第2話 遺忘界
何でもないように並べられた言葉。しかしヨウはその瞬間無意識の内に「え……」と言葉を漏らした。
七千年というあまりに途方もない数字。なにも思い出せない空っぽの自分の頭に現実味のない情報が流し込まれ、ヨウは意味も解らず困惑する。
当のウーシュ本人は、狼狽するヨウの姿を見て楽しむように笑っていた。しかしそこでクルタがウーシュの頭にチョップを落とす。
「痛った⁉」
「いらない事を言わないでください。話がややこしくなる」
「困惑させときゃ良いじゃん! そっちのが面白いし!」
「ああ、もう……喧嘩は駄目ですよぅ二人とも」
涙目で抗議するウーシュとクルタとの言い争いを止めようとするウェイシャン。しかしヨウは目の前で起きている出来事に理解が及ばず、ただただ混乱していた。
――まずいな……頭がパンクしそうだ……。
処理しきれない情報にめまいを覚えながらヨウは周囲を見渡す。自分が横たわっているベッド以外には、小さな机と椅子があるぐらい。
しかしその全てが金属の床にボルトで固定されており、角の部分も丸く削られている。耳を澄ますと小さく機械の駆動音のようなものが聞こえてきていた。
クルタたちの背後には頑強そうな金属の扉がある。逃げようと思えば逃げられそうだが、そこでウーシュと目が合った。
「逃げようとか思わない方がいいよ? 死んじゃっても知らないからね」
「っ……」
にこりと笑いながら恐ろしい事を言うウーシュにヨウは思わず身を竦める。
「ちょっとウーシュさん! そんなこと言っちゃあ駄目ですよ! その言い方だとウーシュさんが殺そうとしてるみたいじゃないですか!」
「えー? 大丈夫だってば。ボクはもう人は殺さないよ? そうじゃなくて、慌てて部屋を飛び出したら落っこちちゃうって意味で言ったんだし」
「どっちにしろ怖いですよ!」
「……二人とも少し黙っていてください」
そう言ってウーシュとウェイシャンを黙らせると、クルタは屈んでヨウに視線を合わせた。
赤い瞳が真っすぐにヨウの目を覗き込み、ついで面倒くさそうにため息をつく。
「まあ確かに浅慮な行動をされても困りますからね。少し説明をしておきましょうか」
言いながらクルタは縁に細かな装飾の施された手鏡を取り出す。
そこに映されたのは黒い直毛に灰色の目をした青年の顔だった。
「まずこれが、貴方の顔です。自分の姿に見覚えはありますか?」
「分からない。でも随分……」
「若いでしょ? ボクびっくりしたんだよね!」
クルタの頭にどしりと乗っかりながらウーシュは目を丸くして言う。
「ボクが知ってるナグモ・ヨウってお爺ちゃんだったんだよね。そんな若いお兄さんに生まれ変わっていたなんてびっくりだよ!」
「邪魔です。どいてください」
鬱陶しそうにクルタに押しのけられてウーシュは面白そうに笑う。それを無視してクルタは続ける。
「かつてこの惑星を赤く汚した世界大戦がありました。まさに貴方が生きた時代です」
「……?」
「その時代を生きた人々は地球を汚し自分たちが生きていく事すらままならなくなって、ようやく己の過ちに気づいた。そして彼らはこの惑星を再生させるために滅びを受け入れたんです」
「……じゃあお前達は何なんだよ? 亡霊か何かか?」
「亡霊はそちらでしょうが……この
クルタの言葉に険が混じる。思わず狼狽えるヨウにウーシュが補足する。
「
「忘れ去られるべき世界からわざわざやってきた七千年前の罪人ですよ。貴方達は」
「……随分な言い草だな」
そこに来てようやくヨウはこの男が、自分の事を嫌っている事に気づいた。
「今この世界にいる人類は、この星が回復する間外宇宙に放たれた宇宙船内で保存されたDNAから作られた存在です。旧時代との繋がりはありません。しかし貴方はどういう理由か七千年前の遺跡内で個を保った状態で保存され、そして再生された」
「……要するに折角綺麗になった世界に、土足で戻ってこられて迷惑だって言いたいわけか」
「理解が早くて助かります。本来遺忘界の人々は次世代に生きる人間の為に自ら滅びを受け入れた。それが今から七千年前のことになります。貴方もそうしてくださると助かるのですがね」
あからさまな敵意にヨウはクルタの赤い目を真っすぐに睨む。ウェイシャンがただならぬ空気を感じ取っておろおろとし始めたその時、ウーシュが「まあまあ二人とも!」と馴れ馴れしく笑ってヨウの肩に手を回した。
「過去とか罪とかどーでもいいじゃん! 折角新しくなった世界で、今なら何をやっても歴史に名前を刻めるんだから! やりたい事は全部やって楽しみつくさなきゃ損だよ!」
「楽しみつくす?」
「そうだよー? もうすぐ始まる大きな大きなお祭り、ヨウちゃんは歴史が生まれる瞬間をかぶりつきで見られるんだよ!」
「……?」
混乱するヨウの顔を覗き込みにんまりとウーシュは笑う。そして部屋の入り口を指差した。
「実際に見てみよっか。今は多分、その前座の真っ最中だから」
「ウシュムガル!」
「ウーシュだよ、クルタちゃん」
苛立つクルタに視線も向けずに答え、ウーシュはヨウを立たせる。促されるままに部屋の入口へと向かい、重たい金属の扉のドアノブに手をかけた。
扉を開いた次の瞬間、全身を叩くような強烈な風が部屋の中へを吹き荒れる。扉を開いた先にあったのは、連絡通路と思しき剥き出しの通路だった。格子状の金網で作られた通路からは真下の海が見え、千メートルはあろうかという高度に踏み出しかけた足が止まる。
自分がいるのは全長五十メートルはあろうかという巨大な飛行艇の中だった。
目の前にはどこまでも続く水平線、その先の宇宙の黒まで見透かせそうなどこまでも続く空の青と、その空の色を映して硝子のように輝く青い海があり、自分たちの足元を薄い雲が泳いでいる。
吹き抜ける風までも透明なその世界に目を奪われ圧倒されるヨウ。しかしそこでウーシュがそっと肩に手を置いて耳元で囁いた。
「ほら、来るよ」
コンマ数秒音が消えた。次いで遥か後方から微かな風切り音が迫ってくる。
次の瞬間、幾百もの鋼の竜の群れが世界の果てまで届くような轟音を伴って、遥か眼下の海上を波濤を巻き上げて通過していった。
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