第2話

「うーん、駄目ですねー。開く気配すらのっとですよ」

「やっぱりそうだよね、うん……」


 苦界院永久が切崎贄子と遭遇して十数分。

 二人は慎重に廊下の窓や一階の玄関に向かっては、開くかどうかを手作業で確かめていた。

 分多工業高校の校舎は三階建てにして三つが並列に並んでいる。加えて体育館や実習用の工場へ向かう渡り廊下も存在するため、校舎の外に出るだけならば然したる労苦はない。

 本来ならば。


「私も何回か試してみたけど、全部開かないんだよね。なんでなの」


 思わず弱気が零れるのも無理はない。

 窓の外には山の上に立地するがために光こそ途絶えているが、確かに平時と変わらぬグラウンドが顔を覗かせているのだ。隙間風も少女の柔肌に突き刺さり、肌寒さを覚えさせている。

 にも関わらず、今の永久たちは手を伸ばせば掴める自由を阻まれ続けていた。

 一方で贄子は大して気にしていないのか、窓に手を当てて反射する自分の顔に視点を合わせている。


「窓は開かず、玄関も沈黙。さしずめ、今の校舎は希望を詰めたパンドラの箱といったところでしょうか」

「パンドラの箱?」

「贄子さんという絶世の美少女を詰め込んだ希望の箱。そういえば、この箱を地上に持ち込んだパンドラも世界初の女性で相当な美女だったらしいですよー」

「は、はぁ……」


 ウインクして謎の決め顔を作る辺り、雰囲気で適当なことを言っているだけか。

 行動を共にしてある程度の時間こそ経過したが、依然として贄子への警戒心は抜け落ちていない。

 意図が読み取れない──強いて言えば夜の学校が織りなす雰囲気に浸った言動が多いのだ。

 仮に脱出が容易に叶う環境であれば、無理に関わり合いになることもなかった。確信を以って口に出せるほど、鳥の巣を連想させる白髪の少女には不思議な印象ばかりが深まっていく。


「では、次は第三校舎の廊下を探りますかー」

「あ、あそこも見るの……?」


 何気ない贄子の提案に、僅かに語尾が揺れる。


「? 当たり前じゃないですか。もう調べてないのはそこだけですよ」


 彼女の問いかけを責めることはできない。

 彼女はおそらく、幸運にも遭遇していない。

 永久が図書館に飛び込む寸前まで追われていた存在に。記憶を想起させるのさえ忌避する、根源的とも言える恐怖の存在と。


「そ、それはそう、だけど……あそこには、怪物がいたの」

「怪物……ごーすと、あるいはもんすたーとは」

「一年三組で起きた私はそこから近くの出口、第三校舎の扉を目指したの。そうしたら、アレと出会って、逃げて……それで図書館に……」

「……なるほど、ふむ。ともなれば……」


 簡潔な説明を受けてか、贄子は顎に手を当てて独り言を繰り返す。一人思案を深める様は美醜の共存した顔立ちと相まって不思議な印象を抱かせた。

 が、顔を上げれば先程までの軽薄な態度が蘇る。


「でしたらおーるおっけーというものです。やはり贄子さんと一緒に第三校舎を調べましょう」

「えぇ……」

「人間思い立ったら吉日とも言いますしー?」

「はぁ……」


 嘆息を零すも、贄子の言い分も一理ある。

 一夜を学校で過ごすのであればともかく、脱出を目指すのであればいつかは立ち向かわなくてはならない。

 だからこそ、永久は大きく深呼吸を一つ。勢いをつけて顔を上げると目つきを鋭く研ぎ澄ます。


「分かった。それじゃ、さっさと行こうよ」

「おっけーでーす」


 少女の決意を受け取り、贄子もまた力強く拳を掌に叩きつけた。



 第三校舎の一階は、二人がいた地点から数分と経たずに足を運べる。

 そして到着してすぐ、異形が顔を覗かせた。


「ッ……!」


 既に一度見た風貌ながら、改めて目の当たりにしてなお絶句する。

 第一印象としてはイソギンチャク。

 三つの頭を中心に無数の指が無秩序に生え狂い、好き勝手に蠢いている。頭部も統率された動きをしている訳ではなく、一つの統制された存在というよりも複数を無理矢理収束したような違和感を醸し出していた。


「おーおー、なんかいますねー」

「なんでそんなに気楽なの……?」

「実際本当にいーじーですから、が答えでは駄目ですかねー」


 言い、贄子が右手を軽く振る。

 すると指の隙間に三つ、先端を鋭利に研ぎ澄ました鉛筆が挟まれていた。


「何それ、鉛筆……?」

文殊仙寺もんじゅせんじ……の付近の売店で売ってた鉛筆。一ダース税込み八七〇円」

「だから何?!」

「君は絶対触っちゃ駄目ってことでーすね」


 軽薄な調子のまま、贄子は化物の前に躍り出る。

 都合三つの双眸もまた敵対者を捉え、触手よろしく指を伸ばした。

 廊下を抉り、掲示板に張られたプリントを薙ぎ払い、人を磨り潰すには充分な殺意を込めた無数の指が襲い来る。

 人間の運動神経では攻略しようもない密度の破壊が迫る中、白髪の少女はしかと目を輝かせて跳躍。指を足場に前屈みの姿勢で突撃速度を深める。


「当然、悪霊なんて以っての他です、ねー」


 鞭のようにしなる右腕に従って飛翔する鋭利な鉛筆が、三つの頭部それぞれに直撃。

 肉体に食い込む先端に化物は苦悶の叫びをあげ、指の末端から徐々に霧散していく。頭部全てが激痛に苛まれれば、少女へ注がれていたはずの意識にも空白が発生。

 故に迫る跳び蹴りに対する防御など、あるはずがない。

 踏ん張りを失った化物は贄子の蹴りによって吹き飛び、背後の扉を粉砕。なおも止まらぬ勢いは工場へ続く渡り廊下を滑りながら、指を次々と脱落させていく。


「あいむうぃなー。さ、扉も開きましたし、先を急ぎましょう。苦界院さん」


 人差し指を突き立て、右腕を伸ばして勝利のスタンディング。

 完全に永久を置き去りにした光景に言葉を失うも、反応を求められては無視もできない。


「え、えぇ……」


 数分前まで抱いていた恐怖も遥か彼方。黒の眼差しは呆れを多分に含んで贄子を見つめた。

 故に永久は気づかない。

 二人の一部始終を目撃していた視線がもう一つあることに。

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