古代エジプトでやりたくもない密命を与えられ、ミイラにされたワタシが目覚めたのは、3385年後の現代日本でした。――こっちにもたくさん神様がいるようです――

須見 航

第1章 目覚め

生きたままミイラにされたワタシ


 みなさん、初めまして。ハルです。

 ようやくこちらの暮らしになじんできたところです。



 紀元前一三四七年、ワタシは一度死にました。

 そして二〇二四年、二度目の生を受けました。

 心臓が動いている年月だけ数えたら十四歳です。

 (本当は三千三百八十五歳ですけど。)


 あっ。

 

 もう「うそだ」って顔をしていますね? 

 ワタシの話は、神様に誓って事実です。

 せっかくですから、聞いていきませんか?


 奇跡の話を。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 死ぬ直前の場面は、はっきり覚えている。



 ……それほど広くない祭殿に、十人もの神官がひしめいている。

 ワタシは、首から下を亜麻布で何重にも巻かれ、仰向けに置かれていた。

 布を巻かれる直前。神官の一人が、ためらわずワタシの胸を剣で突いた。

 そして、切り口から手を突っ込み、心臓をつかんだ。


「うぐっ……」

 

 体の中を無遠慮にかき混ぜられる。

 無数の虫がはい回っているようにぞわぞわする。

 不思議と血が飛び散ることはない。匂いもしない。


「神々の王アメン・ラーに請願する。然るべき時にこの者の心臓を動かし、再び生を与えたまえ……」


 神官たちは小指の爪くらいの神器「再生のアンク」を、切り開いた心臓にいくつも入れた。はっきり見えてしまうから余計に凄惨だ。切られた心臓は知らん顔で動き続けている。現実離れした光景と、怖じ気づく神官たちがよく見えた。

 

 激烈に痛い。でも、こちらの言うことは何も聞いてもらえないまま、元通りに縫い合わせられ、今に至る。

 

 右手は傷口を押さえるように胸に添えられ、ハトホル様のお守りを握らされた左手は太ももの上に乗っている。もう動かすことはできない。



 ワタシは秘術で、生きたままミイラにされようとしていた。



 一歩下がったところから見ていたラモーゼ様が、目の前に歩み寄った。

 灰色の目がワタシを見下ろしている。酒臭い息が、部屋を包んでいたお香の甘い匂いを台無しにした。

 ラモーゼ様はワタシに視線を合わせ、粘りつく声で命じた。


「復活の儀式で唱える呪文を、再度詠唱してみせよ」


 今さら拒んでも仕方ないので、覚えさせられた一部を答えた。


「ほう……。やはり、見込んだだけのことはある。もしもそなたが、この地に生まれた男子だったならば、書記官試験にも容易く合格したであろう。だが、この任務は書記官ごときには務まらない。そなたには神に愛される才と、時の流れに耐える心がある。どうか、頼む。民が悪神や暗君に虐げられないように……」


 何のことだろう。


 遠い国から戦争捕虜として連れてこられたワタシには、何もなかった。早くに親と生き別れ、ただ一人ラモーゼ様の家に仕えて数年が過ぎていた。

 働きぶりは悪くなかったと思う。なのに、なぜか復活の儀式に選ばれて、死ぬ。


「最後に言う。再び生を受けたら、世の流れを知れ。そして然るべき時に、私を復活させるのだ。そなたが次に目覚めたとき、私は死んでいる。だから……、最後は自身で選ぶのだ。時代が変わっても、前を向いている限り、神々がそなたの行く道を示すであろう」


 我が主は一人でうなずいている。それが当然だと信じて疑わない身勝手さが伝わってきた。他人の復活のために、なぜワタシが先に死ななければならないのか? 

そのくせ何を選ベというのだ? 

 使用人の分際で大役に抜てきされた名誉を誇るべきか? まさか。


 幸い、まだ口を動かすことができた。


「ラモーゼ様。ワタシは、アアルの葦原(エジプトの天界)に行きとうございます」


 世間から有能な宰相だと言われているワタシの所有者は、わずかに眉をひそめた。それから、わざとらしく気の毒そうな顔を作った。


「そなたの名前は、故あって記録から削り取った。名を失うとはどういうことか? ……そなたはこの世に存在しなかったのだ。アアルに行くことはかなわぬ」


 そうだったのか。用意周到で抜かりない。秘術を行った証拠を残さないつもりだ。


 ワタシの人生は、いったい何だったのだろう。頭に浮かぶのは、ここに来てからの慌ただしい光景とビールの味くらいだ。せめて最後にもう一杯もらえないだろうか。


「ただの使用人には、ラモーゼ様に先んじて現世に戻るなど荷が重すぎます。どうか、他の有能な方にお命じください」


 本心だった。

 ワタシには無理だ。

 

 彼は目をそらし、緋色に揺れるたいまつの向こうに下がった。表情をうかがうことはできなかった。


 いよいよ顔に亜麻布が巻かれていく。口、鼻、目と塞がれて、とうとう暗闇に取り残された。祭壇の石壁に反響する神官の声だけ、布越しに聞こえてくる。


 苦しくはなかった。

 ワタシには神とか任務とか、よくわからない。

 復活なんてうそに決まっている。宰相の自己満足に付き合って死ぬのだ。


 詠唱が終わるとすぐ荷車に載せられ、長いこと揺られていた。

 ……何もかも、どうにもならない。ワタシは静かに目を閉じた。

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