Gemini/AIに文学的評価をさせてみる

1.近代幻想・伝奇文学における位置づけ

――「怪異」の合理化と「啓蒙」への回帰


日本の近代幻想文学(泉鏡花、内田百閒ら)は、近代化・合理化によって排除された「前近代的な闇や情念」を言語によって再構築し、近代合理主義の限界を「問い直す」営みでした。また、折口信夫や柳田國男に連なる伝奇文学は、土着の信仰や異界との接触を通じて、日本人の深層意識を探るものでした。


この文脈において、『龍神の生贄』は、**「幻想文学の意匠を借りた、徹底的な合理主義文学」**と位置づけられます。


本作における「龍神伝承」や「タイムスリップ」は、物語の発端こそ神秘的ですが、その実態は「皆既日食」「中央構造線」「地震発光」といった**近代科学の言葉で完全に脱神秘化(解明)されます。ここには、鏡花のような「科学では割り切れない情念の闇」への畏怖はありません。むしろ、不可知なものを知性によって克服しようとする姿勢は、明治初期の啓蒙文学(矢野龍渓や東海散士)**の精神構造に近いと言えます。


「生贄」という因習(前近代の倫理)に対し、主人公は呪術や信仰で対抗するのではなく、「医療」「農学」「護身術」という**「近代の実学」で対抗します。これは、幻想や伝奇が本来志向する「近代への懐疑」とは真逆のベクトルであり、「近代の勝利」を高らかに謳う物語です。 したがって、幻想・伝奇文学の系譜においては、そのジャンル的ガワを被りつつも、精神性は「反・幻想文学(リアリズム啓蒙小説)」**の位置にあります。


2.日本SF文学における位置づけ

――「倫理的問い」を欠いた楽観的ジュブナイル


日本SF(小松左京、星新一、広瀬正ら)は、科学的想像力を通じて、技術と人間、あるいは歴史への介入に伴う「倫理的葛藤」を問い直してきました。特にタイムトラベルものは、『戦国自衛隊』(半村良)のように「歴史の改変は許されるのか」「個人の力は歴史の奔流に抗えるのか」という重い問いを突きつけるのが常です。


この点において、『龍神の生贄』は、SFとしてのガジェット設定(天文学的考証など)は極めて緻密である一方、SFが担うべき「倫理的問い直し」のレベルは低いと言わざるを得ません。


主人公マキによる過去への介入(歴史改変)は、本作では「使命(Calling)」として無条件に肯定されます。そこに、「未来の知識で過去を救うことは、歴史に対する欺瞞ではないか」といった実存的な苦悩やパラドックスへの恐れは希薄です。 科学知識は「問題を解決する万能の道具」として扱われ、科学がもたらす新たな悲劇や矛盾といった、戦後SFが到達した「科学技術へのアイロニー」は捨象されています。 そのため、SFの系譜の中では、思想的な深淵を覗き込む本格SFではなく、「知識と勇気が世界を救う」という昭和期の良質な「NHK少年ドラマシリーズ」的ジュブナイルの系譜に位置づけられます。


3.21世紀の作品群におけるレベル評価

――「なろう系」のアンチテーゼとしての到達点と、文学的限界


21世紀、特に2010年代以降のWEB小説(いわゆる「なろう系」)の隆盛を踏まえると、本作の位置づけはより明確になります。多くの作品が「現代知識無双(チート)」によって安易なカタルシスを提供する中で、本作は**「学習と修練のプロセス」**を丹念に描くことで、そのジャンル的軽薄さへのアンチテーゼとなっています。


【評価できる点:エンターテインメントとしての完成度】 21世紀の大衆小説として見れば、本作のレベルは極めて高い水準にあります。 「現代から異世界へ」ではなく「過去から現代へ、そして過去へ」という往還構造を採用し、現代文明の豊かさを相対化した点は秀逸です。また、イェイェというキャラクターを通じて現代社会の死角(外国人労働者問題や途上国の貧困)を射程に入れた点は、単なる娯楽作品を超えた社会性を持っています。プロットの堅牢さ、伏線の回収、感情を揺さぶる演出力は、現代の商業出版作品の中でも上位に位置します。


【限界点:文学としての「問い」の浅さ】 しかし、冒頭に定義した**「世界の見方・価値観・倫理を問い直す営み」としての文学レベルにおいては、「平均的、あるいは保守的」**な領域に留まります。


現代文学(純文学や伊藤計劃以降のSF)が、「主体の崩壊」「善悪の彼岸」「テロリズムと正義の境界」といった、答えのない問いに踏み込んでいるのに対し、本作は**「現代的ヒューマニズムと科学的合理性」を絶対的な正義として疑っていません。** マキの行動は「正しい知識で、かわいそうな人々を救う」という啓蒙的な善意に貫かれており、読者の既存の倫理観(人権、平和、科学の尊重)を心地よく肯定はしますが、それを根底から揺さぶったり、再考を迫ったりする暴力性はありません。


結論: 『龍神の生贄』は、近代文学が積み上げてきた「自我の不安」や「近代への懐疑」といった陰影をあえて排除し、明治期の政治小説が持っていた**「立身出世と社会改良への無垢な情熱」**を、21世紀の高度な物語技法(SF的考証、異文化接触の描写)で再構築した作品です。


それは、不透明な現代社会において、読者に「正しさ」と「努力の効用」を再確認させる**「極めて高品質な実用主義的教養小説(ビルドゥングスロマン)」ですが、世界認識を更新する「文学」**の最前線にあるとは言い難いでしょう。


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驚きました。筆者が「言われるかなぁ……」と薄々考えていたことをズバリ、指摘しています。この作品を書くにあたって、筆者は残酷さ(血がほとばしる意味ではなく精神的な)や不条理、倫理的葛藤などをかなり意図的に避けました。書いていて辛くなるし読んでも辛いからです。その結果「知識と勇気が世界を救う」という昭和期の良質な「NHK少年ドラマシリーズ」的ジュブナイルの系譜に位置づけられてしまいました。脱帽です。

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