第2話 恋人契約(2)
月之宮さんは拾い集めたコピー用紙をトントンと揃え、何やら独り言ちる。
「ふむふむ、花房くんは本当は雑用を受けたくない、だけど断った時の仕打ちが怖くて逆らえない、戸崎くんと対等な交渉ができるとは思えないから別のアプローチでの解決策を求めている……」
そしてやおら指をパチンと鳴らすと、口の端を吊り上げて言った。
「なるほど、ビジネスの匂いがするね」
「ビジネス?」
コピー用紙の積み替え作業に戻った僕は、聞き間違いかと思って生返事をした。
月之宮さんは埃まみれの紙束を台車に載せ、朗々と答える。
「課題と解決策の明文化、そしてそのための利害を共有できれば、それはもう立派なビジネスだよ」
いまいち何を言っているのか分からないけど、どうせ僕に関係ある話じゃないだろう。
月之宮さんと僕では、立っているステージが違うのだから。
重い台車を転がす僕の隣から、月之宮さんが何気ない口調で訊いてきた。
「花房くんさ、私と付き合う気はない?」
「付き合うって、何に? 先生の手伝いとか部活の雑用とか? 別にいいよ、月之宮さんは紙拾うの手伝ってくれたし……」
月之宮さん、元々それ目当てで僕のことを助けてくれたのかな。そりゃそうでもなければ僕に構ったりしないか。
まぁいいや、どんな形であれ月之宮さんが僕に手を貸してくれたのは事実だし――
「そうじゃなくて、恋人関係にならない? ってこと」
「は?」
今度こそ僕は耳を疑い、足を止めた。
台車のバランスが崩れて危うくまた大惨事になるところだった。
積み上げた箱を微調整するフリをして、僕はおずおずと月之宮さんの方を見る。
「こ、こいびと……って……?」
「多分、それが花房くんの現状を改善するのに一番効果的だと思うんだよね。自分で言うのもアレだけど、私は戸崎くんを含めてクラスの友達が多いし、花房くんと私が恋人同士になったら露骨な嫌がらせみたいなことはできなくなると思うの」
語る月之宮さんの表情は、至極平然としたものだ。口調にも僕を嘲るような気配は感じられない。
信じがたい気持ちで、僕は月之宮さんに問い返す。
「月之宮さんは、僕のために恋人になってくれる……ってコト……!?」
常識的に考えてありえない。
これまでろくすっぽ接点のなかった月之宮さんが、よりにもよってクラスカースト最下層の僕に交際を持ちかけるなんて。
クラスメイトの罰ゲームか月之宮さんの悪ふざけ、大方そんなところだろう。
でも……仮に月之宮さんからそんな仕打ちを受けたなら、完全に高校生活という幻想に諦めが付けられる!
だから、この際もう罠でもいいッ! 罠でもいいんだッ!
縋るような気持ちで訊く僕に、月之宮さんは冷静に答えた。
「もちろんそれだけじゃないよ。花房くんと付き合うことは、私にとってもメリットがあることなの」
「メリット?」
妙な単語が聞こえた気がして復唱すると、月之宮さんは天井を仰ぎ、物憂げに深く息を吐く。
「自虐風自慢みたいに取られちゃうかもだけど、私、よく男子から告白されるんだよね。『好きな人がいるから』でずっとやり過ごしてたけど、実際恋人も好きな人もいないのに断り続けるのって結構しんどくて。無駄に関係が悪化する要因にもなるしね。花房くんが恋人になってくれれば、その辺が全部クリアできてお得なんだよ」
「おとく……?」
「それに、クラスメイトが不満を抱えながら学校生活を送るのって、長期的に見るとかなりのリスクなんだよね。自殺とか殺傷事件に発展するケースも珍しくないし、そうなると私にもいろいろ不利益だし。戸崎くん、あれでも自分の好感度に敏感だから、他の人にターゲットを変えることはしないと思う」
月之宮さんは一方的に語り終えると、僕に向き直って朗らかに笑いかけた。
「どう? 考えれば考えるほど、お互いにとってプラスだと思わない?」
月之宮さんの屈託のない笑みを前に、僕は言葉を失っていた。
メリット。お得。リスク。プラス。
男女の交際という華やかなフレーズに似つかわしくない単語が、ぐるぐると僕の頭を巡る。
ややあって僕は、情報を整理し、月之宮さんに確認した。
「じゃあ……月之宮さんは、別に僕のことが好きなわけでも何でもなく、ただ自分の学校生活を快適にしたいがためだけに僕と付き合いたいってこと?」
露悪的とも取れる僕の総括を、月之宮さんは笑顔で肯定する。
「うん、そうだよ。言うなればビジネスの恋人契約ってとこだね」
瞬間、僕の中の女神:月之宮凛久像が、音を立てて崩れた。
えも言われぬ忌避感に見舞われ、僕は思わず大声を上げた。
「やめてくれよ!」
これならいっそのこと、本当に罰ゲームや悪ふざけだった方がマシだったかもしれない。
幻滅はしただろうけど、一時の冗談半分のお遊びなら、それが月之宮さんの本性ではないと割り切ることもできただろう。
しかし、真実はこれだ。この場でそんな面倒な嘘をつく理由はない。
月之宮さんは愛情や恋心ではなく、損得勘定で恋人を作る冷徹な人間だということが確定してしまった。
純情を弄ばれたような気持ちで、僕は月之宮さんに言い募る。
「恋人って、そんな風にメリットを求めて作るようなものじゃないだろ! 正直がっかりだよ、月之宮さんがそんな軽い女だったなんて……」
「それの何が悪いの?」
「え?」
月之宮さんの切り返しがあまりにも冷静だったから、僕は口を噤んでしまった。
ずいっと僕の間近に顔を寄せ、月之宮さんは重ねて問いかけてくる。
「メリットを求めて恋人関係になることの何が悪いの? 顔がいい人と付き合いたいのだって、頭や運動神経がいい人に憧れるのだって、胸が大きい人とえっちなことしたいのだって、突き詰めれば全部メリットを求めてそうなってるんじゃないの?」
「それは……」
月之宮さんの真剣な瞳に射すくめられ、僕はすっかり委縮してしまった。
月之宮さんが言っていることは、直感的には肯定し難い。だけど具体的に何が間違っているとも言えない。必然、僕は沈黙を強制されてしまう。
月之宮さんは顎に指を当て、堂々たる佇まいで続ける。
「花房くんが私と付き合うことにメリットを感じないなら仕方ない、この話は無かったことにするよ。だけど少なくとも私は、多角的に検討した結果、この関係はきっとお互いにとっていろんな意味でプラスになると判断した。具体的なデメリットを感じないなら、付き合ってみてもいいんじゃないかと思うんだけどな」
先ほどまでの突発的な衝動が去り、月之宮さんの提案を熟考すると、確かに悪い話ではないと思えてきた。
というか、むしろ良くない?
要するに彼氏のフリをして悪い虫を払うアレだ。その間、僕は彼氏として月之宮さんの傍にいることが許される。
今はフリでも、一緒にいるうちに月之宮さんの心を射止められる時が来るかもしれない。その上パリピの奴隷の鎖から解放される(かも)というおまけ付きだ。
考えれば考えるほど分からない。数秒前までの僕は、何であんなに断固拒否しようとしていたんだ?
この機会を逃せば、僕は一生女の子と付き合うどころか、お近付きにすらなれないかもしれないんだぞ。
すっかり気が変わった僕だったが、一度拒絶した手前OKするのも気恥ずかしく、気休め程度に話を引き延ばす。
「付き合うって言っても、具体的にどんな……」
「特に何もないよ。周りに『月之宮凛久と花房英斗は恋人関係だ』って公言する以外は、これまで通り普通に学校生活を送ってくれれば。花房くんが私との関係を切りたくなったり、他の人と付き合いたくなったらそれでおしまい。私は気にしないけど、二股はさすがにリスクが大きいからね」
ビジネスだからこそ浮気ケアはしっかり、ということか。
月之宮さんの淡々とした語りを聞くうち、恋人契約の現実味がどんどん増す。
「月のデートの回数は……」
「時と状況によるかな」
「……え、えっちなことは……」
「時と状況によるかな。花房くん、結構むっつり系?」
図星が肺に突き刺さって呼吸が止まる。
すみませんね! 陰キャはエロい妄想ばっかり達者なものでね!
話の腰が折れて焦った僕は、月之宮さんの台詞を思い出し、とっさに話題を切り替えた。
「あの、さっき『花房くんが他の人と付き合いたくなったら』って言ったけど、月之宮さんがそうなる可能性もあるよね。その場合も当然おしまい、だよね……?」
肯定を前提としたつもりの僕の質問に、月之宮さんは頬を掻いて曖昧に答えた。
「あー、それは多分ないかな、少なくとも高校在学中は。うん、じゃあこの恋人契約の契約期間は、ひとまず今年度中ってことにしとこうか。新しいクラス次第では必要なくなるかもしれないし」
「多分ない、って……?」
「気にしなくていいよ。花房くんにとって不利になる話じゃないしね」
月之宮さんはきっぱりと話を畳み、改めて僕に問うた。
「それで、どうする? 私との恋人契約、結んでみる?」
言いながら差し出された月之宮さんの手を、僕はじっと見下ろす。
恋人契約。愛情ではなく打算による男女の交際。ビジネス上のお付き合い。
この期に及んで尻込みしそうになる自分を叱咤し、僕は一思いに月之宮さんの手を取った。
「……はい、よろしくお願いします」
温かく柔らかい月之宮さんの手が、僕の手を握り返してくる。
蚊の鳴くような僕の答えを受け、月之宮さんは嬉しそうに微笑んだ。
「契約成立。これからはビジネスの恋人として、Win―Winの関係を築いていこうね」
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