第8話 超人TV-2
先日撮影した動画――『【ドッキリ】車に風船仕掛けてみた!【イタズラ】』は、そこそこの再生回数が回った。
具体的には、百万ちょっと。
面白がってみている人が三割、憤るために見に来ている人が七割という感じだ。
コメントは罵詈雑言が並んでいる。
「ねぇ、今どんな気持ち?」
事務所のスペースで天井を見上げていた怜に声をかけたのは、春咲だった。
クーラーの効いたこの空間は、家にいるよりもずっと快適……なんてことはない。
事務所といえど、ライバーは無数にいる。
そんな往来があるベンチに座ってぼーっとしていれば、冷ややかな視線に曝されること間違いなしだ。
「どんな気持ちかって? 別に……なんとも」
「心強すぎない?」
「いやすげー痛いよ。でもさ、剣山と一緒でもはや痛くないっていうか……」
春咲に言い訳をしている間にも、ベンチの隣をライバーが通る。
中にはデバイスを片手に、怜に向かってカメラを向けて――
「ほら、見せもんじゃないから撮らない! あっち行った!」
こちらに向けられたデバイスを、春咲がぐぐっと押し返す。
誰ともわからないライバーは、春咲の圧に負けて足早に去っていった。
「あーもう、ヤダねああいうの」
「俺がやってることと大差ないだろ。知らない人に押しかけて迷惑掛けてる」
「あーもう、やっぱネガってるじゃん! なんともないとかウソ! っていうか、怜のそれは違うでしょ。まわりまわって助けるためにやってるんだからノーカン! でも今の怜を嘲笑するのは違うじゃん!」
「俺を嘲笑って誰かが幸せになるなら俺はピエロになりますとも……」
「あーもう! ヤマモト! ちょっとこっち来て!」
春咲がチェストプレスマシンの上で鍛えているヤマモトを召喚する。
今日もヤマモトは筋肉に余念がない。
ぴちっとした着圧式タンクトップから見える腕は、だがまだ力こぶが見える程度だ。
「フンッ! どうした!」
「昨日の動画の一件で怜がふにゃふにゃになっちゃった」
「なるほど、さながら打ち上げられたヒトデのようだな!」
ベンチに腰から座りながら壁に寄りかかる姿は、確かにそう見えるのかもしれない。
怜は上体を少し起こして、大丈夫だということをアピールする。
「いや、元気だから……そんなに心配しなくても」
「今日くらい休息を取ればいいものを……いや、来てくれた方が安心はできるのだが」
「こうなるのは毎回のことだからさ」
百万以上の視聴回数を持つ動画は、怜にとっては珍しくない。
そのすべてが迷惑系の内容ではあるため、チャンネル登録者数は増えないのだが。
「いつもみたいに私も家行くから安静にしてていいのに。買い出しにもおちおち行けないでしょ」
「そんなことないよ。卵投げられるくらい」
「だから今ライバースーツなのねぇ……」
上下赤色のジャージ。
怜の今の格好だ。
着る分には動きやすいが、どこに行っても目立つ上に格好良くもないのであまり怜は好きではない。
そんな怜のジャージのポケットの中で、突如デバイスが震えた。
それと同時に、事務所内にピーンポーンと放送が流れる。
『緊急通報、三千都市西部方面にキョウイ発生。三十人態勢の現場と予測される――』
ライバーが集まる事務所では当たり前の放送だ。
『緊急で通報が入った』ということを知らせてくれる放送だが、一日に何十回も流れることもザラなので緊張感はゼロだ。
「気晴らしに行ってこようかな……」
「やめとけ。今の怜が行っても自殺志願者と思われて終わりだぞ」
「今更どう思われてるかなんて気にしないよ」
「そういう問題じゃない。精彩を欠いた状態で行くと危険だってことがわからないのか」
「もし仮にそこで死んだら――それはそれまでだから」
はは、と怜は笑う。
それを見て、ヤマモトは一歩後退る。
「なんか、いつも以上にヤバくないか?」
「そ~う? いつも怜はこんな感じだよ?」
「よくこのメンタルで炎上系ライバーの道を選んだな……」
瞳孔が開きっぱなしの怜を見て、ヤマモトは唸る。
「どうする?
「我がバディながらなかなか残酷な選択肢を提示するじゃないか……」
「死なれるよりいいでしょ。この後ヤマモト打ち合わせだし、面倒見てらんないでしょ……。も~、なんでこんなメンタルでここ来るかねぇ~」
「全部聞こえてるんだけど……」
頭の上で行われる、ヒソヒソ声になっていない密談に突っ込みを入れて怜は立ち上がる。
自分が一番自分のことを分かっている、はずだ。
「今ジャージだし、俺行くわ」
「あ、待ってよ怜」
呼び止められても、止まる気になれなかった。
春咲は無視して進む怜を追い越して、胸ポケットに差したままのデバイスを取り上げた。
「……何すんだよ」
「人の話聞かないから」
「それがなきゃ配信できないだろ、返せよ」
盗られたデバイスを返せと、怜は手を伸ばす。
春咲は怜のスマホを持ったまま、シャツの襟元をぐっと伸ばして――
「これ、ぼっしゅ~」
そのまま胸の谷間の中へ怜のデバイスは沈んでいった。
「って、おい! そんなキャラでもないだろお前!」
「そうだよ、だから私に身体張らせないで。……みんな見てるんだから」
言われて、少しだけ冷静になる。
周囲を見渡すと、氷柱のような視線が怜に注がれていた。
「どう、落ち着いた?」
「落ち着けるかよ」
「ちゃんと冷静になってくれてよかった。別に~私だって、戦いに行くのを止めろって言ってるわけじゃないんだよ?」
デバイスが落ちないように、春咲は左手でオーバーオールの上から下乳を抑える。
そして、残された右手を――怜が伸ばした手の上に置いた。
「これは返さないけど、代わりにアタシをレンタルさせてあげましょう。アタシがいれば撮影も配信もできる。一日限定バディ、これならいいでしょ?」
どう? と春咲はヤマモトに振り向く。
ヤマモトは背中を向けていた。
「どうも何も……破廉恥だぞ!」
照れたヤマモトは、山びこもビックリな大声で叫ぶ。
事務所中からどうしたどうしたと野次馬が集まり始めていた。
「ああもう、そういうことを大声で言わないでよ!」
春咲はベンチから怜の荷物と、それから自分の荷物を引っ手繰って、そのまま怜の手を取り駆け出した。
「行くよ、怜――」
向かう先は、事務所と隣接している野外プールだ。
事務所自体がビルの高層階にあり、その中階にあるこのフロアはなんと野外プール付きの空中庭園がある。
今もどこかのグループライバーが撮影しているはずだが、春咲はそんなことお構いなしに扉を思いっきり開いて。
「しっつれい! お邪魔するよ――!」
「ちょっ!?」
怜の声と、撮影中のライバーの声が同期する。
「こんなところ撮られたら春咲のところにも迷惑が」
「掛かるからな~に? アタシ、そんなに弱くないよ」
板敷の上を掛ける。
プールの隣とだけあって、濡れた足跡がいくつも付いていた。
乾いた土足じゃ足跡は塗り変わらない。
「跳ぶよ」
ただ一言、スタッカートに春咲は告げる。
『応援力』の力だ。
引力に逆らって、春咲が飛び立つ。
握られた手に引っ張られるように、怜もまたビルの上から大きくジャンプする。
知らない人が見れば、イカれたパルクールに見えるだろう。
十分に訓練されたライバーは空を跳ぶことだって出来る。
もちろん、たくさんのファンを抱えた春咲や、万を超えるバズを叩き出す怜のような中堅ライバー以上に限られる。
だからこそ、怜はこの瞬間が好きだった。
この浮遊感だけが、怜を支えてくれるから。
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