4章 三つ目の選択肢

第11話 三つ目の選択肢(1)

「ねぇ、あんた」


 休み時間にトイレから教室に帰ろうとした僕は、不意に行く手を阻まれた。

 つんのめりつつもどうにか踏みとどまり、僕は立ちふさがる女子をまじまじと見つめる。


「ええと……西城さん? 何の用?」


 西城さいじょう京子キョウコさん。

 月之宮さんの友達で、ショートカットの金髪が印象的な女子。

 目付きも態度も高圧的で苦手、というのが僕の偽らざる印象だ。

 僕の前に立つ西城さんは、なぜかいつも以上に目尻を吊り上げている。


「どういうことなの、凛久リクと付き合ってるって」


 西城さんの怒りの理由が分からず、僕は内心で狼狽えながらも率直に答えた。


「どういうことも何も、そのまんまだよ。僕と月之宮さんは恋人として付き合っている。それ以上も以下もないよ」


 僕が答えるや、西城さんは腰に手を当て、僕の爪先から頭まで舐めるように観察してきた。

 威圧的な視線に射すくめられている僕に、やがて西城さんは敵愾心を剥き出しに吐き捨てた。


「信じられない。あんたみたいなのが凛久の彼氏なんて」

「信じられなくたって、それが事実じゃないか。月之宮さんもそう言ってるだろ?」


 あくまで冷静な対応を試みる僕に、西城さんは呆れ顔で頭を振る。


「あのね、あんたには分かんないかもしれないけど、凛久はとんでもない天才なの。本来ならこんな平凡な高校に……ううん、高校なんか来る必要すらないくらいの」

「頭がいいってこと? 東大に行けるくらい?」

「凛久の傍にいてその程度の理解なら、やっぱりあんた、彼氏に向いてないよ」


 語る西城さんの表情には、嘲笑めいた色さえ浮かんでいる。

 さすがにムッとさせられ、僕は西城さんに反撃した。


「さっきから一体何様のつもりなのさ。君は月之宮さんの保護者なのかい?」

「似たようなものかもね。あんたみたいな上っ面しか見てないピンク頭が近付かないように目を光らせてるから」


 いちいち言い回しが棘っぽい西城さんには取り付く島もない。

 いろんな意味で下心から始まった関係なのは否定できないけど。

 僕は溜息を吐き、単刀直入に尋ねた。


「じゃあ、どうすれば西城さんは納得するのさ」

「納得の問題じゃない。私はあんたが、凛久の彼氏として相応しくないっていうを言ってるんだよ。大体あんた、飯田さんともずいぶん仲がいいみたいじゃん。別に相手は凛久じゃなくたっていいんでしょ?」


 西城さんに指摘され、僕は言葉に詰まった。

 飯田さんにビジネスの提案をし、手を握られたあの瞬間を、西城さんに見られていたらしい。

 口を噤む僕に、西城さんは容赦なく畳みかけてくる。


「凛久は優しいから、断り切れなくて付き合ってあげることにしたんだろうけど、後悔するのはあんたなんだよ。いつかきっと、ううん絶対に、凛久と自分の絶対的な違いに気付いて幻滅する。そうなる前にさっさと別れた方が身のためだってこと。分かった?」


 一通り僕をやり込めて満足したのか、西城さんはひらひらと手を振って立ち去っていく。

 西城さんの姿が見えなくなってから、僕は唇を尖らせて愚痴った。


「……分かるわけないじゃん」



 * * *



 学校帰り、僕は月之宮さんと一緒に駅前のカフェに入り、西城さんとのやり取りについて情報共有した。

 僕の報告を聞き終えた月之宮さんは、コーヒーカップ片手に仄かな渋面を湛える。


「やっぱり、花房くんも同じようなこと言われてたか」


 聞くところによると、月之宮さんも西城さんに忠告を受けていたらしい。

 あいつ飯田さんにデレデレしてたよ、絶対いつか二股かけるよ、やめといた方がいいよ、と。

 デレデレしてたのは事実だから返す言葉もございませんが。


「まぁ、気持ちは分かるよ。僕も逆の立場なら『何で?』って思うだろうし。変な誤解してるみたいだから早いところ解けてくれればいいんだけど……」


 理不尽な物言いなのはその通りだけど、西城さんの心境を思えば、あまり悪く言う気にはなれない。

 あの高圧的な態度は、友人の月之宮さんを相当気遣っていることの裏返しなのだから。

 徐にコーヒーカップをソーサーに置き、月之宮さんは歯切れよく言った。


「仕方ない、京子は

「ん? 切るって何を?」


 何の気なしの僕の問いに、月之宮さんは淡々と答えた。


ってこと。京子は『自分の友達が変な男子に掴まった』と思い込んで花房くんに言いがかりを付けてるわけだから、京子と友達じゃなくなればそうする理由もなくなるはず」

「あー、そういうことね、言われてみれば確かにその手が……」


 あまりに自然な口調で切り出されたものだから、つい生返事をしかけてしまった。

 遅まきに言葉の意味に気付き、僕は泡を食って月之宮さんに迫った。


「ちょっ、ちょちょちょちょっと待ってって! 冗談でもそんなこと言っちゃダメだよ! 友達って、そんな簡単に切ったりするようなもんじゃないでしょ!」

「私は本気だよ」


 月之宮さんの静謐な言葉に当てられ、僕は口を噤んだ。

 腕組みをする月之宮さんは、どこまでも冷静そのものだ。


「この二週間で、花房くんのクラスでの地位は劇的に向上した。そして現状、花房くんに当たりが強いのは京子だけで、指摘の内容も論理性を欠いている。これらを踏まえて合理的に考えた時、切るべきは花房くんじゃなくて京子の方だと思うんだ。京子って強情だから、私が何言っても逆効果になりかねないし」


 筋道立った説明を受けて、僕は月之宮さんに対して底知れないものを感じた。

 それが何なのか掴めないまま、僕は失礼を承知でおずおずと尋ねる。


「月之宮さんは、西城さんのことを友達だと思ってないの……?」


 月之宮さんは気を悪くする様子もなく、あっさりと即答した。


「友達だよ。だけど、契約上とはいえ恋人である花房くんへの不利益は、そのまま私の不利益にもなる。そのリスクを負ってまで京子と友達でいる価値は、今の私には見出せない」

「リスク……価値……」


 譫言のように復唱した単語は、僕の知るものとはまるで異なる重みを持っていた。

 友達であることが不利益だから、絶交する。

 理屈の上では何もおかしな話ではない。


 だけど、友人関係とは理屈でここまで割り切れるものなのか。

 不満を抱えて衝突して仲直りして、友情ってのはそうやって深まっていくものなんじゃないのか。


 月之宮さんが前に言ったことは本当だった。

 月之宮さんにとってのビジネスは、僕との恋人契約だけじゃない。

 友達、いや人間関係全てが、自分の人生を豊かにするためのビジネスに過ぎないのだ。

 言うべき言葉が見付からない僕に、今度は月之宮さんが質問した。


「逆に花房くんは、何で京子のことを庇うの?」

「え?」


 我に返って視線を上げると、月之宮さんの眉間には珍しく皺が寄っている。


「私、正直ちょっと怒ってるんだよ。私と花房くんが恋人関係になったのは私たちの意志なのに、勝手に邪推して心配して指図して。そんなことをする人と、私は友達でいる必要性を感じないし、そうしたいとも思わない。なのに、ひどいことを言われた張本人の花房くんは、どうして私と京子が友達じゃなくなることに後ろ向きなの?」


 水を向けられた僕は、しどろもどろに意見を試みる。


「それは……そりゃあ、僕だっていい気はしなかったけど、でも西城さんは月之宮さんのためを思って……」


 奇妙な構図だ。月之宮さんが西城さんを厳しく非難し、僕が彼女を庇うなんて。

 僕のクソザコ弁護を、月之宮裁判官は容赦なく切り伏せた。


「善意は免罪符にならないよ。人に不利益や不快感をもたらした時点で、それは自己満足の迷惑行為でしかないんだ」


 放たれたその言葉は、月之宮さんの本質を多分に表していた。

 重要なのは過程や動機ではなく、もたらした結果。友達だからといって、そこに私情を挟む余地はない。

 一見すると、非情とも取れる価値基準……だけど。


 ――ビジネスを極めることは、他人と対等に渡り合うことだから。


 月之宮さんは、決して冷徹で身勝手なわけじゃない。

 ただ、あらゆる他者とであることを願うと同時に、それを侵害されることを嫌悪しているんだ。

 黙考する僕を前に、月之宮さんは話を締めくくろうとする。


「いいよ。適当にシミュレーションしてみたけど、京子と友達じゃなくなっても、多分大したデメリットはない。連鎖的に友達ゼロになるのはさすがに困るけど、京子にそこまでの影響力もないしね。むしろ反省して態度を改める公算の方が――」

「ダメだ!」


 叫ぶと同時に、僕は椅子を蹴って立ち上がっていた。

 カフェ店内の視線が集中するのもそっちのけで、僕は月之宮さんに言い募る。


「西城さんと友達の縁を切るなんて、絶対にダメだ! 少なくとも今その判断をするのは早すぎる!」

「な、何で……」


 目を白黒させる月之宮さんの手を取り、僕は熱を帯びた口調でさらに迫った。


「月之宮さんらしくないよ! 選択肢は『僕と西城さんのどちらを切るか』の二択じゃない! 僕との契約を続けて、かつ西城さんとも良き友達で居続けるという、三つ目の選択肢があるじゃないか!」

「そ、そりゃあ、それが理想的かもしれないけど……でもどうするの? 私が話して状況が良くなるとは正直……」

「課題と解決策は分かってる。要するに『僕が月之宮さんの恋人に相応しい男』だってことを証明して、納得させればいいんだ」


 僕は椅子に座り直し、思考を整理する。

 どっちにしろ、これは僕にとっても避けて通れない道だ。

 口にしないだけで西城さんと同じ不満を持つ生徒は絶対いる。彼女一人を切っても根本的な解決にはならない。


 というか、僕が原因で西城さんと月之宮さんが絶交するなんて絶対に嫌だから! 下手したら一生引きずるレベルのトラウマになるから! 『私のために争わないで』って泣くヒロインの気持ちが初めて分かったよ!

 咳払いを挟んでから、僕は視線を上げて月之宮さんに言った。


「月之宮さん。大見得切った手前で悪いけど、また僕にをしてくれないかな。これはきっと、月之宮さんにもプラスになる話だと思うから」


 それを聞いた月之宮さんは、楽しげに口角を上げて応じた。


「いいね。ぜひ聞かせてよ、君の事業計画ビジネスプランを」


 二人で意気投合したその時、困り顔の店員さんがいそいそとテーブルまでやって来て、僕たちに苦言を呈した。


「失礼ですがお客様、店内での大声とビジネス勧誘はお控えいただきますよう……」

「アッすみません、でも投資とかビジネスってのはそういうアレじゃなくて……」

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