第16話 来訪者(2)

 急行した正門前には、ちょっとした人だかりができていた。

 多くが女子生徒たちで、誰かを囲んでいるようだ。


 彼女たちを押しのけるようにして、月之宮さんは中心に立つ人物を見る。

 彼を見た途端、月之宮さんの顔が強烈な不快感で歪んだ。


「……空良ソラ


 空良と呼ばれた私服姿の少年は、月之宮さんを見るや、愛想のいい笑顔で歩み寄ってきた。


「やあ、凛久リク。久し振り、元気にしてた?」


 そのまま抱きしめようとでもしたのか、空良の両腕は伸ばされていたが、月之宮さんはその手を跳ねのけて拒絶した。

 月之宮さんは右足を後ろに引き、さながら戦闘態勢の緊張感で問いただす。


「……何の用?」

「やだなぁ、そんな怖い顔しないでよ。僕と君は、将来を誓い合った仲じゃないか」


 空良が何気なく放ったそんな一言で、周囲が一気にざわついた。

 無論僕も同様だ。


「将来を……!?」


 そのざわめきを掻き消すかのごとく、月之宮さんは声を張り上げて否定する。


「デタラメ言わないで! あんたが勝手に誓ってるだけでしょ!」

「同じことじゃないか。僕がそうしたいと願うなら、それはもう確定した未来なんだよ」

「帰って。そしてもう二度とこの学校に近付かないで」


 やけに友好的な空良と対照的に、月之宮さんは徹底して取り付く島もない。

 どうにも噛み合わない会話に、僕を含めた野次馬勢は呆気に取られるばかり。


 よく見ると野次馬の中には西城さんの姿もあった。月之宮さんに「来るな」と言われていたのに。

 月之宮さんに突き放されても、空良は依然として友好的な笑顔のまま。


「そう冷たくするなよ、じきに僕もこの学校の生徒になるんだから」


 瞬間、僕は月之宮さんの顔が強張ったのを見た。

 月之宮さんの震える口元は、それだけで抱える感情の程を如実に示している。


「……あんた、それ本気で……」

「本気さ。許婚のためなら、それくらい当然だろ?」


 平然と答える空良を前に、月之宮さんは深呼吸を一つ。

 一転して毅然とした表情になると、つかつかと僕の方に近寄ってきた。


「残念だけど、私にはもう恋人がいるの」

「えっ、あっ……」


 狼狽える僕の腕を取り、月之宮さんは強引に自分の腕と絡めてきた。

 こんなアプローチをされるのは初めてだが、月之宮さんの大胆さに浮かれる余裕もないほど、この場の空気は張り詰めている。


花房はなぶさ英斗エイトくん。私は彼との関係に満足してる。だから空良が付け入る余地はもう無いの。転校してきたって時間とお金の無駄なんだよ。分かったら諦めてさっさと帰ることだね」


 月之宮さんが冷たく言い放っても、空良は怯む様子すらない。

 空良は僕の全身をくまなく眺め、興味深そうに唇を舐める。


「へぇ、君が凛久の彼氏? 面白い趣向だね、つまりこれが今回のゲームか。現彼氏くんから凛久を取り戻すっていう」


 僕の腕を取る月之宮さんの手は震えている。どう考えても異常だ。

 事情は分からないけど、ここで立ち向かわなくて何が彼氏だ。

 今こそ筋トレの成果を発揮して、月之宮さんを守る時!


「あの、さっきから君は一体何なんだ? 月之宮さんに何かするつもりなら……」

「君、さっきから腕が凛久の胸に当たってるよ。こんな人前で見せつけてくれるじゃないか」

「あっごめん、月之宮さん……」


 空良に指摘され、僕と月之宮さんが離れた、その一瞬で。

 空良は、月之宮さんとの距離を一気に詰め、彼女の腰に手を回した。

 片手で抱き留めるような形で月之宮さんを支え、至近距離で二人が見つめ合う形になる。

 そのまま空良は、月之宮さんの口元に自分の唇を――


「てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 耳を劈く咆哮が、月之宮さんから発せられたものだと、僕はすぐには分からなかった。

 月之宮さんは空良の腕から逃れて口付けをかわし、あろうことか彼の顔面に全力の拳を叩き込んだ。


 空良は悶絶し、顔を押さえて横ざまに倒れてしまう。

 それでも月之宮さんは止まることなく、修羅の形相で両手を固く握り、倒れた空良に迫った。


「殺す! こいつ殺す! 殺す殺すマジで殺す今この場でぶっ殺してやる!!!」


「ストーップ! 月之宮さん落ち着いてー!」

「凛久、それ以上はやばいから! 警察とか救急車とか来ちゃうやつだからー!」


 さすがに看過できず、僕や西城さんを含めた全員が月之宮さんを止めに入った。

 それでも月之宮さんは易々と止まらず、憎悪の炎を目に爛々と宿して吼えた。


「離せええええええええッ! ビジネスも法律も関係あるかああああああああッ! こいつは今すぐ死ぬべき人間なんだああああああああああああッ!」


 普段の冷静で理知的な月之宮さんは見る影もない。

 月之宮さんがさっき震えていたのは、恐怖ではなく激烈な怒りの感情だったのだ。

 月之宮さんの抑え込みに悪戦苦闘する僕たちの前で、殴られた空良が体を起こす。


「ひどいじゃないか、いきなりグーで鼻を殴るなんて」


 空良の顔を見た僕は、背筋が凍るのを感じた。

 空良はひどい鼻血を流しながら、変わり映えのない爽やかな笑顔で、暴れ狂う月之宮さんに言った。


「でもね、そんな君も、とっても素敵だよ」

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