4. 墓守の務め

 初めてこの墓地に来たあの日から、二十年が過ぎた。


 日の出とともに目を覚ましたリーガンは、質素なベッドから起きあがると手早く着替えて墓地に併設された小屋を出た。


 二十年のうちに外壁や屋根には汚れや傷がいくつも出来ていたが、それでもスミスが建ててくれたこの小屋はリーガンの生活を支えてくれていた。


 朝のひんやりした空気を吸い込み、鋭く口笛を鳴らす。


 小屋の隣の古びた犬小屋から、年老いた茶色の犬が飛び出してきた。


「いくぞ、バーク」


 今日もいつもと同じように声をかけた。老犬となったバークもまた、いつもと同じように一声吠えた。


 まず小屋から少し離れた小川まで歩いていき、バケツに水を汲んで墓地に戻る。

 まばらな木々に囲まれた小さな墓地には、名前の記されていない白い墓石が六つ並んでいる。


 はじめのうちはこれが彼らだということを受け入れられていなかった。


 何かの拍子にふっと戻ってきて、また会えるんじゃないか。かつてのリーガンはそんな風に考えていた。


 目の前で彼らが死んでいったにも関わらず、そんな風に思っていたのは今のリーガンからすると不思議なことだった。


 ここに墓がある。そして、彼らはここで眠っている。


 それを自然なこととして受け入れられたのが一体いつなのかはっきりとは思い出せない。だが、リーガンがやることは二十年経っても何も変わらない。


 川からくんできた水を使って墓石を洗い、丁寧に磨く。それが終わったら六つ並んだ墓の前に立ち、目を閉じて祈りを捧げる。


 いつもはひっきりなしに吠えているバークも、このときだけはおとなしくしている。


 祈りを終えたリーガンが目を開けるとバークが吠えた。


「お前も年をとったな」


 昔はバークが吠えると耳が痛くなるほどだった。しかし、月日が経つうちにバークの声はだんだんと小さくなってきていた。


「それは俺も同じか」


 リーガンは二十年前にはなかった長く伸びたあごひげをなでた。


 体は元々鍛えていた。墓守になってからも一応鍛錬は続けている。


 それに加えて人造勇者として肉体を改造したこともあり、大柄で引き締まった体躯は今も昔と変わらない。ただ、変わった部分も確実にあった。


 彼らのことを忘れるなどありえないと思っていた。いつまでも鮮明に、彼らの記憶が自分の中で生き続けるのだと確信していた。


 しかし、二十年という時間は想像していたよりも長かった。


 いつの間にか、リーガンは彼らの声をはっきりとは思い出せなくなっていた。


 人はまず死者の声を忘れ、次に顔を忘れ、最後に思い出を忘れるのだという。


「あれだけ体中をいじくり回してもまだ人間でいられるとはな」


 苦笑しながらつぶやいた。


 皮肉を感じずにはいられなかった。極めて強力な薬物や禁忌とされる魔法を次から次へと使い、挙げ句の果てには人間が決して持ち得ない『異能』まで植え付けたというのに、自分の体は普通の人間と同じ道をたどっているのだ。


 彼らが知ったらどう思うだろう。笑うだろうか。俺と同じように。


 そんなことを考えていたが、ふとバークが不思議そうな顔でこちらを見ているのに気づいた。


「なんでもない。さてと、今日は森に行くか。そろそろ薪に使えそうな木を集めておいた方がいいだろう」


 今日の予定を話してやったが、バークはまるで聞いていない。どういうわけか、老犬は明後日の方向をじっと見つめていた。


 声をかけようとしたがバークが勢いよく駆け出す方が早かった。


「おい! 待て! バーク! 戻ってこい!」


 強く命じたものの、バークは止まる素振りすら見せずに森の中へ突っ込んでいく。


「バカ犬め……朝飯は抜きだからな……」


 舌打ちするとリーガンも後を追って森の中へと入っていった。



 人造勇者の超人的な身体能力と魔力、そして最大の武器である『異能』は二十年前にアルニーアとエルニーアに封じてもらっている。


 とはいえ、バークを追いかける程度は全く苦にならなかった。


 茂みをかき分けて進み、地面から飛び出た太い木の根を飛び越える。


 未だリーガンの前をゆくバークは、わき目もふらずにひたすら走り続けている。


 引き離されはしなかったが大柄な体は森の中で犬と追いかけっこをするには不向きだ。老犬相手とはいえ差はなかなか縮まらなかった。


「全く、何だっていうんだ……」


 苛立ちながらも走り続ける。バークが易々とくぐり抜けていった濃い茂みをかき分けると、開けた場所に出た。


 そこには両手を後ろで縛られ、猿ぐつわをかませられた少女がいた。


 そんな状態にも関わらず、少女はしっかりと両足で立っており、自分を取り囲む三人の若い男たちを鋭い目でにらんでいる。


 四人とも身なりはよかった。上等そうな狩猟用の服を身につけている。少女も含めてだ。


 リーガンはすぐに大体の状況を察した。そして、バークはすでに三人組の一人に飛びかかっていた。


 両手を縛られた少女に襲いかかろうとしていた若い男の右手に、バークが噛みつく。老犬は吠えて警告してやったりはしなかった。


「な、なんだ、お前は! 放せ! 放せこのバカ犬!」


 若い男はバークを振り払おうと必死に右手を振っていたが、バークは決して離れようとしない。若い男の右手から血が滴り始めていた。


 この男がリーダーなのだろう。その証拠に、残りの二人はおろおろと狼狽えるだけだった。


「バーク、離してやれ」


 リーガンが言うとバークはあっさりと若者から離れた。そうしてリーガンの足下まで戻って来た老犬は地面に座り、誇らしげな顔をして見せた。


「すまんな。こいつは老いぼれなんだ」


 若者にそう言ってやりながら、見事な働きをしてくれた古い友を撫でてやった。バークは満足そうに目を細めていた。


「舐めやがって! ヨネス! ラミー! そのオヤジを押さえつけろ!」


 バークに噛まれた若い男が残りの二人に怒鳴る。命じられた二人は顔を見合わせた。押さえつけるだけならいいだろう、とでも思ったのか、互いにうなずき合うと命令に従ってこっちに向かってきた。

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