日くらいはちゃんとご飯、食べられるかもしれない……」


(やめてください)


「でも……契約できたら……

 私でも、“戦える”ようになる、のかな……」


(いやこっちの命が戦場に持ってかれるんですが)


空腹、将来への不安、わずかな希望。

 色んな感情が綯い交ぜになった顔で、少女は長いこと黙り込んだ。


【対象の感情:葛藤/期待/空腹】

【捕食プラン:保留】

【売却プラン:保留】

【契約プラン:浮上】


(人生会議の議事録をいちいち出すな)


やがて、彼女は決心したように、小さく頷いた。


「……ごめん。

 売るの、やめる」


(よし! よくぞ言った!)


「もし契約できたら……

 スライムくらい、一人で倒せるようになるかもしれないし……

 “落ちこぼれ”って、少しは言われなくなるかも……」


(あー……。

 “落ちこぼれ”なんて言葉、簡単に口にするあたり、本当に言われてきたんだな)


少女は、震える指で小さなナイフを取り出した。


「……ちょっとだけ、痛いから、我慢してね……」


(やめろ、そのセリフはだいたいロクなことにならない)


そう言って、自分の指先を軽く切り、滲んだ血を、ぽたり、と俺の殻の上に垂らした。


生温かい感触が、殻越しに伝わってくる。


「――《簡易契約儀式・タイプC》」


かすれた声での詠唱とともに、世界が一度、暗転した。


【簡易契約儀式を検知しました】

【契約候補:リリア・マーシュ】

【対象:シェルフィー・レイス(個体名:未登録)】


【契約適性を判定します……】


(ちょ、リリア……って言った? 今、名前出たよな?)


波の音が遠ざかり、代わりにシステム音だけが頭の奥で反響する。


・意思ありの魔物である → 判定中

・人間への敵対性 → 低

・契約者の生存を優先する意思 → 未定

・称号〈異界からの転生者〉の影響を検出……補正処理へ移行


(おいおい、“意思あり”判定とかやめろ。

 ここでバレたら、完全に実験体ルートじゃないか)


だが、もう流れは止まらない。


【条件を一部満たしました】

【契約魔物(防具型)としての登録プロセスを開始します】


(防具型、ね……)


殻の内側に、じんわりと温かい何かが流れ込んでくる。

 それは、さっきまでの海水の冷たさとはまったく別の、

 誰かの命と、魔力と、感情の温度だった。


【契約候補からのメッセージ】

『……お願い。一緒に、生きてください』


声にならない、本心のささやきが、直接頭に届く。


前世の俺なら、たぶん目を逸らしていた。

 誰かの「必死さ」に真正面から向き合うのが、怖くてたまらなかったから。


けれど今の俺は、貝だ。

 目を逸らすまぶたも、耳をふさぐ手もない。


(……そう来るかよ)


売られるよりマシ。

 出汁にされるよりマシ。

 それに――


(どうせ貝としてこのまま一生終えるなら、

 誰かと一緒に成り上がるのも、悪くないかもしれない)


【契約に対するあなたの意思を選択してください】

→ はい

→ いいえ


(はい、だ)


俺は、迷いながらも「はい」を選んだ。


次の瞬間、世界の色が、もう一度だけ大きく変わる。


【簡易契約プロセスを開始します】

【契約魔物カテゴリ:防具型(※一部戦闘適性を検出)】

【契約者との絆リンクを仮接続します】


(防具型、か……。

 いいさ。最初は防具で。

 そのうち、防具のくせに前線ぶん殴る、そういう存在になってやるよ)


根っからの陰キャで、貝になりたかった俺の、

 「ただの防具で終わらせない」物語が、いま静かに始まりつつあった。


――本格的な契約の完了と、

 《陰の観察者》というチートじみた固有スキルの解放を待たせながら。


(……てか、リリア。

 お前、俺を出汁にするか相棒にするかで迷ってたよな?

 責任取れよ?)

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