第1話 5
「――わたしね、里を出て遠くへ行ってみたい……」
彼女――ルシアは、いつも遠い目をしながら、そんなことを言う少女だった。
初めてその言葉を聞いた時、僕はあまりにも幼くて……なぜそんなことをいうのか、里が嫌いなのかと、半べそで訊いた。
「――里が好きだからこそ、みんなが大好きだからこそ、わたしはきっとこの里を出ていかなくちゃいけないのよ……」
確信しているように断言する幼馴染を理解できなくて。
それでも僕は、ずっと一緒だった彼女がいつか里を出ていかなくてはならないのなら、その時はきっと僕の事も誘ってくれると思った。
その『いつか』に備えて、里で唯一、里の外を知ってる長老のじっちゃんのトコで、外のことを勉強するのをルシアに提案すると、彼女も乗り気になって。
その日から、ふたりでじっちゃんのとこに通うのが日課になった。
そうしてふたりで一緒に過ごしながら月日は過ぎて……
いつしかルシアも、じっちゃんのとこで勉強は続けていたけど、外のことなんて忘れたみたいに、学習の内容はむしろ日々の生活で役立つような知識に向けられるようになっていった。
――でも……運命ってのはあるんだって、あの時ほど思い知らされたことはない。
それは僕とルシアが十五歳になって元服を迎えてすぐに起きた。
その頃の僕は元服を迎えた里の男子の常として、家と畑をもらって一人暮らしを始めてた。
人によっては、元服してもそのまま実家で両親の面倒を見る人や、実家のすぐ隣に一人暮らし用の離れを造る人もいるんだけど、僕は実家の反対側にある家――じっちゃんの家を選んだ。
この頃にはもうじっちゃんは亡くなっていて、家は空き家になっていたんだ。
子供の頃から慣れ親しんだじっちゃんの家が、家主不在で朽ちるに任せるのが忍びなくて、僕が畑ごと引き継ぐことにしたってわけだ。
午前は畑を耕し、午後は里の若い衆の倣いとして自警団に出向き、夕暮れまで訓練したり里を巡回したり。
自警団の主な務めは、時々山から降りてくる獣や魔獣から里を守ることなんだけど、大抵が村の周辺に仕掛けた罠でなんとかなる為、自警団はそういう罠の具合を確認して周りながら、里の老人達の手伝いをするのが常になっていた。
要するに家族を持たない老人達の生活補助だね。
里のおかみさん達の婦人会が、若い女子の花嫁修業の場であるのと同時に、里の老人達の食事を賄っているのと似たようなものだね。
そうして持ちつ持たれつで、里は大昔からずっと回ってきたんだ。
――だからその日も、僕はいつものように軽い素振りと弓矢の訓練を終えて、里の巡回に出ようとしてたんだけど……
「――レクス! ルシアは来ていないか!?」
と、訓練所に飛び込んできたのは、ルシアの親父さんだった。
なんでも昨晩からケインが高熱を出して寝込んでいたらしい。
じっちゃんから薬学を習っていたルシアは、すぐに熱冷まし薬を調合したそうだけど、朝になっても熱は下がらず、ケインがなにか特殊な病気なのかもしれないと気づいたルシアは、家を飛び出して行ったのだという。
「おれぁ、てっきりおまえのトコに行ったのかと思ったんだが……」
僕の畑には、じっちゃんが村人の為に育てていた薬草がある。
だから親父さんは、ルシアが僕のところに向かったと思ったんだそうだ。
「いや、見てない……そういえば今日は一度もルシアを見てないな」
と、親父さんに応えながら、僕は首をひねった。
いつもなら薬草の世話を手伝う為に、だいたいは午前中に畑に顔を出すのだけれど、その日、彼女は来ていなかった。
もちろん薬草の世話はあくまでルシアの善意であって仕事ってわけじゃない。
婦人会の仕事で来れない日もあったから、僕はその時まで気にしてなかったのだけど、親父さんの話を聞いて嫌な予感がした。
「――ひょっとしたらルシアは……」
じっちゃんが生前、僕らに教えてくれたことがあった。
育てている薬草がどうしても効かない病に罹った者が出たら、リリアナの樹――御神木の葉を煎じて呑むように、と。
「……親父さん。ルシアは御神木に向かったんだと思う」
と、ちょうどその時、訓練所にやって来た団長が、僕の言葉を耳にして驚きの声をあげた。
「――御神木の辺りには今、魔狼が住み着いたかもしれないんだぞ!」
村一番の戦士である団長の怒声が訓練所に響いて、僕はその言葉の意味を理解した瞬間――僕は獣狩り用の槍と弓矢を背負って、訓練所を飛び出していた。
――あとから聞いた話だけど、この時にはもう勇者ルークと騎士達が里を訪れていて、むしろ彼らこそが団長に魔狼の存在を教えてくれたのだそうだ。
なんでもこの国の王女様は、霊脈を通して世界を識る事のできる高位の魔道士で、だから大きな霊脈溜まりとなっている御神木のそばに、魔狼が住み着いたのを察知して勇者に討伐を命じたらしい。
だから、僕が飛び出したのは本当に無駄なことで――御神木の場所だけ勇者に伝えれば、魔狼はなんなく討ち取られていたはずだったんだ。
けど、そんなことを知らない僕は、愚かにも飛び出してしまった……
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