第75話への応援コメント
完結お疲れさまでした。
先に些細な報告ですが、
第73話 頭の中で幾多の情報がチカチカ点滅しながら飛び交っい、
「飛び交い」
74 ある者は知られると都合の悪いと考えて隠蔽し、ある者は彼のために語らなかった。順がそうだ。
この「順」は「純」かなと。
今回のミステリーは、本来的な主人公と離れた位置にいる市井の人が探偵役でしたね。ある意味、好奇心の赴くままに比較的自由に調べごとが出来るキャラなので、読み手はあまりややこしい権力関係なんかに煩わされず、謎解きを楽しむことが出来たように思います。多分、より複雑さを増量しているミステリーだと、純なり佳音なりが謎解きの中心になり、時にアメリカやフランスに足を延ばし、時にピンチに遭い、時に様々な蘊蓄も交えながら、家族の再生(あるいは終焉)を目指す旅に出る、と言う形になるのでしょうが、本作はそういう雰囲気でなく、一つの殺人事件の真相に話を絞り、わりとシンプルな構成で物語を組み立てています。
どうかすると、話のポテンシャルを無理やり畳んで小さなアリバイ崩しミステリーに納めてしまったという見方も出来そうですが、私自身はこれでアリだと思います。何と言っても本作の主題は主人公である純の再生譚であり、タイトルである「パレード」の文章化そのものだったと思われるからです。なるほど、ジャンルが「現代ドラマ」になっているわけだと思いました。
モチーフが揃っているからと言ってなんでも交響曲に仕上げればいいというものでもないでしょう。シンフォニーの形式を借りた組曲でもいいはずだし、一幕もののミステリーオペラでもいいでしょう。本作はまさにミステリーの形式に仮託した世界の物語であって、まあこう書けば真顔でイエスとはおっしゃらないかも知れませんが、未来へ向かう青年に投射した、金乃さんの世界への希望への書であると読むことが出来るのではないかと思いました。
というか、ラストはさすがに強引かなと言う印象を感じないでもなかったんですけどね w。せめて、怪しい人間がアメールに接触しようとしているという話をラスト直前で示しておいて、最後にそれが授賞の関係筋だったと明らかになる、みたいな細い横線があったら――とまあ小言はともかく、タイトルのどんでん返しには思わず声が出ました。この世の地獄そのものみたいな「パレード」、世界とはそういうものだ、という苦い諦観と「それでもがんばれ」式のメッセージで幕を閉じるのかと思いきや、描いてきた修羅の絵面自体が全く別の次元で反転するようなこの仕掛け、タイトルが最後になって大化けしたような感覚すらありました。なるほど、これがやりたかったのか、と 笑。なんとも力強いラストです。細かいことを言うと色々と矛盾も出てくるんですが、まあこういう形で最後にハッピーな和音が轟いたら、観客は拍手するしかありません。
ハリウッド式のパーフェクトなめでたしめでたしではなく、むしろ強烈なアイロニーすら感じる世知辛いエンディングであるかもしれませんが、最後に「光のパレード」というフレーズで話を閉じたことにこそ、この物語の真骨頂があるように思われました。このためのプロローグであり、この主人公の半生だったのだろうなと。なんともリアリティに満ちた痛みとやりきれなさと、そして美しさに彩られた物語でした。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
この作品、主人公は郷と純ですが、それに対峙するように一時はメジャーになったものの落ちぶれた俊男と画家の道をあきらめた愁作、そして郷が名前を変えたアメールの、5人の画家を結ぶ因縁の物語でもあります。
その対比から様々な人生を、そして戦争や犯罪が人生を変えてしまうさまを描きたいと思いました。
何度も書き直しているのですが、なかなか思うようにいかないものです。
犯人捜しの部分をシンプルにしたいと思うのですが、そこで郷や純の過去を語らせていることもあり、今回のような状況です。
しばらく間を置き、リトライしたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
第64話への応援コメント
国際紛争テーマにアートミステリーをミステリーを組み合わせた長編と言うことで、興味深く拝読しています。美術方面は、私はまるっきりの素人なんですけれど、売れっ子を見出してプロデュースしていく過程とか、タイトル作品の細かい内容など読んでいくに、ほんとにこういう売れ線アーティストが今の時代に存在しそうで、いかにもこういう絵で注目を浴びそうだなという印象を受けます。
登場人物も、毎度のクズ男を含む 笑 リアリティの高いキャラの多人数視点で、読みごたえがありますね。まだ中盤ぐらいなんでしょうか? ようやく連載に追い付いたところですので、この先も一話一話楽しみに――
と思っていたら、さらに別の連載が始まっているのに最近気づいて、愕然としました w。今年は夏以降、はるか先に金乃さんの背中を遠望してばかりでしたね。まあ、もう一作の方はおいおいということで。
またしてもまとめてで失礼しますが、ここまでで気づいた表記上のことなど。
第5話 ダ・ヴィンチ自信を女性に描いた自画像だという話まである。
「自身」
第18話 純からキャンバスを取った明菜が口を開く。
「明佳」ですかね?
第20話 昔から、芸術家は世間とずれっているっていうけど、
「ずれているって」
第25話 話の風向きが可笑しいと思った。
ここは「奇怪しい」か、「おかしい」のままの表記がより適切かと
第39話 彼女は、彼の関心を飼おうというのか、
「歓心を買おう」か、「関心を引こう」かかなと
第52話 純は、両手で水を救って飲んだ。
「掬って」
第53話 そんな人のために、お母さんが幸せを不意にするなんてことが、
辞書だとひらがなで「ふいにする」だそうで
第59話 大樹がカウンターに手を着いて身を乗り出し、
「突いて」
第63話 ゲイと芸術の素養には共通点がるという研究がある。
「共通点があるという」
何か、掛けたピースがある。
「欠けた」かなと
作者からの返信
コメント、並びに誤字脱字等の指摘、本当にありがとうございます。<m(__)m>
この作品を書いたきっかけに、何かのドキュメント番組で優れた芸術家には〝ゲイ〟が多いという研究がある、と報じていたことがあります。
もし両親が子供を芸術家にするために〝ゲイ〟に誘導することがあるだろうか?
そんなことを考えながら書きました。実際のところは、ゲイに関わる表現は抑えてしまった……。それは児童虐待でもあって、書ききる胆力が私にはありませんでした。
さて、この物語、すでに終盤です。いまから一気に解決に進みます。このラスト、私自身、とても気に入っているラストシーンになります。
並行している作品は、すでに読んでいただいた作品の構成を変え、後半を中心に手をくわえたものです。さらりと読んでいただけると思います。
これからもご贔屓に、よろしくお願いいたします。
第51話への応援コメント
謝罪と赦しを乞うことは、実は真逆なんですね。
純と美寒のやり取りを読んでいて、改めて気付かされました。
赦しを乞うのは謝罪するべき相手に更に要求してる訳ですし。
「許していただけるまで謝り続ける」なんてのは一見殊勝そうだけど脅迫ですね、もはや。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
〝赦しを乞う〟ことが、時に暴力だと気づいたのは、この小説を書いたころでした。何らかの事件があって、テレビで謝罪する加害者を視たのだったと思います。
乞われて〝拒絶〟できる人はまだしも、虐げられて拒絶する力を持たない人々、あるいは、優しい人々は、形式的には許します。
その実、心底そうしているのではない。
赦さなければならない、という社会的な圧力のために赦している。再び己を傷つけて……。
主人公はそうした人間でした。
そのことに気づいていただき、作者として嬉しいです。(#^.^#)
最後までご贔屓に、よろしくお願いいたします。(^^ゞ