26.三郎左衛門の提案(悲鳴をあげる侍女ら)

 天文二十一年六月二日。

 隣の部屋のもの音が聞こえ、俺はゆっくりと目を覚ます。

 布団が身を起こすと襖が開き、寝ずのさくらが顔を出した。


「おはようございます」

「おはよう」

「まず、少し早いですが起床されますか」

「あぁ、そうする。というか、何かあったか」

「はい。楓らが無事に戻ってきました。加藤殿らは別邸の講堂で一眠りするそうです」

「犠牲者は?」

「ございません。怪我人はおりますが、十日ほどで完治できるそうです」

 

 よし!

 俺は小さくガッツポーズを取った。

 犠牲者なしが大きい。

 相手は今川-義元に雇われた藤林-長門守が率いる伊賀衆だ。

 伊賀三大勢力の一ツである。

 俺は召し抱えた音羽おとは家を頼りに伊賀惣国一揆の代表格の百地家を味方に付けた。

 また、知多の千賀家から千賀地を拠点とする服部家とも協定を結んである。

 元々、俺が生まれる前の“守山崩れ” で服部集の多くが路頭に彷徨っており、その一部が根付いたのが知多の千賀家であった。

 当主保長やすながは松平家から領地を頂いており、保長派が今川方、伊賀服部家が織田方と別れて活動している。

 親兄弟でも敵味方に別れて戦うのが当り前だ。

 寧ろ、小さい領主は敵・味方に別れ、どちらが勝っても家が残るように計らう。

 服部家の伊賀者の被害が小さいことを祈りながら、尾張甲賀衆に被害がないと聞いて胸を撫で下ろした。

 さくらは頬に手を当て、うっとりした目で俺を見ていた。


「何だ。俺の顔に何か付いているか」

「いいえ、若様はそのままでいて下さい」

「何の事だ?」

「気にしないで下さい。直ちにお召し物を変えます。皆さん、やりますよ」


 さくらの後ろから覗いていた侍女らが部屋に入ってきた。

 手際よく着せ替えさせてもった。

 今日もさくら達が楽しそうにしている。

 森家がさくらを欲しいと言ってきたが、さくらが拒絶した。

 俺に仕えた儘がいいそうだ。

 本人が望まないならば、無理に嫁がせるつもりない。


 朝練からはじまり、朝食を取って、書類仕事だ。

 楓らは疲れ果てたのか、まだ起きて来ない。

 俺は千代女に地下の倉庫から蒸留酒を寝かせている樽の一つを別邸に運ぶように命じた。

 五年か、十年。

 いい感じになった所で帝に献上する予定だ。

 昨日は森隊が別邸の講堂で少々の酒付きで昼食を振る舞った。

 居座りそうな森-可行に「兄上に報告がまだです」と言い張って夕方前に追い出した。

 一人で何升飲むつもりだ。

 森隊に振る舞って、身内の加藤らや甲賀衆と伊賀衆を労わない訳にいかない。

 昼からも書類と向き合った。

 熱田神宮は五日に『尚武祭しょうぶさい』という大祭があり、月初めのバイトはお休みだ。尚武祭は“武をたっとぶ”という意味であり、『武運長久、国家鎮護、武家繁栄』を祈る。

 草薙剣を祀るのが俺の仕事となっている。

 本来、大宮司がやるのだが、神官の満場一致で俺に決まった。

 末森、那古野、守山、勝幡などの家老が参列し、帝の勅使までやってくる行事だ。

 皆が頭を下げる前を、大宮司千秋季忠の後ろから俺が草薙剣を持って前を通って本殿へ入る。

 母上も参加したいと、季忠に頼んだが断られた。

 当日、俺の侍女に紛れ込み、巫女服で遠くの廊下から見るそうだ。

 俺の侍女に紛れるとか、止めて下さい。

 これじゃ、授業参観だ。

 

 夕方、宴会前に労いをいう為に別邸の講堂に移動した。

 無礼講だ。ざっくばらんにやってくれ。

 楓が借りてきた猫のように大人しい。


「楓、ご苦労だった」

「若様。死ぬかと思いました」

「そうなのか」

「最初の二日間はよかったのです。こっちが手動で敵の伊賀衆を翻弄していました」

「そう聞いている」

「三日目から地獄です。敵が北、西、南から押し寄せ。敵を引き付けて逃げました。でも、加藤が私だけ敵の真ん中を抜けてから迂回しろとか。何度、死ぬかと思いました」

「無茶をさせられたか」

「あははは、大丈夫です。厄介そうな敵がいないことを確認した上で命じました。出来ぬ命令など致しません」

 

 ただ逃げるだけでは陽動にならない。

 程良く反撃をして、敵の大将をからかう。

 加藤は大将を襲い失敗した振りをして反転し、足の速い楓らは敵の小隊の間を抜け、背後から次の集合場所に向かう。


「大したことはないと言っても、敵にも忍びの心得を持つ者はいます。それも一人二人ではなく、沢山。一対一なら余裕ですが、追っ手の兵から逃げながら忍びの攻撃を躱して逃亡とか無茶ですよ」

「実際にできたではないか」

「一歩間違えば、死んでいました」

「問題ない。儂はできると見込んでおった」


 全員無事と聞いて安心したが、かなり無茶をやっていた。

 加藤の目が怪しく光った。


「やはり実践が一番ですな。訓練ではこうは著しい成長は見込めません」

「そ、そうか」

「このまま侍女と小者を鍛え直しましょう。山口勢はちょうどよい相手だ」

「このまま楓を使うという意味か」

「いいえ、他も者も鍛え直しましょう。実践が一番です」


 楓が俺の裾を掴んで首を横に振っていた。

 余程怖かったらしい。


「駄目だとおっしゃるならば、訓練の練度を上げるしかありません。手加減をギリギリまで省き、下手をすれば儂に殺される。もちろん、その中に魯坊丸様も含まれます」

「怪我では済まんのか」

「怪我で済むと思えば、油断となります。刃先がグイっと魯坊丸様を貫く程度はお覚悟下され」

「グイっとだと」

「急所は外しますので十日ほど寝込む程度でしょう。但し、痛みで寝ることができるかは知りません」


 加藤が怖いことをいう。

 要するに、侍女らを鍛える為に実践させろと言っている。

 楓がまだ首を横に振っていた。

 千代女は「仕方ありません」と諦めた。


「加藤。一つだけ条件がある。誰も死なせるな」

「もちろんです。殺させるつもりなどありません。但し、間抜けが自業自得で自滅した場合は知りません。そこまで責任は持てません」

「そこは責任を持って欲しいな」

「魯坊丸様の侍女には馬鹿がおります。一人で百人の敵を叩きのめすとか突っ込まれては、儂も手助けできる範囲を超えます」


 加藤がそういうと、チラリとさくらの方を見た。

 俺と一緒にきた紅葉らは息を潜めて、俺と加藤の会話を聞いていたが、さくらだけで机のご馳走に目が眩んだらしく、椅子に座って豪快に食べていた。

 加藤の言葉を歪曲し、百人の敵に一人で突撃するさくらの姿が脳裡に走った。

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