第11話 煙草の男


駅の時計は動いている。

時間は進んでいるのに、日付だけが取り残されている。


そのとき、視界の端で黒い影が動いた。


黒いスーツ。

赤いネクタイ。

アタッシュケースを持った痩せた男。


喫煙所で煙草を吸いながら、世界の一部のように自然に立っていた。


誰にも見られていない。

なのに、自分だけが気づいてしまったような、変な存在感だった。


昨日も見たような気がする。


いや、もっと前からずっとそこにいたような気すらする。


『……誰だ、あれ。』


男が視線だけこちらに向けた。


無表情なのに、

その目は“俺を知っている”目だった。


心臓が一度だけ強く脈打つ。


目をそらしても、視線だけが刺さるように残った。


まるで昨日からずっと、

俺が気づくのを待っていたような視線だった。


胸の奥の鉛の玉が、さらに沈む。


この違和感の正体を知るのは、

もう少し先の話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る