第三楽章 ② 少女の決意

 一時間後、帝国軍の司令部要員たちが修道院の一室に集合した。

 屋外では、流石さすがに人の耳が多過ぎるからだ。


 エーカは歩くのも億劫おっくうだったが、ルチアが仕方なく背負って運ぼうとしたために観念かんねんして修道院まで歩いた。


 蝋燭ろうそくの火が揺らめく室内で一通り自説を語り終えたルチアに、情報将校らしき男性士官が口を開く。


「では、この娘ならばオルゴールの所在が聴こえる……と?」


「はい、追跡可能かと存じます。──できるわね?」

 大きい机に地図を広げながら、ルチアは質問した。


「…………いや」

 低く、小さな声でエーカは答えた。


「なッ!」

「死にたいのか小娘!?」

 占領軍に対して非協力的な少女に罵声ばせいが飛ぶ。


「死にたい!!!」


 エーカは叫んだ。

 その突然の大声と、「お母さんのところに行きたい」という蚊の鳴くような台詞に、軍人たちは言葉を失ったようだった。


 エーカは小さくひざを抱えて黙り込む。そして思った。

 こいつらがお母さんを殺した。

 だから──。


【みーんな、死ねばいい】


 そうだ……。


【わたしがいっしょに死んであげるから】


 自分で考えるより先に、誰かの声が頭を流れていく。けれどエーカにとっては、もう何もかもがどうでもよかった。


 このまま無気力に振る舞っていれば士官たちも諦めるか、逆上して撃ち殺してくれるかするだろう。

 どうか好きにしてくれと思考を投げる。


 急に周囲から物音が消えた。皆、あきれて絶句しているのだ。

「もういい、追い出せ」と言われるのを待っていたが、いつまで経っても誰も口を開かない。


 ふと顔を上げると、一人の男がひたいを床に密着させて──つまり、ひれ伏していた。

 聖堂の祭壇さいだんで聖体安置所に向かって平伏する信者を見た記憶はあるが、それを正面からながめたのは初めてだった。


「閣下……」と、周りの軍人は困惑こんわくの声を出す。

 しばらくして、エーカは彼の頭が自分に向けられていることに思いいたる。


「頼むッ!!」


 ひれ伏していたのは、帝国軍の司令官だった。

 本来なら、こんな場所にわざわざ姿を現す身分でもないはずだ。歴史書に名前が載るような人物が、敵国の民間人の女子に頭を下げてもいいのだろうか。


 あまりの事態に、エーカを含めたその場の全員が押し黙る。軍の将校とは、それほどに偉い人のはずだった。

 彼は言う。


「住民と私の部下の命を守れるのは君しかいない。協力してくれ! 君の御母上が亡くなられた責任は、すべて司令たる私にある。憎いのなら私が自害する。だから、この通りだ!!」


 司令官に続き、彼の部下たちも苦々しい表情で頭を下げてきた。

「どうか頼む!」

「お願いするッ!!」


 最後に、ルチアが口を開いた。


「エーカ。お母さんは、あんたに何て言って教えてきたの。人を殺して自分も死ねと、その年になるまで育ててきたわけじゃあないでしょう?」


 お母さんは──何と言っていただろうか。

 明確な言葉は思い出せなかったが、母の優しい声だけは今も心に響いていた。


「Va bene……」


 エーカの言葉に、士官たちが顔を上げる。

「かたじけな──」


「でもっ! あなたたちを許したわけじゃないから!!」


 エーカがお礼の言葉をさえぎっても、司令官は笑顔を見せた。









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