寵姫は毒を喰らう。
花籠しずく
第1話
これは賭けだった。誰にも言わない、たったひとりで、決め込んだ賭けだ。
この治療が失敗したら、母と同じ陵に自ら入る。もし成功したら、すべてを受け入れて、生きる。生きる苦痛を受け入れる。そうして、あの人の治世を支えていくのだ。
「それでは、診察をはじめさせていただきます」
父は麗凜を麗凜と呼んだことはなかった。母の名前である、麗華、と呼ぶ。そうでなければ、「お前」、それだけだ。
「麗華よ、なぜ琴の一つも満足に弾けぬのだ。お前は余にその琴の音をよく聞かせてくれたではないか」
豪奢な部屋の中心には、父と骨が座っている。骨は母だったものだ。まだ、母かもしれない。ただ、一国の皇后だった存在とはいえ、骨に着せるにはひどく豪奢な衣装をまとい、骨がばらばらにならないように縛られ、父に寄り掛かるだけのそれは、いくら娘といえども麗凜の心を強張らせる。
「申し訳ありません」
「やはり、あの時麗華の進言を跳ねのけ、お前を後宮に、公主として置き続けた方が良かったのだ。薬の知識などあっても、余には侍医も薬師もいる。お前には琴を習わせた方が良かった」
父は骨の手を撫でる。まだ腐臭がするように思うのは、気のせいだろうか。
麗凜は碧霄国の皇帝である父、朱光耀の娘である。母の麗華は下級妃どころか、下級妃に仕える女官であったのに関わらず、その美しさのみを以て、光耀に気に入られ、寵姫となった。宮中の妬み嫉みの中心となった麗華と、生まれてくる子を守るため、懐妊から出産まではすべて秘密にされ、麗凜は生まれてすぐ、麗華の生家である薬師の家に預けられた。麗凜は己が公主であることすら知らず、薬師として生きるつもりで、都の隅で細々と生活していたのだが、麗華の急死により、生活は一変する。ほとんど拉致される形で、後宮に連れ戻されたのだ。それ以降ずっと、麗凜は母の代わりとして振舞うことを要求されている。
母は纏足でも、可憐な舞を披露することが出来たというが、麗凜はゆっくりと歩くだけでやっとだ。少しでも片足に体重をかけすぎると、すぐに転んで、しばらくは足が使い物にならなくなる。女の足を折り、小さくなるように縛るそれは、碧霄国の広い範囲に浸透しているけれど、女の生活を不自由にさせる。それでも男は女の折られた足をうつくしいと言うし、麗凜自身、そこまで小さくのない足を気にしているのだから、不思議なものだ。
舞が出来ないのなら花を活けよ。それも出来ないのなら琴を。それも出来ないのなら、もう、身体を差し出してもらう他なかろうよ。嫌ならば、琴を。せめて麗華が奏でた琴を、お前も奏でよ……。そう言われて、死に物狂いで琴を練習していたのだが、ある時、ふと、琴が上達すれば、それこそ母に似て、父に手籠めにされるのではないか、と気が付いた。父は母を蘇らせるために、莫大な金を使って呪術師を集め、民草を犠牲にしている。それほどに狂っている。ならば、母に似るようになったら、それこそ麗華として手籠めにされてしまう。そう思った時に、麗凜の心から、何か大事なものが零れ落ちてしまったような気がする。
もう何をしても、無駄だ。己の生き方というものは見つからない。そういう、諦念だった。
「顔だけは麗華に似て美しいのに、どうして同じ者に育てさせたのにこうも所作が違う」
「申し訳ありません」
「謝ることしか出来ぬのかッ」
父が立ち上がる。殴られる、と覚悟した時、部屋の明かりがふっと消えた。父が麗凜と会っている間は、必ず麗凜の宮殿は人払いがされる。部屋の明かりを消す人もいないし、自然に消えるほどの風も吹きこんでいない。そう思って辺りを見回した時、剣が鞘から引き抜かれる、冷たい音がした。
反逆軍だ。そう察するのは容易く、麗凜は目を閉じた。ああ、これでやっと死ねるわ――。
どたばたと足音が過ぎ、父の断末魔の声がし、血が降り注ぐ。そんな様子がうかがえる、むせかえるような匂いのする暗闇の中に、いつまでたっても麗華の命を絶つ音はしなかった。
「朱麗華だな」
聞き覚えのある声だと思ったのに、どこで聞いた声なのか、思い出せない。目を開けると、暗闇の中、精悍な顔立ちの青年が立っている。その勇ましさの内側に、牡丹の花を思わせる華やかさがあると、麗凜は場違いにも思った。
「ええ。反逆、ならば。血を引くものすべてを殺すのでしょう。覚悟は出来ております」
「お前は公主として育てられていないと聞くが」
「その通りにございます。私は薬師の祖父の元、女でもひとりで生きられるようと願われ、薬師として育てられました。私が公主であったと知ったのも、つい最近のこと。しかしそれでもまた、血筋というものですから、定めでありましょう」
すらすらと、嘘が出てくる。血筋というものは仕方ないと思っているのは、建前でしかないのに。麗凜がやわく微笑みかけると、彼は顔をしかめた。
「俺は死にたがるやつを殺すのは、つまらんと思っている」
「お気に召しませんでしたか。では生きたがってみせましょう」
「存外に口が達者だ」
男は蝋燭に火をつけ、麗凜の顔に近づける。
「噂の通り、ほんとうに美しいな。母が傾国の美女なだけある」
ちり、と胸の奥で何かが揺らめいた。母の顔は終ぞ知らぬままではあったが、母を悪く言われるのは、許せなかった。
「いいぞ、その顔だ。――朱麗凜。俺の後宮に入れ」
思わず、顔をしかめる。聞き間違えたかと思った。
「俺はこれより皇帝になった、朱太白である。麗凜、お前を俺の妻とする。いずれ皇后になるつもりで、貴妃になれ」
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