第2話:二度目の人生でやるべきたった一つのこと
一億円を貯めるまでに、色んなことがあった。
大抵のことには動じずに、冷静に乗り越える精神を身に着けたはずだった。
しかし、これはもうそんな次元の出来事じゃない。
人知を超えた尋常でないことが、自分の身に起こっている。
「な、ななな、なんで……? え? これ、俺……? いや、いやいやいや……」
雑に染められた金髪に、よく目つきが悪いと言われた双眸。
そんな顔を手でペタペタと触っている十代の少年がガラス戸に映っている。
慌てふためき、今にも叫びだしそうなくらいに動揺している。
それは紛れもなく、“俺”だった。
「かずくん、まだ寝てるのー? 入るよー?」
扉がノックされ、少し遅れて開かれる。
「なんだ起きてるじゃん。だったら早くアラーム止めてよ~……」
背の低い、制服姿の少女が部屋に入ってくる。
「み、
「まだ寝ぼけてるの? もう……どうせ夜ふかししてたんでしょ……」
呆れながら側に近づいてきて、目覚ましのアラームが止められる。
状況は飲み込めないにも拘らず、俺はその正体を当然のように知っていた。
そう、かつての同居人。
本来なら今の俺の部屋にズカズカと入ってくるわけがない存在だった。
「お、お前……な、なんで……? 今、何歳だ……?」
混迷を極める中、なんとか質問を絞り出す。
「何歳? 十四歳だけど……そのくらい知ってるでしょ?」
「未希が十四……ってことは俺は……」
「かずくんは私の2つ上なんだから十六歳でしょ。本当に寝ぼけてるの?」
現実離れした答えを俺が導き出すよりも先に、未希が言う。
十六歳。
その自認年齢と大きくかけ離れた答えに、世界が揺れるような衝撃を覚えた。
これは夢か?
それとも、これまでの十年が夢だったのか?
「じゃ、私は先に降りてるから早く準備してよ」
制服のスカートを翻して、部屋から出ていく未希の背中を見送る。
少なくとも、この現実感からしてこれは夢じゃない。
ガラス戸に映った十六歳相応の顔立ちも、これが現実だと告げている。
ただ、一億を貯めた十年の歳月も夢だったとは考えづらい。
となると、考えられるのは――
「もしかして、タイムリープってやつ……?」
遂に、そのSFじみた答えへとたどり着く。
一万円札を拾うために川へ転落して、死んだはずが十年前に戻った。
現実離れしているが、そうと考えるしか辻褄が合わない。
そして、それは俺にとって最悪の事実を意味していた。
「俺の一億円!!」
そう、十年の歳月をかけて必死に貯めた1億円の消失だ。
「あ、あんまりだ……こんなこと……あんまりすぎる……!」
ガラス戸に映った自分と一緒に頭を抱えて慟哭する。
高校時代のバイトからコツコツと、種々の誘惑に耐えて貯めた金が消えた。
タイムリープしたとことよりも、その残酷な事実の方が認めがたかった。
また一からやり直し?
あれだけきつかったのに、もう一度できるのか?
それにまた同じことが起きてやり直しになるかもしれない。
賽の河原の石積みかよ……。
全身から気力が抜け、頭を抱えていた手がベッドの上に落ちる。
「かずくーん! 早くしないと本当に遅刻するよー!」
扉の向こうの階下から未希の呼び声が聞こえる。
……学校、行くか。
この沈みきった気分で他に何かできるわけもなく、唯一与えられた選択肢を選ぶしかなかった。
体感で八年半ぶりの制服に袖を通して、階下へと降りると朝食が用意されていた。
「あれ? 叔母さんは?」
「お母さんは夜勤で疲れてるからまだ寝てる。いつものことでしょ」
「あー……そうだったっけ……」
俺からすればずっと前のことのように感じるけど、そうだった気がする。
ところで俺の精神は一体どういう状況下にあるのか、ふと気になった。
高校二年の財前数真を未来の財前数真が上書きしたのか、それとも高校二年の財前数真が未来の記憶を手に入れたのか。
記憶の連続性的には前者な気もするが、そんなことを考えてしまう高二病マインドは肉体に引っ張られいるのかもしれない。
「そうだよ。ほら、早く朝ご飯食べて」
まあ、この異常事態にそんなことはどうでもいいか……。
トーストをサクッと食べて、二人で家を出る。
通学路を並んで歩いていると、少しずつ記憶の混濁が収まってきた。
未希は俺の高校の付属中に通っていて、毎朝こうして一緒に登校してたんだったな。
多分、俺が学校をサボったりしないように見張りも兼ねていたんだろう。
それで周囲からはとやかく言われた覚えもあるが、流石に細かくは覚えていない。
懐かしの通学路を半分ほど進んだところで、未希が声をかけてくる。
「かずくん、何かあったの? 元気ないみたいだけど」
「んあ? 別に……何もないけど」
心配そうに尋ねられたのを、雑に誤魔化す。
邪険に思ったわけじゃないが、『必死に貯めた一億円がタイムリープで消えた』なんて答えられるわけがない。
「うっそだぁ~……なんか全然覇気がないんだけど」
「いつもこんなもんだよ」
「でも、今日は一度も口座の残高を確認してニヤけてないよ?」
反論できなかった。
「もしかして、またお姉ちゃんに変なこと頼まれたりしてるんじゃなの? そうだったら私がビシッと言って……あっ!」
未希が途中で言葉を止めて、前方に何かを見つける。
「お~い! 真琴ちゃ~ん!」
そのまま、今度は中学生らしく手を大きく振りながら前方に駆けていく。
その視線の先には、また別の制服を纏った女が立っていた。
「真琴ちゃ~ん! おはよ~!」
未希が実の姉よりも懐いた様子で名前を呼んだのは俺の幼馴染――高月真琴だった。
「未希ちゃん。おはよー」
「久しぶり~。こんな時間に登校してるの珍しいね。今日は部活の朝練じゃないの?」
「うん、今日は休みの日」
歩いて、気さくに会話している二人に近づく。
俺とさほど変わらない女子としてはかなりの長身に、耳が隠れる程のショートカット。
シュッとした鋭さを有した大きな二重の目を備えた端正な顔。
如月真琴――俺の、いわゆる幼馴染にあたる女だ。
懐かしさのせいか、その顔をついまじまじと見てしまう。
向こうもチラッと俺を一瞥するが、すぐに未希の方へと視線を戻された。
「じゃあ、途中まで一緒に行かない? ねっ、いいでしょ? 白鳳の話も聞きたいし!」
「え? あー……それは……」
真琴が、また俺の方をチラッと見る。
こいつとは幼稚園から中学まで一緒だったけど、今は別の女子高に通っている。
それでも途中までの通学路は同じなので、高校に入ったばかりの頃は三人で何度か一緒に通学した覚えも微かにあるが――
「ごめん。部活とは別の用事があるから急がないとダメなんだよね」
真琴は顔の前で両手を合わせると、未希へと断りの言葉を告げた。
「え~……そうなのぉ~……」
「うん、ごめんね。じゃ、また」
そう言い残して、真琴はその健脚で俺たちから逃げるように通学路を走っていった。
「残念だったな」
「う~……かずくん、何かしたんでしょ!?」
「はあ? なんで俺が」
袖にされたのを慰めてやろうと思ったら、急に矛先が自分に向けられて困惑する。
「だって、ちょっと前までは一緒に登校してくれてたのが急にこれだもん! 絶対にかずくんが何がしたんでしょ!」
「何かってなんだよ」
「例えば……えーっと……告白して振られたとか! それで気まずくなって……」
「俺が真琴に? そんなバカな」
「でも、そのくらいしか考えられないし! 絶対かずくんが避けられてるんだって!」
ギャーギャーと喚き続ける未希を無視して歩き始める。
体感で十年以上も前のことなんて覚えていないだけなのか、それとも単純に心当たりがないのか。
もちろん、告白した覚えは流石にないし、あいつにそんな感情を抱いた覚えもない。
そもそも高校で別の学校になっても男女で一緒に登校するのがおかしくて、この状況が普通ってだけだろう。
めんどくさいからそういうことにしておこう。
「それにしても真琴ちゃん……また一段とかっこよくなってたなぁ……」
追いついてきた未希が頬を染めて、偶像を崇めるようなポーズで言う。
「かっこいい? 真琴が?」
「うん。背が高くて、手足も長いしぃ……所作の一つ一つからも、こう気品が溢れていて……それに何よりもあの端正な顔立ち! 女前すぎ! 噂によると、二年生にしてもう白鳳女子の王子様って呼ばれてるだって」
「はぁ……」
「私も高校生になったらあんな風になれるかなぁ……」
俺よりも頭1つ分低い位置にある目を爛々と輝かせている未希。
いつ頃からか聞かなくなったけど、そういえばこんな感じで真琴に憧れてたな……。
「何、その目……どうせ無理って思ってるでしょ? でも、未来の希望と書いて未希って読むんだよ! 人の可能性は無限大! 信じればきっと夢は叶う!」
「いや、無理っていうか……実際、十年後のお前は――」
俺の知ってる十年後の未希も、残念ながらそんな風にはなってなかった。
その残酷な事実を告げようとした瞬間、俺の頭に電流が奔った。
「十年後の私? 何? どうかしたの?」
急に足を止めた俺を心配するように、未希が顔を覗き込んでくる。
このタイムリープによって、俺は1億円を失った。
それは自分の半身を失ったような耐え難い痛みだ。
けれど、俺はその代わりに更にとんでもなく大きなものを得ていた。
それを上手く活用すれば、また1億円を……いや、その何倍何十倍だって……。
「おーい、かずく――」
「未希、悪い! ちょっと用事を思い出した!」
「え? よ、用事? ちょ、かずくん!」
戸惑う未希に背を向けて駆け出す。
二度目の人生でも、俺がやるべきたった一つのことは変わらない。
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