第五章『一抹の希望と裏切り』

『立ち止まれない願い』


 どうすればいいのか分からなかった。

 母屋から作業場に逃げ込んで、ウィジットは頭を抱えていた。

 クロクロムの眼を見て察してしまったのだ。

(彼は、僕が【寿命泥棒】だと確信している!)

 だとしたら何故、ウィジットを自由の身にしているのか。

 捕らえるならばさっさと捕えればいいものを、何故泳がしておくのか?

(【ブレイカー】を誘き出そうとしているのか?)

 単純に考えればその可能性が高いように思えた。

 だが、クロクロムたちの正体を打ち明けられる前に【ブレイカー】は姿を消していた。

 そこから導き出される考えは、クロクロムが傍にいる以上【ブレイカー】が戻ってくることはないということ。

 そんなこと、ウィジットですら思い浮かぶというのに、クロクロムが分からないはずがない。

 それでも傍にいようとする理由をウィジットは考えた。考えに考えた。

 何故、捕えるでもなく、正体を看破するでもなく、見張り続けるとだけ宣言するのだろうかと。

 その時ふと、ある言葉が頭の中に蘇った。


――本来、【寿命泥棒】が狙う【生命時計】は、もっと余命のあるものです。それを奪い、己の寿命を延ばすために使うのですから、どうしてあなたを狙ったのか。


 お陰で唐突に理解する。

「……もしかして、本当に僕がただの標的だと思っているのか?」――と。

 ある意味、仕方のないことなのかもしれないとさえ思った。

 これまでの【寿命泥棒】たちは、短命であることを嘆き、自身の寿命を延ばすために他者の【生命時計】を奪っていたと言うのだから。

「だからあの時、真っ先に【生命時計】を調べられたのか?」

 だが、ウィジットの【生命時計】の余命は一年を切っていた。

 もしもウィジットが【寿命泥棒】であれば、まだ他の【生命時計】を奪っていないということになり、クロクロムの言い分を通すのであれば、その時点で【ブレイカー】はウィジットを置いて逃げたりはしないということ。

 だからこそクロクロムはあの乱暴者の方を【寿命泥棒】と認識したはずだった。

 だとしても、よくよくその男の【生命時計】を確かめれば、【寿命泥棒】ではないと分かるはず。

 故に、クロクロムは困惑しているのではないかと。

「それとも、寿命の延びていない僕と、あの男。どちらが【寿命泥棒】なのか分からないのか?

 だからあいつは、捕えて収容したあの男じゃなく、僕のことを見張りに来たのか? だとすれば」

 絶望的だったこの状況を変えられるかもしれないと、ウィジットは思い至った。

「【ブレイカー】は、クロクロムたちがいるから現れない。そして、クロクロムたちは僕から離れるつもりはない。だったら、僕がクロクロムたちを連れてここから離れれば、【ブレイカー】自身が【生命時計】を奪って来てミッティを目覚めさせてくれるかもしれない」

 可能性はあると思えた。

 クロクロムにウィジットが【寿命泥棒】だという確信はない。

【ブレイカー】ですら、【寿命泥棒】の力を人形のために使う人間など出会ったことなどないと言うのだから、寿命の延びていないウィジットと、逃げおおせた【ブレイカー】が結びつくはずがない。

(行ける! やれる!)

 問題は、

「……【ブレイカー】にどうやって僕の考えを伝えればいいんだろう?」

 日中に気配がなく、日が沈んでからも姿を現さない。

 もしも本当に見捨てられてしまっていれば、何もかもが無駄になる。

 芽生えかけた希望が、瞬く間に闇に呑まれるような暗澹たる気持ちになり、ウィジットは再び頭を抱えた。

 不安で不安で堪らなかった。いつもずっと傍にいた温もりが消えてしまったことが落ち着かなかった。

 あの声が聴きたかった。

 あの温もりを感じたかった。

 見捨てられてなどいないと信じたかった。

 様子を見ているだけだと思っていたかった。

【ブレイカー】が自分の代わりにミッティを生き返らせてくれると。

 縋るような気持ちで祈った。

 だが、何一つ保証されるものがないという事実に、不安を拭うことができなかった。

 協力するとは言ってくれたが、その意味を深く考えて来なかった。

 こんなことになるとは思っていなかったのだから当然だが、こうなって初めて、【ブレイカー】のことを何も知らないことに思い至った。

 クロクロムは言っていた。【ブレイカー】は世界の秩序を乱すものだと。

 事実、そうだった。

 もしも人々が一斉に相手の寿命を奪い合うようになったなら……。

「僕だって実行しているんだ。やらないわけがない……」

 今はまだ、【ブレイカー】の存在が認知されていないため噂にすらなっていないが、もしも人々が【ブレイカー】の存在を認知してしまえば、人々はきっと疑心暗鬼に陥ると思えた。

「そんな力を利用していた……」

 今更のように怖気が走った。

 寿命を延ばしたいと願う人間はもっと沢山いる。

 それなのに、ウィジットは命無き人形に命を芽生えさせるために、【ブレイカー】の力を利用している。

 いいのだろうか――と、今更のように疑問が湧いた。

 ただでさえ禁忌に触れているというのに、その使い道が人形を人間に変え、自分が安らかな死を迎えるためという理由で使っている。

 クロクロムは言っていた。【ブレイカー】が出現するのはひとりだけだと。

 一度に複数出現することは今のところないと。

 だとすれば、どこかの誰かが寿命を延ばすチャンスを、自分が奪っているのではないのかと。

(やめるべきなのか?)

 泣きたくなるような気持ちで思ってしまった。

(諦めるべきなのか?)

 あと二人分で目的が叶うというのに。

(これは罰なのか?)

 触れてはならない禁忌に触れてしまったから……。

(それでも……)

 ウィジットの脳裏にはひまわりのように晴れやかな笑顔のミッティが蘇っていた。

 たった八歳でこの世を去ったミッティ。

 それでも精いっぱい自分たちのことを愛してくれた可愛い妹。

 その声が蘇る。

 幼過ぎて、死ぬということがどういう事かも解らなかったのかもしれない。

 怖がって、泣いている姿を見たことがなかった。

 何一つ、思い残すことはないとばかりに、幸せな笑顔を浮かべて眠るように死んで行った。

 嘆き悲しみ苦しんだのは、ウィジットたちの方だった。

 堪え切れずに涙するウィジットたちの頭を撫でて、ミッティは『大丈夫』だと慰めていた。

 優しい妹だった。誰よりも家族を支えてくれた妹だった。

 その妹を失って、家族が壊れた。

(取り戻したい……)

 歯を食いしばって、拳を握って、強く強くウィジットは思った。

 自分が間違ったことをしている自覚はある。

 人形が動いたところで、ミッティが帰ってくるわけではない。

 だとしても、

(動くミッティを取り戻せれば、少なくとも母さんは戻って来る)

 保証はない。何一つ保証はない。

 今までと同じように、一時だけかもしれない。

 それでも、

「僕は、僕が長生きすることよりも、僕が望んだ終わりを迎えるために――」

 ――命を狩る。

 その目には覚悟が宿っていた。

 止めるわけにはいかなかった。

 今更止めるわけにはいかなかった。

 あと二人分だった。

 やり遂げなければならなかった。

 そうしなければ無駄になる。正真正銘無駄になる。

(殺され損にだけはしてはいけない)

 おかしな正義感だということは百も承知だった。

 自分が正しいとは欠片も思っていなかった。

 自分は間違っている。自覚はある。

 でも、止められない。やめられない。やり遂げなければならない。

 信じるしかないと思った。

 やってくれると思うしかなかった。

【ブレイカー】が姿を現さないのは、ウィジットが作業場に籠り続けていたから。

 どんな意図かは分からないが、ウィジットのことをつけていたクロクロムも傍にずっといたのだろう。

 故に【ブレイカー】は姿を現すことができなかった。

(クロクロムたちをこの場所から引き離す)

 一種の賭けだった。いや、賭け以外の何物でもなかった。

 引き離したところで【ブレイカー】が【生命時計】を持って来てくれるとは限らない。

 そんなことをしてくれる理由などどこにもないのだから。

 もしかしたら、既に【ブレイカー】はウィジットを見限って他の人間の願いを叶えに行っているかもしれない。

 それでも、試すことしかできなかった。

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