異能によって数万人を不幸にした私が、市民十数万人のパンチラを拝んだ変態紳士に救われる話

りつりん

一章 フェチと異能(フェチ)

第1話 フェチー彗星

 フェチー彗星が地球に最接近したのは、西暦二千二十五年四月のことでした。

 人類の多くが空を見上げた日。

 彗星から、希望と絶望の光が降り注いだのです。

 それは、人類の行く末を決める光。

 幼かった私も空を見上げていました。

 とても綺麗で、とても儚くて、とても心に染み込んできたことを覚えています。

 けれど、その意味を知っている今なら、必死に降り注ぐ光を止めたでしょう。

 それができなかったらきっと逃げたでしょう。

 家に閉じこもったでしょう。

 もちろん、止めるなんてことできるわけもなかったでしょうし、だからと言って逃げても意味はなかったはずです。

 なのですが、でも絶対にそうしていたでしょう。

 ささやかな抵抗として、していたのでしょう。


「ま、待ってくださーい! いや、待ちなさーい!」


 私はそんな今さらどうしようもないことを脳内で考えながら、街中を息を切らし走り抜けていきます。

 季節は六月下旬。

 夏の勢いが増し始めた街中は歩けばそこそこ、走れば猛烈な暑さが襲ってきます。  

 もちろん、私は後者な状況なわけで、上下にぴっちり着込んだスーツ内を恐ろしいほどの量の汗が満たしていきます。


「待つわけねえだろ! このクソチビ短足警官!」

「痴漢に名誉棄損も追加です!」

「うっせ!」


 私を罵りながら、男は器用に人混みの隙間を縫って逃げていきます。

 見た目からして五十歳過ぎたあたり。

 それなのに逃げ足の速さが十代のそれです。

 さすが犯罪者。

 逃げることに慣れています。


「って感心している場合じゃないです。……追いつけない、っのなら……」


 私は男が走り行く方向から九十度方向転換し、狭い路地に入りました。

 人ひとりやっと通れるほどの隙間を、速度落とすことなく私は走ります。

 右へ左へ。

 後ろへは行かずにただ前へ。

 室外機を避け、猫の尻尾の上を通過し、ゴミ箱を少しだけ蹴り飛ばして私は駆けていきます。

 そして数十秒後。路地を抜けて開けた視界の先にいたのは……。


「そこまで……ですっ!」

「うおっ!」


 先ほど私の遥か前を走っていた男。

 私は勢いのままに男にドロップキックをかましました。

 そこそこいろいろ削れそうな勢いで地面と熱烈な接触をする男。

 倒れ込んだ男の上に私はすかさず馬乗りになります。


「舐めないでください! こっちはこの街の道を隅々まで把握しているんですよ」

「ぐっ!」

「それでは午後二時三分確保……」


 手錠をかけようとした矢先、私を嫌な予感が包み込みます。


「なんてな。残念だったなお嬢ちゃん。俺に触れるのだけはご法度だぜ」

 男の体は熱を帯びます。

異能フェチタッチアンドゴ若肌から君の人生を知りたいー」


 男の体から溢れ出すは半透明のオーラ、らしきモノ。

 それらはまるで触手のように蠢きだしました。

 実体を伴って。


「え? え? え、ちょ、ちょっと!」


 そして、あっという間に私の体に纏わりつき、そのままこちらの動きを奪うように体を宙へと持ち上げていきます。


「ふへへっ。やっぱり若いもんの肌はたまんねえな。撫でまわして撫でまわして撫でまわして、肌を通してその子の人生を感じる時がやっぱ最高だな。肌を通して伝わる微かな記憶。そこから人生妄想すんのが醍醐味よ。んー、にしてもちょっときっちり着こなし過ぎやしないかい。若いならもっと肌出していこうや」

「うるさいですっ! って、やだっ……。やだっ……」


 身動きの取れない体を撫でまわし始める触手たち。

 パンツスタイルのスーツをみっちりと着ているおかげで、まだスーツ下の肌には届いていませんが、それも時間の問題です。

 徐々にスーツの隙間から触手が入り込んできています。

 ヌルりヌルリ。

 じゅくりじゅくり。

 と、侵入してきているのです。

 まるでその先に待つ獲物をじっくりと追い詰めるようにゆっくりと。

 しかしそれでいて確実に入り込んできています。

 気持ち悪い。

 それに何より、何よりも衣服がはだけるのはまずい。

 まずいです。

 非常にまずいんです! 

 それだけは阻止せねば。

 私は必死に体を捻り、両手両足を使ってスーツを抑えます。

 そんな私の焦りを無視して触手はスーツの上から私を無遠慮に撫でまわし、徐々に私本体へと近づいていきます。


「ううううううううううう……」

「へへっ。こんないい体隠すなんてもったいない。小ぶりだけどぷりっぷりじゃねえの」

「はいはーい。うちの可愛い後輩いじめはそこまでにしてもらおうか」


 あと少しで私の肌に到達し、衣服をはぎ取られてしまうというところで聞こえて来たのは女性の声。

 馴染みのある声に反応して視線を動かすと、そこにはなじみのある顔がありました。

 肩ほどで揺れるダークブラウンの髪が、軽やかに日の光を弾いています。

 篠原夏樹しのはらなつき

 私の先輩です。


「篠原先輩! っきゃん!」


 突如として消えた触手。

 宙に浮いていた私は見事に地面へと受け身も取れずに落ちてしまいました。

 痛い。

 そして、触手消えたのにスーツにはでろでろしたのついてます。

 うへえ。

 そこは一緒に消えてくれないんですね。


「くっそ! もう少し触らせろよ! まだ服の下には十分に触れれてねえんだよっ!」


 痛みをこらえながら篠原先輩を見ると、既に男を後ろ手に手錠をかけており、パトカーへと連行していました。

 仕事が速い。

 黒のパンツスーツを身に纏ったすらりと伸びた足がきびきびと動いています。

 かちりと伸びた背は男の動きを制するように微動だしません。

 

「そんな日もある。どんまいどんまい」


 さらりと相手をいなしつつ篠原先輩は男をパトカーに乗せます。

 そのまま一緒に後部座席に。

 私はハッとして運転席へと急ぎ乗り込み、警察署へと車を動かし始めました。

 男を署まで連行したのち、私はロッカールームでシャワーを浴びて新しいスーツに着替えます。

 先ほどの触手で乱れた心を正すように、きちりみちりと着込んでいきます。

 それが済むと、自身の所属する部署へと戻りました。

 戻るとすぐに、篠原先輩からのお説教を頂戴します。


「いつも言ってるけど、現癖人フェチニストには無暗に触っちゃ駄目。手錠をするまでは」

「はい……。すみません……」


 篠原先輩は微かに眉間に皺を寄せます。

 その皺に挟まれたような気持ちに私はなりました。

 いえ、意味わかりませんね。

 挟まれた気持ちにはなりません。

 シンプルに反省しています。

 

「百合ちゃんの何事にも真っすぐに向かって行く気持ちの強さは大事にしてほしいけど、状況判断能力をもっと上げないといつか取り返しのつかないことになるわよ。ただでさえ現癖人フェチニストはどんな異能フェチを有しているのかわからないんだから。もちろんね、あなたの体術は素晴らしいものがあるけれど、それだけではどうにもならない異能フェチもある。あと百合ちゃんは小さい。技術でカバーできる範囲は限られてる。それも忘れないように」

「はい……。仰る通りです」


 お説教と言うよりはアドバイスですね。

 うの音も出ないほどの正論に私はただただ小さくなります。

 ただでさえ小さい背がさらに縮んだ気分です。

 先輩は私より六歳上の二十四歳。

 警察に入って三年目らしいのですが、そうは思えないほどの威厳と風格があります。

 その鋭い眼光に睨まれれば、多くの犯罪者がすくんでしまうと言われています。


「今回は私もあなたにすぐ追いつけたからよかったけど、あまり無茶はしないこと。あと……」


 その後も、細やかなアドバイスを頂戴することができました。

 その全てが正論の中心を貫いていくほど寸分の狂いもありませんでした。

 加えて、私のことを慮ってのことですので、もちろん私は粛々とそのアドバイスを心の中で消化していきました。

 そして、アドバイスの最後に先輩はニカっと笑いました。


「でも、あのドロップキックはカッコよかったわよ」


 篠原先輩は私の頭を撫でてくれます。

 その手から伝わる熱とこちらを見つめる瞳に優しさが滲んでいることは、容易に察することができました。

 だからこそ、私は余計に自分が情けなくなってしまうのです。

 管内の優秀な刑事・警察官が職位・年齢関係なく、その腕っぷしのみを評価基準に集められた部署である現癖人フェチニスト特務対策課。

 私はそこに所属し、篠原先輩とバディを組ませていただいています。

 精鋭揃いということは必然的に私も精鋭のはずなのですが、現実は全くもってそんなことはなく、今日のように失敗ばかりを繰り返しています。

 正義感だけは誰にも負けない。

 市民を守るという気持ちだけは誰にも負けない。

 そう信じて業務に打ち込んできた私は、この部署に配属された当初は、より一層頑張るぞ、皆さんの期待に応えるぞ、と張り切っていました。

 しかし、蓋を開けてみればただただ気持ちだけが先走る、扱いづらい新人となってしまっています。

 この現状を変えたくて努力はするのですが、全てが空回りで情けなさが日々私の中を闊歩するばかりです。

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