2章 桜仙花学園の華麗なる日々

第4話 桜仙花学園の華麗なる日々(1)

 桜仙花学園学生寮【黒蘭こくらん】は、寮などという生易しい代物ではなかった。

 六階建ての豪奢な洋館を一目見て、わたしはここが桜仙花学園かと勘違いしたほどだ。

 内部を寮長さんに案内してもらう間、わたしはずっと呆気に取られっぱなしだった。


 フロントは二十四時間対応のコンシェルジュ付き、食堂は豊富なメニューを朝昼晩食べ放題、ラウンジやプレイルームといった付帯施設の充実、極め付けは旅館顔負けの大浴場まで完備ときた。

 今日から三年間ここに住むことを想像し、わたしは早速卒倒しそうになった。明日死んでもおかしくないほどの破格の待遇だ。


 聞くところによると、学園生の二割ほどがこの寮で暮らしており、そのほとんどがわたしと同じ外部生だそうだ。

 サイズ感の割にやけに入寮者が少なく感じるが、離宮や都心に邸宅を構える大多数の生徒には無用の長物なんだとか。つくづく離宮の異常性が身に染みる。


 その居室も高級ホテルめいた充実ぶりなのだ。

 学生寮ということで相部屋を想像していたが完全個室で、収納付きベッド・学習机・クローゼット・姿見・金庫・シャワールームなど必要以上の設備が揃えられている。

 一般的なシングルルームの二倍はあろう部屋面積で、窮屈さは全く感じない。


 前もって送った荷物もしっかり届いている。

 一通りの荷解きを終えて人心地ついたわたしは、ドア対面のカーテンを開けて窓の外を見、感嘆の声を上げた。


 寮の敷地を挟んだすぐ向かい側に、美しい白亜の建築物が聳えている。

 塀と針葉樹に囲まれていることもあり全容は知れないが、壁面の一部からすら威光が溢れているように思える。

 あれが桜仙花学園。輝知会長が在籍する、そしてわたしが新たに通う学校。


 緊張のせいかわたしは急に猛烈な空腹感を覚え、廊下に出た。

 ネームプレートを見るに、わたしの隣の部屋の住人は【鶴巻つるまきライム】ちゃんというらしい。

 わたしと同じ新入生かな、どんな子なんだろう、仲良くなれたらいいな……そんなことを考えながら、わたしは足取り軽やかに食堂へと赴いた。



 * * *



 食堂で鰆の西京焼き定食を注文したわたしは、ご飯のみならずほうれん草やみそ汁もおかわりし、都合三食分の定食を平らげ、でっぷりと膨れた腹を抱えて自室に戻っていた。


「う~、食べすぎちゃったよぉ……」


 惨めに呻く姿はお嬢様もへったくれもないが、本当に歯止めが利かなくなるくらい美味しかったのだ。

 食堂のおばさんが嬉しそうにご飯をよそってくれるものだから、期待に応えようと調子に乗ってしまったこともある。


 血糖値が爆上がりしてめちゃくちゃ眠い。

 このままふっかふかのベッドに横たわりたい気持ちは山々だが、さすがに軽く汗を流すくらいはしておかないとまずい。お嬢様以前に人として終わってしまう。


 大浴場に向かう前に、着替えとタオルを取りに自室へ戻る。

 何の気なしにノブを回してドアを開けたわたしは、予想外の光景を目の当たりにし、口をあんぐりと開けた。


「きゃっ……!?」


 真正面の窓際に立っていた少女が、驚きの声とともにこちらを振り返った。

 それもそのはず、彼女は下着しか身に着けていなかったのだ。

 手に持っている服から察するに、今まさに寝巻に着替えるところだったらしい。


 ――Оh、なにゆえミーのルームに半裸ガール……?


 しばし硬直したわたしは、ハッと我に返り、大慌てで部屋のネームプレートを確認。

【鶴巻ライム】――やっちまった。


「ごっ、ごめんなさい! 部屋間違えました!」


 わたしはすぐさま謝罪し、飛ぶようにして自室に引き返した。女子同士とはいえ不意に半裸を見るのは背徳感がある。

 食べすぎと浮かれすぎで初っ端からとんでもないミスをしでかした。


 怒ってないかな、改めてちゃんと謝らなきゃな……などと考えていたわたしは、閉まりかけていた自室のドアがピタリと止まったのに気付いた。

 半開きのドアの隙間から、爆速で寝巻を着たライムちゃんがこちらを覗き、遠慮がちに尋ねてくる。パッと見ホラー映画みたい。


「……み、見た?」

「い、いや、本当にチラッとしか見てないから! お肌すべすべで羨ましいとか、素敵なおパンツですねとか、そんなこと全然思ったりは……ってそうじゃなくて!」


 みっともない言い訳を打ち切り、わたしはドアを開けて彼女と向き合った。


 所在無げに立つライムちゃんは、身長百五十センチのわたしよりも頭半分ほど小さい。

 どこか不安げな垂れ目と相俟って庇護心を掻き立てられる容姿だが、肩まで伸びた黒髪は美しい夜空のようで、育ちの良さを感じさせる。


 怯える小動物のような彼女に、わたしは元気いっぱい挨拶した。


「お隣さんの鶴巻ライムちゃん、だよね? わたし、高遠陽香っていいます! 今日からよろしく! ライムちゃんって呼んでいい? ライムちゃんも外部生? わたし、離宮のことも学園のこともからっきしでさ、楽しみと不安がシェイクシェイクって感じだよー。そうだ、これからお風呂に行くんだけど、よかったら一緒に……」

「ぼぼぼ、僕、もうシャワー浴びたから! そんで今から寝るところだから!」


 しかし、わたしの精一杯のファーストコンタクトも虚しく、ライムちゃんは慌ただしく話を遮ってきた。

 出鼻を挫かれ、わたしは一瞬対応に窮してしまう。


「えぇ、まだ十八時なのに……? じゃ、じゃあ明日は一緒に学校に……」

「僕はロングスリーパーなの! あと学校には一人で行くから! おやすみ!」


 一方的に言い放つや、ライムちゃんはバタバタと自分の部屋に戻ってしまった。

 物理的にも心理的にも壁を作られてしまい、残されたわたしは一人唸るばかり。


「……むーん……」


 ――やっぱり、嫌われちゃったのかなぁ……


 一人で大浴場に向かうわたしはしょんぼりした気持ちだったが、お風呂は広さも湯加減も格別で、わたしの中のもやもやまで綺麗さっぱり洗い流してくれた。


 うーん、やっぱりお風呂って偉大!

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