第17話 体得せよ、お嬢様武芸(4)

《桜仙花学園 トレーニングジム》


 今日も今日とて日課の朝練に励んだわたしは、更衣室で一人、下着姿で自分の腕や足を触りながら悦に浸っていた。


「むふふーん、わたしのお嬢様筋も見違えるほどに逞しくなったなぁ……」


 変わったのは肉体だけではない。

 入学前よりメンタル的にも前向きになって、些細な理由で落ち込むことも減った。


 元から割と能天気だったけど、根拠のある自信が付いたっていうのかな。やっぱり筋トレって大事なんだな。

 スマホで体のあちこちを撮り、ついでにポーズをキメた自撮りなんてものまで収めようとしたところで、わたしの背後のシャワーブースが唐突に開いた。


「えっ?」


 わたしの指がサイドボタンを押し込んだのと、スマホ越しに彼女と目が合ったのは、ほぼ同時だった。

 振り返ると、髪先から雫を滴らせ、タオルを肩に掛けただけの一糸まとわぬイスカちゃんが、びっくりした表情でわたしを見ている。


「あ、おはよう。珍しいね、イスカちゃんも朝練?」

「うん、そんなところだけど……」


 イスカちゃんは返事もそこそこに、体の前面をタオルで隠し、じっとりした目を向けてきた。


「……もしかして今、あたし映った?」

「ごっ、ごめん! 映って……ますね、ばっちり……」


 反射的に踵を返したわたしは、アルバムを確認し、面目ない気持ちで答えた。

 全裸のイスカちゃん、画像で見るとものすごく背徳的だ。特に日焼け跡が。

 イスカちゃんは肩越しにわたしのスマホを覗き込み、非難の声を上げた。


「ちょっとー、ちゃんと消しといてよ? なんかの弾みで漏れたら冗談にならないんだから」

「も、もちろんあとで消しとくから……」

「ま、あたしでよかったね。映ったのが弥勒寺さん辺りだったら下手したら訴訟沙汰だったかもよ。実際ちょっと前にそんな事件があったような……」

「今すぐ消しますっ!」


 スマホを鬼タップするわたしを可笑しく思ったのか、イスカちゃんはケラケラと笑った。


「あはは、そんな焦んなくたって陽香ちゃんのことは信用してるよ。それより陽香ちゃん、何で自撮りなんかしてたの?」

「大したことじゃないんだけどね、成長記録として残してるの。日に日にお嬢様筋が逞しくなっていくのが嬉しいっていうか。それにわたし、割と意志薄弱だから、怠けそうになった時の戒めにもなるかなって」


 下着とシャツを着たイスカちゃんは、わたしの二の腕や太ももを興味深そうに眺めて答える。


「意志薄弱って、そんなことないでしょ。前から思ってたけど、陽香ちゃんってかなりマメっていうか努力家だよ。だからこそ桜仙花学園にも紅華にも入れたんだと思うけど」

「ありがとう。でも、更衣室で撮るのはいくら何でも非常識だったよね。これからは寮の部屋で撮るようにするよ……」


 映り込んだのが寛容なイスカちゃんでよかった。お嬢様を守るどころか槍玉に上げられて社会的に死ぬところだった。

 備品のワイヤレスドライヤーで髪を乾かすイスカちゃんは、シャツが股下を辛うじて隠しているだけの格好で、何だか全裸よりもはしたない姿に見えてしまう。


「寮って言えばさ、陽香ちゃんってライムちゃんとは寮のお隣さんなんだよね。ライムちゃん、寮でもずっとあんななの? 内向的っていうか」

「そうだね、初対面の頃なんて全然取り付く島もなかったよ。最近はちょっとずつ心を開いてくれてる感じはするけど、それでも九割くらいはわたしが勝手に話しかけてる感じかな。ライムちゃんのこと、気になるの?」


 イスカちゃんはドライヤーの電源を切り、複雑そうな表情で頬を掻く。


「うん、まぁ……外部生の中でも、あの子は未だによく分からないなって。得意なこととか家のこととか、合同授業の時にこっちから訊いても全然話してくれないし」

「根がシャイだからまだ緊張してるんだよ。きっと悪い子じゃないし、時間が立てば心を開いていろいろ話してくれるって」

「……だといいんだけどね……」

「ん? どういう意味?」


 含みを感じる言い回しをわたしが訝しむと、イスカちゃんは人目を気にするように視線を走らせてから、耳打ちめいた小声で答えた。


「普通の高校ならまだしもさ、ほら、ここって桜仙花学園じゃん。よこしまな目的でお嬢様に近付く人もいるかもしれないし、あんまり秘密主義みたいにされるのはちょっと怖さもあるっていうか」

「あー、そういうこと……」


 イスカちゃんの懸念はわたしがこれまで考えもしないことだった。お嬢様学校ならではの危険は、校内にも存在し得るということか。

 イスカちゃんは頷き、神妙な口調で続ける。


「陽香ちゃんみたいにいろいろ話してくれると安心できるんだけどさ、だからこそ危なっかしく思うこともあるんだよね。今は大丈夫でも、今後紅華の一員として離宮の有名人になっていくかもしれないし、そうなってくると陽香ちゃんに取り入って情報を集めたり危ない目に遭わせたりする人も出てくるかもだし」


 さっきイスカちゃんが写真に映っちゃった時の拒否反応は、その辺りも関係しているのかもしれない。

 たとえば盗撮写真をダシに恐喝まがいのことをする生徒だって、絶対いないとは言い切れないし。


 ライムちゃんがどうあれ、まずは自分のことだ。李下に冠を正さず。

 ただでさえわたしは他所者なんだから、怪しまれそうな振る舞いや紅華の迷惑になるような発言には注意しないと。

 ドライヤーを洗面所の充電器に差し直し、イスカちゃんは片手を軽く振って話をまとめた。


「ま、あたしの杞憂で済めばそれが一番だけど、心の片隅にでも留めておいてよ。意識するだけならタダだし、何か起こってからじゃ遅いからさ」

「分かった。心配してくれてありがとう、イスカちゃん」

「どういたしまして。……ふーん、それにしても……」


 イスカちゃんは後ろ手を組み、にまにまと怪しげな表情でわたしを眺めてきた。

 イスカちゃんとは逆に、わたしはスカートを履き、上半身はブラジャー一枚のアマゾネススタイルだ。

 イスカちゃんの視線は明らかにわたしの胸元に集中しており、わたしは反射的に手に持っていたシャツで胸を隠す。


「な、なに……?」

「ぬふふ~、前から思ってたけど、陽香ちゃん、なかなかいいお体をしておりますなぁ~。ひょっとして着痩せするタイプですかな~?」


 イスカちゃんは抑揚たっぷりにそう言うと、目にも留まらぬ足捌きでわたしの背後を取り、胸を鷲掴みにしてきた。

 こんな風に胸を揉まれるなんて女の子でも初めてのことで、わたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ひゃっ! ちょっ、ちょっとイスカちゃん!? いきなり何すんの!?」

「ええじゃないかええじゃないか、減るもんでもなかろうに~」


 イスカちゃんはやめるどころか、より強く無遠慮にわたしの胸を揉みしだいてくる。

 やられっぱなしで癪に障ったわたしは、一瞬で体勢を低くしてイスカちゃんの手から逃れ、逆に彼女の背後を取った。


「やったな、このー!」


 背後を取り返すや、わたしはお返しとばかりにイスカちゃんの胸を揉みしだいた。

 拘束解除はお嬢様武芸の基本術。

 こんな形で実践するのはバチが当たりそうだけど、最初のイスカちゃんの足捌きもお嬢様武芸の移動術だからおあいこだ。

 イスカちゃんはくすぐったそうな笑い声を上げ、しばらくわたしたちは愉快なキャットファイトを繰り広げていたのだが。


「何をなさっているのですか、お二人とも……?」


 突如としてこの世の終わりのような声に割り込まれ、揃って我に返った。


「げっ、弥勒寺さん……」


 いつもの縦ロールを簡素なポニーテールにしたお嬢様、弥勒寺八千重が、じっとりとした目でわたしたちを見ている。騒ぎすぎて足音に気付けなかった。


 それから制服に着替えて更衣室を出るまでの間、弥勒寺さんは聞こえよがしに桜仙花学園生としての心構えの何たるかを(あくまで独り言の体で)こんこんと説き、わたしとイスカちゃんは気まずい思いでそそくさと退散したのだった。

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