マッチングアップ!

清水 涙

オープニング

半分のあなたを探して


 神話の昔、二頭にとう八脚はっきゃくの獣がいた。

 獣は神をもしのぐ力を持っていたから、神に嫉妬しっといかづちを落とされて、カタチを二つに引き裂かれたのだ。

 故に、我々は自分の片割れを探している。かつて完全だった自分自身にこいがれて。



   * * *



『科学的に運命の相手とマッチング! 恋愛心理分析でぴったりのパートナーを見つけよう!』

『アマテラスが友活・恋活・婚活も全てサポート! 24時間365日、国が安全をお約束します!』

『君もはじめよう マッチングする生活!』


 コンクリートで出来た廊下に高い靴音が響く。壁には、まるで美術館の絵画のように規則正しくポスターが貼られていた。

 落ち着いたものから派手なもの、ひらがなで書かれているものから無駄に外国語を織り交ぜたものまで、一見するとバラバラの広告に思えるが、それはあらゆる層の人間にアプローチするためである。

 色とりどりの紙面には、よく目をらすと全てに共通して二つのテキストが非常に小さい文字で書かれていた。


『※15歳未満の方は利用できません』

『国立少子化対策センター 渉外部しょうがいぶ広報評価課 発』


 つまりは、全てここで制作された同じ趣旨しゅしの広告だ。

 廊下の端から端まで寸分の狂いなく整列しているのは、訴求しているのがマッチングサービスの利用推進ではなく、自分たちの仕事の一端を外部の人間にアピールすることにあるからである。


 外部の人間。

 廊下を進んでいる私もその一人だった。

 辞令が下りるまでは。


 その事実を思って、先日から何度吐いたか分からない溜め息をつく。

 廊下に靴音を刻むテンポが遅くなり、やがて道半ばで立ち止まる。


「なんで私が」

 自身の足元から、真横にある大きなポスターに目線を持ち上げる。

 こんなところに……。


 子供の頃から警察官になるのが夢だった。

 そして念願叶い、警視庁に入庁したところまでは良かった。若いながらも出世を期待され、評価されているのだと思っていた。

 なのに。


 気が付けば、私の体は半自動的に目的地に着いていた。学生時代は地理が苦手だったが、捜査官になってからは地図を瞬時に記憶するのが得意になった。建物内の単純な経路図であれば、今やオートパイロット。

 少子化対策センター本館6階の応接室の隣の扉。【所長室】と書かれていることを確認する。

 最後の溜息を吐き出し、背筋を伸ばした。


 職場が変わるとはいえ、今でも自分は警察官だ。警視庁の顔に泥を塗るようなことがあっていいはずがない。服装に乱れがないか自身を見直す。

 壁の色とは対極的な黒のパンツスーツ。童顔と小柄な体も相まって、これだけだと就活生にしか見えないため下に着るシャツはグレーにしていた。これで普段は警官とバレず、しかし有事の際は相手に威圧感を与えられる賢い見た目になっている。はずである。


 指の骨を扉に打つ。ノックノック。柔らかい木の音がして、陰鬱な緊張を少しだけ和らげてくれる気がした。

 どうぞ、という声を合図に入室し、お辞儀で敬礼。


「申告します。警視庁の樹皿きさら理子りこ 巡査部長であります。刑事部・機動捜査隊より、国立少子化対策センター・結婚けっこん媒介ばいかい管理部かんりぶへ出向の命を受け、本日付で着任いたしました」


 室内には、恰幅かっぷくの良い中年の男性が一人座っていた。

「はい、ご苦労様です。少子化対策センター所長の西森にしもりです」

 刑事の肩書きの効果か、所長はわざわざ立ち上がってこちらにお辞儀を返してくれる。

「どうぞどうぞ、おかけください」


 彼の役職名が「所長」なのは、この少子化対策センターの前身が生存保障研究所という研究機関であったことに由来しているらしい。

 かつての西森はそこの主任研究員で、現代のマッチングサービスになくてはならない《恋愛心理診断システム》を開発した功労者だとか。


 事前に調べた時には堅苦しい人物かと思ったが、孫に語りかけるお爺ちゃんのように平和な人柄だった。

 来客用のソファに腰を下ろしてすぐ、所長はあらかじめ用意していたのであろう台詞を語り始めた。


「早速ですが、効率的に仕事の説明から伝えます」

 かしこまった口調になって彼は続ける。

「貴官にやっていただくのは、警視庁職員としての警察権の行使です」


 私は反射的に姿勢を正して傾注けいちゅうした。


「事前に双方の人事より説明されたと思いますが、樹皿さんが本日より所属する結婚媒介管理部は、一言でいうとマッチングアプリの管理をメインに行う部署です」

 マッチングアプリ、という言葉に一瞬だけ私の片目が痙攣する。


「我々、公的機関が管理するようになってからも、ネットを媒体にしたマッチングサービスはその特性上、犯罪の温床になりやすい。我々も常に監視して悪質なユーザーを排除し続けていますが、結局はイタチごっこになり、どうしても切り離せない。そこで警察と共同して管理することによって、マッチングアプリ内で起きた犯罪に即時かつ直接的に強制介入できるようにする。これが、樹皿さんがウチに呼ばれた理由です」


「承知しております」

 現在、各自治体と民間企業が提供する数多のマッチングサービスのうち、約半数が国家の管理下に入っている。そして、その管理を実際に行っているのが国立少子化対策センターの結婚媒介管理部で、私も今から彼らの一員となるのだ。


 迅速に犯罪対処を行うため、少子化対策センター内部に警察職員を出向配置すること自体は以前より行われてきた。しかし、それは本来ならば生活安全部などの人身安全対策課員が任ぜられる仕事のはずで、私のような刑事部の機動捜査隊員が派遣されるのは調べるまでもなく初めてだろう。


 左遷。

 出向命令を受けてから、この二文字が頭から離れない。


「それと、もう一つ」

 所長の声に、私はいつの間にか伏せてしまっていた顔を上げる。

「初めてお伝えすることでしょうが、あなたにはパートナーの監督もお願いすることになります」


「パートナー?」

「職務上の相棒ですよ。トレーナーとして、あなたに仕事を教えます」

「はぁ……。でも、なぜ仕事を教えていただく先輩の監督をする必要が?」


「子供だからです」

 所長は微笑んで言う。

「あなたに仕事を教えるパートナーは少しだけ問題児なのです。言葉通りのね」


 雨が降っているので足元にお気をつけください、とでも言うような口調だった。

 百歩譲って問題児であるという部分に多少の申し訳なさを感じているとしても、未成年を公務に就かせるということには何の疑問も抱いていないに違いない。


「その方が効率的なのですね、きっと」

「その方が効率的なのです、もちろん」


 予想通りの理由だった。この社会は今、そのように回っているのだ。

 私は胸に渡来した名付けがたい違和感を押し殺し、話を前に進ませる。


「……どのような子でしょう?」

「優秀な子ですよ。恋愛系国家資格たる【恋愛サポート】準二級認定を取得しています。彼の年齢で取れる最上級の証ですから」


 そういうことを聞きたかったわけではないのだが。

 しかし、ならば男子高校生か。一番厄介な人種だ。今すぐ元の職場に帰りたい。


 とはいえ社会心理やコミュニケーションに関する深い知識と洞察を問う恋愛系国家試験をパスしているのなら、話が通じない非行少年などではないはずだ。

 同時に、ただ優秀なだけの子供であるとも言い難い。何か目立つことをして国に目をつけられなければ、公務にスカウトはされないだろうから。


「あなたは彼に人道を教え、彼はあなたに仕事を教える。いやぁ、極めて効率的ですねぇ」

 素晴らしい!──という口に出していない彼の心の賛美が聞こえてくるようだ。


 そう、効率的だ。

 国民の恋愛を国家が管理する以上、その中に警察権も保有しておいた方が効率的だ。

 何かに秀でているのなら、年齢を問わずに仕事をやらせる方が効率的だ。

 ただ遠くから監視しているより、手元に置いて労働させる方が効率的だ。

 敵を監視したいのなら、仲間の一人として内部に潜り込む方が効率的だ。

 敵の要求を全て拒否するとかえって強硬な手段を取られるから、一部の条件は受け入れ仲間として招き入れる方が効率的だ。


 すべて効率的な方が『正しい』から、私は今ここにいる。


「優秀な仲間が味方に加わり、嬉しい限りです。期待していますよ、頑張ってください」

 所長は上機嫌に言った。それと真反対の気分である私は少し言い返したくなり、応えた。

仲間なかま味方みかたは違いますよ」


「同じですよ」

 予想通り、彼は柔和な笑みで即答した。


「私たちは味方でもあるのですか?」


「同じ日本国民じゃないですか、もちろんそのはずですよ」

 腹の中がなかなか探れない人物であるが、少なくとも味方ではないことは確実だろう。


 さて、と所長は話を切り替えるように続ける。

「今やマッチングアプリは国民同士を結ぶ唯一最大の希望です。国にとっては最後の希望と言ってもいい。この希望の光が消えることは、すなわち日本の未来が消えることに他なりません。

 これより貴官には、結婚けっこん媒介ばいかい管理かんり 第二課 管理官かんりかんとして交際こうさい援助えんじょ公務こうむの遂行を命じます」


拝命はいめい致します」

 そこでドアが叩かれ、二人の会話の終わりが告げられる。

 私は立ち上がり、最後の敬礼をした。





『国家が国民の恋愛を管理する──』


 そう表現するのは、誇張が過ぎるだろうか。


 でも私の新たな仕事は、まさしくそう揶揄やゆされるものだった。









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