第二話 日常

 意識が遠のく直前。

 私はかつての我が家——ここ、孤児院ララのことを思い出していた。


 たくさんの子供達。

 私が一番大好きなユキ。

 親友のミラと、私たちを育ててくれたヴィル爺。


 血は繋がっていないけれど、みんな、確かに幸せそうだった。本当の“家族”だった。


——それなのに、全部壊れてしまった。


 あの日、ミラより先に玄関に行っていたら。

 あの日、ヴィル爺を先に起こしていたら。

 あの日、私が真っ先に殺されていれば、あんな事にはならなかったのだろうか。 

 

 * * * * * *

 

「ご飯できたよー!」


 大鍋を抱えて食卓に向かう私は、大きな声でそう言った。

 次の瞬間、廊下の向こう側から子供達の足音とがどたどたとこちらに近づいてくる。

 

「フィオ姉、今日のごはんなに?」

「いい匂い! はやくはやく!」


 目の前で、たくさんの子供達がぴょんぴょんと跳ねる。その無邪気な笑顔が重なり、私は自分の胸がじんわりと熱くなっていくのを感じた。


「ふふ、今日は私の手作りカレーだよ。配膳するから、みんなお皿を——」


 その時、ちりんちりん、そんなドアベルの音と共に、私の相棒、ミラが玄関から現れた。


「ほら、ちゃんと僕の焼いた肉もあるからな、楽しみにしとけよ」


 ボーイッシュな顔立ちとすらりとした体躯。彼女はそれに見合わない可愛らしい花柄のエプロンを身につけ、湯気の上がる大皿を片手で軽々と持ち上げていた。


「ミ、ミラ……? なんで外から……」

「ん? そりゃあ、直火の方が美味しいだろ? せっかく美味い肉があるんだしさ」


 彼女はキョトンとした表情でそう言いながら、こちらに大皿の中身を見せてくる。そこに並べられていたのは、黄金色の肉汁を溢れるほどに滴らせている、大量の鶏肉ステーキ。どうやら外で火を起こして焼いてきたようだ。


「わあぁ、肉だーっ!」


 誰かがそんな歓声を上げると同時に、子供達が津波のようにミラの方へと押し寄せてくる。私の脚にも度々その身体がぶつかり、よろけて大鍋いっぱいに注がれたカレーがこぼれそうになってしまう。


「落ち着いて! ちゃんとみんなの分あるから……」


 しかし、多勢に対して私の声はか細く、届かない。床を踏み鳴らす音も、純真無垢な子供達の声も、大きな群れが異分子を駆逐するかのように、私の声を殺してしまう。


(まずい、どうしよう……)


 その時だった。


「お前ら、並べ——ッ!」


 鋭く低く、透き通った声が勢い良く空気を裂いた。それに驚いた子供達が一斉に顔を上げる。そして、慌てながらまっすぐ整然と列を作り始めた。

 声の主はミラだ。私とは違い、彼女が声を発せば一瞬で空気が変わる。重さも威厳も、私とは比べ物にならないほど強大であった。


(やっぱり頼りになるなぁ。さすが、私の相棒)


 なんとか場が納まったのを確認した私は、ふと、ミラの方を見る。私の視線に気付いた彼女は、“大丈夫だ、安心しろ”とでも言わんばかりにキザなウィンクをして見せた。

 いつもの調子が戻り、一息ついた私は“ありがとう”の意味をこめた下手なウィンクを彼女に返す。それから大鍋を床に置いて、子供達が手に持っている皿に手早くカレーを注ぎ始めた。


 ミラは、私の横で子供達一人一人に何か声をかけながら、ステーキを一枚一枚、箸で摘みながらその上に載せていく。しかも、同時にパンまで手渡していくと言う離れ業をやってのけた。箸を使うだけでも、この家ではすごいと言うのに。


 配膳され終わった子から順に、目の前にある長机の適当な席にそれぞれ座り、各々が合掌をして料理に手をつけ始める。皆がスプーンで楽しそうにカレーをすくい、口に頬張っては笑顔を見せるその姿を見ながら、私はただ静かに、この上ない幸せを噛み締めていた。


 特に、目の前の机で、小さな口を開けて可愛らしくパンを頬張っているユキ——最愛の義妹の笑顔は、私にとって何よりも大事だった。全員の配膳を終えた私とミラは、自分たちの分、そして、この孤児院の養父—ヴィル爺の分を皿に注いだ。


「フィオナ、最後の一枚なんだが——爺さんにあげて大丈夫だよな?」

「うん、それでお願い」


 ミラは私の言葉を聞いて頷き、最後の鶏肉を、養父——ヴィル爺の皿に載せる。私たちの分はない、この孤児院は貧乏なのだ。肉や調味料を調達するために、隣町のルキアに行くだけでも数日はかかってしまう。何かあった時のために、せめてもの経費削減である。


 五、六年ほど前までは、家事も、育児も、全部ヴィル爺が一人で行っていた。しかし、ある日を境にその全てを私たちが担う様になった。彼が、心労で倒れてしまったのだ。


 それからというもの、私が彼に料理を手渡す時、洗濯物を受け取る時、隣町へ買い物に向かう見送りの時、必ず、彼の見せる微笑みの中には“申し訳なさ”の様なものが宿っていた。私には、それが何故なのかいまいち理解らなかった。だって、命を救ってくれた人に、せめてもの恩返しをしたいだけなのだから——


「フィオ姉、これ、あげる!」


 そう言ったのは、ユキ。彼女は、こちらに向かって自分のお皿を差し出していた。

 その中に入っていたのは一枚の鶏肉。しかし、カレーは残っていない。肉だけ残したのだろうか。


「フィオ姉、いっつもお肉食べてないから……」


 その言葉を聞いた私は、少し背の低い彼女の頭をゆっくりと撫でながら口を開けた。


「ユキ……いいの、いいのよ。自分の分を、ちゃんと食べて。それは、私たちが貴女に食べて欲しいって思って作ったんだからね」

「でも、お腹すいてるでしょ……?」

「ううん、そんなことな……」


 ぐぅうううう————


「………あっ」

「ほら、すいてるじゃん!」


 ……何も言い返せない。実際、腹は死ぬほど空いていた。まだカレーも食べていないのだから。


(でも、十八才を過ぎて既に成長期の終わっている私じゃなくて、まだまだ育ち盛りのユキに少しでも栄養をつけて欲しい。一体、どうすれば……!)


「まあまあ、ユキ。フィオナは今、ダイエット中なんだ」


 その時、ミラが私たちの間に割り行ってきた。

 

「な、フィオナ。ダイエット中なんだよな、な?」


 ミラはそう言いながら、私の方に首を傾けて、目を合わせてくる。“話を合わせろ”と言わんばかりの眼圧。私は、苦手な嘘でその場を必死に取り繕った。


「あ、ああ……うん! そっそう、私、ダイエットしてるの!」

「そうなの……ほんとに?」

「ああ、本当さ。僕が言うんだからね!」

「あはは、わ、私、ダイエット中なの——」

「…………わかった! ダイエット頑張ってね!」


 ……もう、嘘は限界だった。間一髪のところで、にこりと笑ったユキは、自分の席へと戻って行った。


「ありがと、ミラぁ……」

「全く……最低限の嘘くらいは吐けるようにしとけよ。でないと、この先やっていけないぞ?」

「うん、分かった……」


 嘘というのは難しいものだ。吐いて良い時と、悪い時がある。私には、その区別がいまいち理解らなかった。嘘は、悪いもの。そう、悪いものなのだ。そう、昔だって———


(……まあ、一件落着かな。そろそろ私たちも、ご飯を食べるとしますか)


 一悶着の末、安堵した私はミラと一緒に、ヴィル爺の横の空いている席へと向かった。


「はい、これ、ヴィル爺の分」


 そう言って、私は目の前で優しい皺の刻まれた養父にカレーとパンを手渡す。

 長い年月が経ち、初めて会った時よりも肩や背中が丸くなっているのを感じる。まるで本当の父親の様に優しい表情をしている彼の顔を見るだけで、私の胸は温かい気持ちでいっぱいになった。


「ほう、今日のカレーもなかなかだな……うん、味も申し分ない。さては、腕を上げたな?」

「えへへ、そんなことないよ……」


 やはり、褒められると言うのは嬉しいものだ。私は思わず顔をほころばせながら、自分の作ったカレーをようやく口に入れた。思わず、「美味しい……」と声が漏れ出てしまう。


「爺さん、僕の肉はどうだい、完璧だろう? 外で焼くと風味が違うんだよ、風味が」

「はいはいミラ、自画自賛しないの。私知ってるんだからね? 何回も焦がしかけてたくせに」

「なっ……!」

「ははは、だが、焦げも香ばしさのうちの一つだ。ミラ、よくやった!」


 ミラは一瞬、照れくさそうに頬をかく。その後、ふっと微笑みながら肩をすくめて言った。


「ああ……こんな毎日が、ずっと続けばいいのに」

「そうだねぇ……」


 ご飯を食べ終わって、有り余る体力のままにはしゃぎ始める子供達。まだご飯を食べている子たちも、幸せそうな表情でパンを頬張っている。

 いつもと変わらない光景。いつもと変わらない幸せ。この穏やかな時間が、私の負った心の古傷を、少しずつ、少しずつ時間をかけて丁寧に癒していく。


 食事を終えた私たちは、子供達の寝る準備に取り掛かった。楽しい子育ての中でも、一番の難関、自分の就寝時間に直結するためこちらも必死である。


「こら、暴れないで……ちょっと、まだ服着てない! ミラ、そっち捕まえて!」

「ちょ、待っ……こっちも手がいっぱいで……」


 風呂上がりの暴走は、毎晩恒例の小さな戦争だった。話は通じない、羞恥心はない、でも走ったら転んで怪我をする……猛獣を使役するのと、何ら代わりはない。唯一の救いは、最近ユキがこの作業を手伝ってくれる様になったことだ。

 十三歳になり、最近ようやく自分でいろんなことをしてくれる様になり始めた。今はまだ程遠いが、あと十年もすれば皆、大人になって“育てる側”の人間になっていくのだろうか。


 そんなことを考えながらの約一時間の死闘。それをなんとか乗り越え、二十人全員に寝巻きを着せることに成功した私たち。しかし、本当の地獄はここからである。


 そう——子供達は消灯を嫌うのだ。


 皆、寝たくないと必死の抵抗を見せてくる。流石に、数が多いと力関係も逆転してしまう。こんな時に一番頼りになるのが——


「お前ら、良い加減布団に入れ———ッ!」


 そう、ミラだ。彼女はいつもの大声で子供達を統率する。ぞろぞろと一斉に寝床へと向かう子供達。


(ふぅ……これで、やっと寝れる)


「じゃあ、電気消すよー」


 かちり、私がスイッチを押すと、家中の電気が一斉に消灯される。これで、全ての仕事は終わりだ、あとは、自分の部屋に戻って眠るだけ——


 私は、灯のともったランタンを片手に、足音を立てて子供達を刺激しない様に、そろり、そろりと、少しだけ開けておいた扉の隙間を通って、リビングへと出た。横開きの扉に手をかけて、慎重にそこを閉めようとした、その時だった。


「フィ、フィオ姉……」


 私は、誰かに服の裾を引っ張られた。顔を見下ろすと、そこには溶けてしまいそうなほど白い長髪を後ろに結んだユキの姿が。彼女は、ちらちらと目を逸らしながらぼそぼそと口を開けた。


「どうしたの? ユキ」

「あの、その……眠れ、なくて……」

「ふふ、仕方ないなぁ……じゃあ、一緒に寝よっか」


 中腰になり、彼女を見上げる様な形で私はそう話しかけた。ユキは、ぱあっと明るい笑顔を浮かべる。齢十三とはいえど、まだまだ子供なのだ。私は、ユキの手をぎゅっと握って、一緒に二階の自室へと向かった。


 二人で歩く廊下は、すっかり静寂と闇に包まれている。その中で、壁に一枚、ぽつんとかけられた古い絵画が異様な存在感を放っており、やけに恐ろしく感じてしまう。まあ、キャンバスいっぱいに、大勢の人間たちの身体が崩れ落ちていく様子が描かれているという代物なので、元からかなり不気味なのだが。


 こつり、かつりと響く靴音が、昼の喧騒とは裏腹に、心地よく反響していく。窓の外は深い夜霧に覆われていた。その向こうでぼんやりと浮かぶ朧月が、私たちの足元をわずかに照らす。二人の影が、壁に並んで伸びていた。まるで、闇の中で寄り添うように。


 少しして、私は自分の部屋へと辿り着いた。ようやく、と付け加えたほうがいいだろうか。まさか、ユキがここまで怖がりだったとは。


 一日半ぶりの自室は、かなり蒸し暑い。ベッドの枕元にある小窓を開け放つと、心地の良い夜風が流れ込んできた。ちりん、と窓際に吊るされた風鈴——ルキアで一夜を明かした教会の神父様が、何故かお土産にと呉れた物だ——が軽快な音を鳴らす。


「じゃあ、寝よっか」

「うん」


 布団に入った私は、棚に置いてあるランタンの灯をそっと吹き消した。暗闇の中、ベッドの上で横になった私の胸元にユキが顔を埋める。そんな彼女の頭を、私は優しく抱きながら目を瞑った。


「ふふっ、赤ちゃんみたい」

「別に良いじゃん……落ち着くんだから……」


 しん、と静寂。耳をすませば、風鈴の後ろでたくさんの音が聞こえてくる。木々のざわめき、夜の風音……その全てが、子守唄のように私たちに安らぎを与えていた。


「ねえ、フィオ姉」

「ん? どうしたの?」

「何か……はなして……その、読み聞かせみたいに……」


 ユキの声は、半分微睡に落ちかけているようだった。多分、昔を思い出したのだろう。四、五年前までは、いつもこうして寝ていたのだから——


「……そうね……じゃあ、“旧人類”の話でもしよっか。まだ、話した事なかったよね」

「うん……」


 この話は、ずっと昔からヴィル爺に飽きるほど聞かされた話であった。もう、何年も聞いていないな—--そんなふうに子供の頃を懐かしみながら、私はぽつり、ぽつりと物語の内容を話し始めた。


「これは、何千年も前の話。この世界の人たちは、魔法を使う事ができませんでした——」


* * *


 ————その代わり、彼らは鉄の塊を使って世界中で“場所”を奪い、争い続けていました。しかし、ある日を境に、戦争は突然終わりを迎えました。ある小さな国が、世界中全ての国を、一夜のうちに滅ぼしたのです。


 それは、とある“兵器”を見つけたからでした。その正体は、八人の“魔女”。その力は強大でした。どんな鉄の塊も、彼女たちには一切効かなかったのです。


 終わりを迎えた戦争、その立役者は、魔女たちを率いて戦った、“英雄”と呼ばれる人物でした。魔女たちは、何故かその人の言うことだけはなんでも聞いていたのです。


 しかし、世界は平和になりませんでした。小さな国は、その力を我が物にするために英雄を殺し、魔女たちを操ろうとしたのです。


 そんな英雄は、死の間際、彼女たちにこう言い残しました。“この世界を平和にして欲しい”と。魔女たちはその願いを聞き入れました。そして、全員で力を合わせて世界を滅ぼし、新たな世界を創り上げたのです。


 そこは、人々が皆等しく魔法を手に入れた、新しい世界。こうして生まれたのが、私たち“新人類”なのです。


 ところで、元いた人たちはこの後、どうなったのでしょうか。魔法を使えない彼ら“旧人類”は、その傲慢さと欲深さを哀れんだ神様によって、身体と考える力を奪われてしまいました————


* * *


「——そんな彼らは、今でもこの世界の地下深くに封印されているんだとか。おしまい」


 私が話し終える頃には、すでに胸の辺りでユキの寝息が響いていた。私が今話した物語は、古くから伝わる、いわゆる“人類誕生の歴史”というヤツだ。正直、デマとしか思えない。今では、危ないから、という理由で子供の魔法の使用は一切禁じられているし、そもそも、戦うこと以外で使う機会もほとんどない。まして魔力の差など、人によって千差万別だ。全く使えない人もいれば、一日中使い続けられる人もいる。


(なーにが世界平和だ。それが本当なら、こんな場所、とうの昔に無くなっているはずなのに)


 私はそんなことを思いながら、ユキの頭をそっと撫でた。

 この世界がどれだけ平和じゃなくても、どれだけ不平等でも、ここにいる子たちだけでいいから、幸せになって欲しい。私はそんなことを思いながら目を瞑った。


 再び、風に揺らいだ風鈴がちりん、と一度だけ鳴る。心地の良い風に吹かれ、段々と意識が微睡の中に落ちていく。


(ああ、こんな幸せな日々が、これからもずっと、続いていきますように)


 私は、心の底からそう願った。静かな夜。当たり前の夜。誰もが安らかに眠り、誰もが明日を楽しみに思いながら幸せな夢を見るありふれた一日の終わり。


 ——そんな日常が、あと数刻で呆気なく崩れ去ってしまうなんて、この時は誰一人、思いもしなかったのだ。

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