第14話 三つ目の選択肢(4)

 朝活や食事管理も取り入れた月之宮式ブートキャンプの甲斐あって、僕は着実な成長を実感できていた。


 長時間勉強しても集中が途切れにくくなり、学習内容が頭に定着しやすくなった。

 『体が資本』ってこういうことか、と僕は身をもって理解する。


 三日坊主気質の僕が、ストイックな努力を継続できていることに家族は驚いていたけど、もちろん月之宮さんがいなければ三日と経たずやめていた。

 あの月之宮さんが時間を惜しみなく僕に投資してくれているのに、当の僕が勝手に見切りを付けて投げ出したら、彼氏以前に人としての資質が疑われてしまう。

 やめる理由と比べてやめられない理由が激重なのだ。


 それに……月之宮さん、とんでもないスタミナの持ち主なんだよ!

 図書館から帰る時に一緒にランニングしたけど、いつまで経っても息上がらないしフォームも綺麗だし、早々に隣でゼーハーしてる僕の恥ずかしさったらなかったよ!

 そりゃ西城さんに「彼氏に相応しくない」って言われますわ! 返す言葉もございませんわ!


 そんなわけで、僕は途中から西城さんのことを半分忘れて、月之宮さんに追い付け追い越せのマインドで日々を過ごしていた。

 西城さんはあれからも何度か、月之宮さんのいない所で「まだ恋人ごっこしてんの?」とか「凛久も物好きだね」とか突っかかってきたけど、僕は敢えて反発せず甘受する姿勢に徹した。

 今は雌伏の時。後に控えるを最高威力で繰り出すための。


 とはいえ、西城さんのちょっかいもテスト週間に入ってからは鳴りを潜めるようになった。向こうもテスト勉強でそれどころじゃなくなったのかもしれない。

 成長しているのは僕だけじゃなく、西城さんや他のみんなも同じ。

 でも僕は、それを理解した上で、テスト当日を平常心で迎えることができた。


 チャイムを合図に答案用紙をめくり、まずは名前を記入、そして問題に移る。

 テストには必ず出題者の意図がある。

 先生は生徒をふるいにかけて地獄を見せたいわけじゃない。

『こういう解き方で正解を導き出してほしい』という道筋を示してくれているんだ。

 テストは立ちはだかる敵じゃない。実力の測定器であり、飛躍の手段であり、味方。


 そう思うと、いつもより穏やかな気持ちで問題文を読むことができた。

 分かる。出題者が何を思って問題を作成し、僕たちにどう解いてほしいのか、直感的に理解できる。

 僕は口角を上げ、早速シャーペンを走らせた。



 * * *



 我が校では、二日にわたる定期テストが終わると、翌日の放課後に学年成績上位二十名のリストが廊下に張り出される。

 前時代的なシステムだが、今の僕にとってはいろいろと都合がよかった。


 廊下に群がる人だかりの中、僕は西城さんを探していた。

 テスト期間中もずっと平常心だった僕は、今になって初めて緊張の極致にいた。

 僕は西城さんの金髪を認め、背後から声を掛ける。


「西城さん、君の順位は何位だ?」

「……何あんた、嫌味のつもり? 見りゃ分かるでしょ」


 振り返った西城さんは、憎たらしげな表情で僕を睨んできた。


【6位 西城京子】


 歴史系の科目でやや点を落としたとはいえ、前回よりさらに大きく順位を伸ばしている。とてもじゃないが険しい顔つきになるような結果じゃない。

 その理由は、奇しくも一つ上にある名前が原因だろう。


【5位 花房英斗】


 ほとんど常連で占められている上位勢に、誰も期待していなかった人物が踊り出したことに、生徒たちもいつになくざわめいている。掲載ミスを疑う声すらちらほら聞こえるほどだ。

 確たる成果を目に焼き付け、僕は西城さんに向き直った。


「西城さん、僕は前回もその前も、このリストとは縁のない順位だった。月之宮さんどころか、西城さんにすら卒業まで追い付けないようなレベルだよ。でも僕は、こうして今回、テストで君を上回るに至ったんだ」


 西城さんは歯軋りし、血走った目で大声を上げた。


「だから、それが何だってんだよ! こんなまぐれで見下してるつもりなら――」

「これを見てくれ、西城さん!」


 僕は西城さんの台詞を遮り、自分の制服の襟を掴んで引っ張った。

 あらかじめボタンを外しておいた制服は、ワンアクションで僕の体を離れ、宙を舞う。

 僕の素肌が露になり、西城さんは一瞬ポカンとした後、顔を手で覆って叫んだ。


「ちょっ、あんたいきなり何してんの!?」


 群衆からも驚きの声が上がる中、僕は恥も外聞もかなぐり捨て、上半身裸のままマッスルポーズを取った。


「勉強だけじゃない! 僕は体も鍛えたんだ! どうだい、以前のヒョロガリボディとは見違えるようだろう!?」

「いや、あんたの昔の筋肉事情とか知らんし!」


 西城さんの渾身のツッコミに続き、そこかしこから囃し立てるような掛け声が被せられる。


「いいねー花房くん、ナイスバルク!」

「上腕二頭がキレてるよ!」

「大胸筋が踊ってるぅー!」

「何これ、何でいきなりボディビル大会始まってんの!?」


 困惑が極まりかけた西城さんに、僕は両手を体側に揃えて姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「ありがとう、西城さん!」


 頭上で西城さんが息を呑んだのを、僕は確かに察した。

 つむじを西城さんに向けたまま、僕は精一杯の感情を込めて続ける。


「君の言うとおりだった。前までの僕は、とても月之宮さんに相応しい彼氏なんかじゃなかった。でも、君が厳しい言葉をかけてくれたから、僕は前までのダメダメな自分と決別することができたんだ……!」

「やっ、やめてよ、こんな所でそんな大声……」


 おろおろと視線を彷徨わせる西城さんに、人垣の中から月之宮さんが歩み寄った。

 西城さんを見つめる月之宮さんの眼差しは、真剣そのものだ。


「京子、聞いたよ。私と花房くんが付き合ったことで、花房くんにも言いがかりをつけてたんだってね」

「凛久……」


 ばつが悪そうな西城さんに、月之宮さんは厳しくも優しい声音で語り掛ける。


「でもね、京子も分かったでしょ。花房くんは、やると決めたことはちゃんと有言実行できるすごい人なの。だからもう、私に相談もなく変なお節介を焼くのはやめてもらいたいんだ」

「うっ……」


 西城さんは口元を引き結び、僕と月之宮さんを見比べている。

 握りしめた僕の両手は、じっとりと汗が滲んでいた。


 やれることはやり切った、だからあとは祈るだけ!

 頼む、折れてくれ! これ以上突っかかっても誰も得しないから! 月之宮さん今度こそガチで絶交しかねないから! 僕の今日までの苦労も全部パーになっちゃうから!


 じりじりと異様に長い数秒後、西城さんは体の力を抜き、視線を落として一言。


「ごめん、凛久、それと花房も。私、確かにちょっと暴走してたかも」


 僕は月之宮さんと目配せを交わし、喜びを分かち合った。

 一気に晴れやかな気持ちになり、僕は西城さんに右手を差し出した。


「いいよ。これからは月之宮さんだけじゃなくて、僕とも仲良くしてもらえたら嬉しいな」


 僕なりの歩み寄りの儀礼だったのだが、西城さんは僕の手を取るどころか、引き攣った顔で大袈裟に身をよじる。


「うげっ、凛久の目の前でキープ宣言? それはさすがにキモッ……」

「いやそういうことじゃないんだけど……」


 すぐ恋愛に結び付けるあたり西城さんの方がよっぽどピンク頭なのでは……?

 伸ばした手のやり場を失った僕に、西城さんはすっかりいつもの容赦のなさで言い放った。


「ていうかさっさと服着てよ、ガチでキモいから……」

「アッそれは本当に申し訳ない……」



 * * *



 全てが終わった後、僕と月之宮さんは駅前のカフェで祝勝会を執り行った。

 僕の大幅躍進や、西城さんとの関係改善だけでなく、月之宮さんの首位キープ記念も兼ねている。


 いつも1位を獲っていると感覚が麻痺してしまうが、月之宮さんの輝かしい成果は、並々ならぬ努力の上に成り立っているのだ。

 その賞賛と、一ヵ月にわたるへのお礼を込め、僕は彼女にミルフィーユケーキをご馳走することにした。


 月之宮さんが無邪気に喜んでくれたのは、多分ケーキそのものではなく、同級生に努力を認められたことに対してだ。

 月之宮さんは同級生から生粋の天才だと思われるあまり、そういう経験が少なかったんだと思う。


 これに満足せず、月之宮さんと対等になれるようにもっと頑張ろう。

 フルーツタルトをつつきながら談笑する傍ら、僕は内心で決意を新たにする。


「……でも、本当によかったの? 京子に言ってやりたいことは他にたくさんあっただろうに、よりにもよってお礼なんて。しかもあんな人前で」


 一通り健闘を称え合った後、月之宮さんは真意を問うように尋ねてきた。

 確かに『うぇーいざまぁみろ』とか『や~い西城さんの順位僕以下~』とか言ってやりたかった気持ちは直前まで無くはなかったけども。……いや罵倒の語彙力乏しすぎか。

 僕は咳払いし、邪念を払って答えた。


「それで今後西城さんとの関係が改善されるなら安いものだよ。僕にとっては目先のプライドや痛快さより、そっちの方がずっと価値を感じるから」


 そりゃあ僕だって、嫌な奴にただ頭を下げるのは気が進まない。

 だけど、将来的に利益が生まれるなら、膝を折ることも立派な対価だ。

 フォークで切り分けたタルトを月之宮さんの皿に載せ、僕は言った。


「コストを払ってリターンを得る。ビジネスってそういうものだろ?」


 月之宮さんもまた、イチゴ入りのミルフィーユケーキを僕におすそわけし、茶目っ気たっぷりにウインクをよこした。


「ふふっ、花房くんにもビジネスの真髄が分かってきたみたいだね。……それはそうと」

「うん」

「あれって半裸になる必要あった?」

「……無かったかもね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る