失われた異世界
音無來春
第1話
この世界に月は二つある。
茶色い帽子をかぶり、探検リュックを背負ったぼくは、古代遺跡に立ち入った。
冷んやりとした夜風が頬を刺す。 水筒に入った水を一口、喉を潤して汗を拭う。
ストーンサークルが三つ立ち並ぶその上に、綺麗な月が仲良く並んでいる。
「……日当たり良好」
晴れてなければ月は見えない。
ぼくはリュックの中の望遠鏡を取り出し、手早く組み立てる。そしてサークルの中心で、二つの月のちょうど中間点を覗きこむ。
方角、位置、角度。全てがピッタリ当てはまる。
「やっぱりここが、天空の塔のあった場所」
人類が空を失って千年の月日が流れた。神が死に、塔が倒れ、人々は魔法を失った。
ここはかつて魔法文明があった跡地。
太古に残された浮遊都市の残骸。
「くあああぁぁぁぁ! よかったぁ!」
どっかりと仰向けに倒れ、空を見上げる。
三十八歳。この歳になるまで冒険者としてなんの浮いた話もなかった。
ギルドでは探索や採取と雑用ばかりを押し付けられ、傭兵としても雇ってもらえず、勉強と研究だけをひたすら続けて20年強。やっと掴み取る事ができた、またとないチャンス。
「あいつら見てろよ〜、今に成り上がってやるからな〜。いや、この場合ざまあ、か?」
一人で勝手にツッコミながら二つの月を眺める。
それにしても、つくづくあり得ない物理現象だ。月が二つあるという事は互いの重力の影響を受けるという事。それが地球と太陽と交わって、合計四つの天体。
三体問題でも不安定極まりないというのに、四体とは。 全く科学を学んでからというもの、この世界は不可思議な事だらけだ。
「はてさて、こいつはどうやって起動するのかな。うまく行けば、雲の上まで行ったりするのかね」
もくもくと浮かぶ白い雲に佇む城をイメージしながら、着々と探索を進める。
乾いた土、苔の生えた部品、分解されて軽く触るだけで崩れる機会の類。失われた古代遺産、オーパーツってやつだ。
夢中になって探していると、不意に低い女性の声が響いてきた。
「何をしている?」
振り返る。夜に溶けるような褐色の肌と黒いローブ。フードから垣間見える縦に長い耳。
手には弓が構えられ、鋭く光る矢がこちらの頭に標準を向けられている。
ダークエルフだ。
「おっと。お邪魔したかな?」
「……ここから去れ」
ギリギリと矢じりが引かれる。
まずいな。ダークエルフは伝統と秩序を重んじる。ここらを神聖視しているのか、それとも縄張りにしているのか。
「ぼくはちょっと見物に来ただけだよ。物を盗もうとか壊そうとか、そういう意図はない」
「信用できない」
「そうだなぁ。友好のしるしってわけじゃないけど、パンとひき肉ならあるよ」
「いらん。ここから去れ」
ダークエルフはエルフ社会から弾かれたはみ出者。邪悪な魔法や黒魔術を使うとされていたが、それは遠い昔の話。魔法が失われた世界では、ただの長生きな人にすぎない。
と言ってもぼくも人だから、頭や心臓に矢を受けたらあっさり死んじゃうんだけど。
「ところで君は、ここがどんな場所か知っているのかな?」
ぼくは彼女の目をしっかりと見たまま、目を離さずに言った。クマと遭遇した時も、こうやって隙を見せないのが肝心だ。
「立ち去れと言っている」
「うーん、手厳しい。では、君はなぜこの世界に月が二つあると思う?」
「月? なぜも何もない。月は二つだ」
「いいや、違う。月は本来一つしか存在できないはずなんだ」
ダークエルフの顔に、「不思議」と「興味」の文字が見える。種族柄、こうした未知や禁忌と言ったオカルトめいた話には目が無いのだろう。
まあぼくにとっては奇怪でもなんでもなく、まごうことなく本当の話なのだが。
「星は物を引き寄せる力を持っている。僕たちが木から下に落ちるのと同じで、星も星の力に引き寄せられるわけだ。それがあんな近くに二つ。普通なら両方が引っ張り合って、ドカン! 壊れてしまう」
「……だが、月は二つある」
「そう。この世界は通常ありえないことが起こるんだよ! だからぼくはこの現象にいくつかの仮説を立てた」
相手の目を見たまま、身振り手振りを大胆に演出する。できるだけ相手の興味をそがないように、楽しませるように。
「まずは距離だ。ぼくたちの視界からは近くに見えているが、実はそれは錯覚で遠く離れた場所にあるんじゃないかと考えた。でもさっき天体望遠鏡で見たら、かなり密接した場所にあった。この仮説は間違いだ」
「……」
「次に、月に魔法が残っているという説」
「……!」
反応した。耳がぴくぴく動いている。
実は五番目くらいのトンデモ仮説なんだけど、早めに持ってきてよかった。
「もしも人類が月に到達できれば、僕たちは再び魔法を取り戻せるかもしれない」
「月へ行く? どうやって」
「それはね、天空に塔を建てるのさ!」
ぼくは古ぼけた巻紙を大きく広げた。
天空を貫く巨大な塔、その設計図。
「は? 何を言っている?」
「冗談じゃないよ。ぼくは本気だ」
以前古代遺跡で見つけた宝物。仲間に見せれば一笑に付された。
でもこれは嘘を書いていない。
大昔、この塔は存在し、立てることができたのだ。
「不可能だ」
「いいや、千年前の人々はできた。それが未来のぼくたちにできない道理はない」
「だが我々は、魔法を使えない」
そう、それが最大の理由にして最大の障壁。天へと続く塔を建てるなど、それこそ魔法でも使わない限りできないだろう。
「できるよ」
「できない」
「いや、できる! なぜなら人類には、科学があるから!」
ぼくは両手を大きく広げた。
夜空に浮かぶ満天の星を、全て抱きしめるように。
「科学だと? そんな怪しげな!」
ダークエルフは目に見えて「困惑」の文字を浮かべている。
この世界は魔法が滅びて千年の月日がたってもいまだ科学を信じない。未練がましく過去を引きずり、魔法がまだどこかに残っていると信じているのだ。
ましてや長寿である彼女はなおさら、その遺恨が根深く残っているのかもしれない。
「そう思うなら、この望遠鏡を見るといい。星を近くに見ることができる」
「まやかすな!」
弓弦からから手が離れ、矢が放たれる。
それはぼくの頬を掠めて、後ろの霊石に深く刺さった。タラリと流れる血をそのままに、説明を続ける。
「君は科学を信じていない。それと同じように、ぼくは神を信じていない」
「っ⁉ 貴様……」
「君たちの種族は信心深いからね。でもぼくたちの神は死んだと言われている。人間は、遥か昔に神を失ったんだ」
「やはり人間は敵! 耳を貸した私がバカだった!」
二本目の矢が弓に添えられる。
今度は外さないだろう。
「君は魔法を信じているんだろう。ぼくも魔法を信じている」
「黙れ」
「ぼくを一撃で殺せるのに殺さなかった。ぼくの言うことを少し信じたくなったんじゃないかい?」
「黙れ。もう貴様の戯言には耳をかさん!」
弓が引かれる。
ぼくは設計図を掲げ、言った。
「君を、再び魔法が使えるようにしてあげよう」
「っ!」
弦を握る手が弱まる。矢が下方へと向いていく。
ダークエルフは俯き、震える声で問うた。
「本当に、魔法が使えるようになるのか?」
「うん」
「再び、この手に戻ると?」
「うん。約束しよう。君は魔法を使えるようになる」
ダークエルフは顔を上げ、ぼくの目を見た。
「貴様の名は?」
「ぼくの名はハルカ。ハルカ・カナタだ」
「ハルカ……。話だけだ。話だけなら、聞いてやる」
「何度でも話そう。これからの未来について」
夜空に輝く星々と二つの月。
その断絶された距離の下、遥か三十八万五千km離れた土地で。
ぼくたちは語り合った。
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