8. 届けられた招待状
またも遊びに来ていたシルファは、なんとかしてバークに芸を仕込もうとしていた。
「ほーら、バーク、こっちにおいでー。怖くない、怖くないわよー。私と一緒にもっとお利口さんになりましょうねー」
シルファの猫なで声に対するバークの答えは無言の逃走だった。
すっかり懐いたバークだが、芸の訓練だけは嫌なようで各種の道具まで持ち込んだシルファからはせっせと逃げ回っている。
呆れ顔でリーガンが眺めていると、小屋の扉がノックされた。
リーガンは即座に警戒態勢に入った。
この墓地の存在そのものは公にされている。地図にも載っているし、グレイヴィシア王国の公文書館にもきちんとした記録がある。当然のことながら墓地に関する記録――特にそこに眠る死者が誰なのかについては完璧な偽装が施されていた。
ここに埋められているのは、グレイヴィシア王国の『正式な』記録の上にしか存在しない六人の人物となっている。
真実を知るのは人造勇者計画の関係者のみ。見知らぬ誰かがこの墓地を訪れることなどまずあり得ない。
シルファには部屋の隅に隠れるように言って、慎重に小屋の扉を開けた。
外に立っていたのは上等なお仕着せに身を包んだ使用人風の若い男だった。
「どちら様だろう?」
リーガンが尋ねると若い男は明るい笑顔を見せた。
どこからどう見ても無警戒で友好的な態度だ。とてもではないが何かしらの企みがあるようには見えない。とはいえ、まだ相手の正体は不明だ。
油断することなく上等な服を着た若い男を観察していたが、男は形式張った態度で自分がとある人物の使者であることを説明して、すっと手紙を差し出した。
その手紙を受け取ると、使者はすぐに帰って行った。彼の姿が見えなくなってから、リーガンは封蝋を開けて手紙を読み始めた。
「おじさま? 一体なんだったの?」
顔を出したシルファが少し心配そうに聞いてきた。
手紙を破り捨てたくなるのを堪えていたせいで、質問に答えられなかった。
「どうしたの? そんなに恐い顔して……」
シルファは不安げにリーガンの手の中の手紙を見つめる。
「その封蝋……ラバン伯爵家のものね」
シルファの声は不自然なほどに平板だった。
彼女の言うとおり、手紙はあの日、シルファを罠にかけたオルフ・ラバンからだった。
「おじさま、私にも見せて」
「……わかった」
リーガンはシルファの要求をはねつけることが出来なかった。
必死に震えを隠そうとしているシルファに手紙を渡す。
「……狩猟中の……事故ですって……」
手紙を読むとシルファは絞り出すように言った。
オルフからの手紙には、自分たち四人が狩猟中に熊に襲われていたところを助けてくれたことに対するリーガンへの感謝の言葉が綴られていた。
オルフは自分たちが負傷したのを誤魔化すために、運悪く熊に襲われたことにしたのだ。そして、手紙の中ではオルフ達が怪我をしたのは、どうしても狩りについて行きたいと懇願したシルファを、熊から守ろうとしたためということになっていた。
「あいつらは熊を追い払ってくれた俺を晩餐会に招待したいんだそうだ」
リーガンが言った。
オルフからの手紙には晩餐会への招待状もついていた。
「この手紙によるとその晩餐会には私も招待することになっているらしいわね。私共々おじさまにお礼を言いたいそうよ。今頃は私の家にも招待状が届いているんでしょうね」
シルファは笑っていた。しかし、その両手は手紙を固く握りしめている。
リーガンはここ数年感じたことがないほど激しい怒りを覚えていた。
見下げ果てた奴だ。こんなやり方で自分の悪事をなかったことにしようとするとは。
「すまない、シルファ。ナイフを突きつけるだけで止めてしまったのは失敗だった」
「ううん。そんなことないわ」
リーガンは驚いてシルファを見た。
「私、晩餐会に出る」
「馬鹿なことを言うな」
厳しい声でシルファをたしなめた。
この少女はあんな輩とは二度と関わり合いになるべきじゃない。
とはいえ、この件でシルファのために出来ることはなにもなかった。
仮にオルフたちを告発するとなれば、どうしたってシルファは好奇の目にさらされる。相手はこのグレイヴィシア王国の伯爵家の跡取りなのだ。手下の二人も家柄はいいに違いない。
加えて、シルファの側に立って証言するのは小さな墓地の墓守ひとりだ。オルフたちの手にかかれば、どこの誰とも知れない墓守の証言などあっさり覆されてしまうに違いない。
もちろん、リーガンが人造勇者なのを公にすれば話は変わる。しかし、そんな真似をしたらもはや告発どころではなくなってしまう。グレイヴィシアは大混乱に陥るだろう。
正体を明かすことは出来ない。だが、この少女をこれ以上苦しめることは絶対にあってはならない。リーガンはそれだけは固く心に決めていた。
しかし、シルファは挑みかかるような勝ち気な態度を崩さなかった。
「だって面白いじゃない。あいつらがおじさまに頭を下げて感謝してくれるのよ。そんな場面が見られるなら私は喜んで出席するわ」
「無理をするな」
「無理なんてしてないわ。大丈夫よ。おじさまと一緒なら、あんな奴らなんてなにも恐くない」
そう語るシルファは虚勢を張っているようには見えなかった。
「……まったく、大したお嬢様だ」
リーガンは嘆息した。
どうも自分はシルファを見誤っていたようだ。もちろん負けん気が強いのはよく知っているが、彼女には勇気がある。
彼らと同じように。
「おじさまもようやく私の魅力がわかったみたいね」
シルファはにやりと笑った。
「調子に乗るんじゃない」
そう言って、リーガンはシルファの額を軽く小突いた。
「もう! 淑女にはそれ相応の扱いというものが――」
「シルファ、俺が必ずお前を守る」
唇をとがらせて不満そうな顔をするシルファに、リーガンは言った。
その言葉を聞いたシルファは少しの間ぽかんとしていたが、姿勢を正すと穏やかな笑みを浮かべた。
「はい。信じています。リーガンおじさま」
シルファの足下でバークが一声吠える。
バークの吠え声は力強かった。この老犬も加勢してくれるようだ。
「もちろんあなたのことも頼りにしてるわよ、バーク。でも、今回はおじさまに手柄を譲ってあげて」
シルファはくすくす笑ってバークを撫でてやっていた。
いつもなら飛び跳ねて喜ぶバークだが、今回は不服そうだった。
「そんな顔をするな。晩餐会の豪勢な料理を適当にかっぱらってきてやるから」
そう言ってやると、バークは尻尾を振ってよだれを垂らした。
それを見たシルファは声を上げて笑った。
リーガンも、いつの間にか自分が笑みを浮かべていたことに気づいたのだった。
そんななか、不意にシルファがはっとなってリーガンを見た。
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