第一章 眠れる街

第1話 眠れる街

「んぎゃっ」


 冷たい路地に響き渡る、どんがらがっしゃーん! と重たい金属が落ちる音と、潰れるような子どもの声。

 硬い地面に墜落したアプリコとレドは、人気のない路地で折り重なるように倒れていた。とは言っても、ギアに痛覚は無いし、その不死の身体が傷つくこともない。うつ伏せに倒れているレドの上で、アプリコはむくりと身体を起こした。


「おおー、これが例の『終わりゆく世界』……」

「……アプリコ、さっさと降りろよ……」

「あっ、ごめん」


 少女はぐるぐると周りを見渡す。辺りは薄汚れたレンガで囲まれていて、天を仰ぐと灰色の空が覗いている。感心したように呟いていると、下で潰されているレドの声がしたので、彼女は慌てて地面に降り立った。


「……くそッ……なんでオレまでこんなとこに……」

「まあまあ、追放されてしまったからにはもう、仕方ないよ!」

「オマエのせいだろ! はあ〜……なんでオレが……」


 飄々とした様子のアプリコを見て、思わず大きな声が出る。うだうだと言いながら、レドは砂とゴミで汚れた地面から這い上がった。

 細い路地には、アプリコの見た限り人の姿はなく、カサカサと虫やネズミが地面を這う音が微かにするくらいだ。もしかすると、この世界を支配していた「人間」はもう既に滅びた後なのかも……。


「……ッもう、仕方ないけどさあ……おい、アプリコ……聞いてんのか」

「レド! いいことを思いついたよ!」

「こいつ……聞いてない……」


 少年が頭を抱えながらもなんとか現状を受け入れている時、アプリコは既にそこらをうろうろして楽しそうに辺りを見渡していた。少女が楽しそうにこちらを見るので、レドは座り込んだまま呆れた溜息を吐く。


「この世界、全て滅んで、ゆくゆくは何もなくなるでしょ? じゃあ、その後ボクらがここを『楽園』にしようよ!」

「……はあ?」

「そうしよう! それがいい! そうすれば女王もきっと思うよ、ボクらを追放しなきゃよかったって!」


 少女はいつものように大きな瞳をキラキラ輝かせ、楽しそうに声を弾ませる。現実を受け入れたばかりの彼を置いてけぼりにして、アプリコの脳内では既に計画が始まっていた。

 話について行くことの出来ていない少年を蚊帳の外にして、浮かれた足取りで少女は路地を歩き出す。新しい世界――これから、思い通りの「楽園」を作り上げる白いキャンバスを、少女は期待に満ちた目でぐるりと眺めた。


「ひとまず、この世界が現状どんな感じか見ていこう! それで、ボクらの理想の楽園計画を立てるんだ。何せボクらはギア、完全で完璧な生命! 時間はいくらでもあるからねっ」

「はあ……」


 嬉しそうにくるくると回るアプリコを見ながら、レドは目を細める。呆れからか、はたまた別の感情か――先程まで強張っていた表情を緩めて、少年は彼女の後ろをついて歩き出した。



「おいッ、動くなよ、ガキ」


 ――瞬間、路地の影から現れた男が、アプリコの腕を掴んで羽交締めにした。男の手には小さなナイフが握られており、少女の首元に突きつけてレドを睨みつける。


「アプリコ!」

「動くな‼︎ 動いたら、このガキもお前も殺すッ……」


 思わず手を伸ばしたレドに、男の怒鳴り声が響く。アプリコを締める腕がよりその強さを増す。何も言えずにされるがままになっている彼女に、少年は苦い顔をした。

 喉元に突きつけられたナイフは、小さく震えていた。先程からの男の怒鳴り声も、微かに揺らいでいるのがアプリコにも伝わっていた。男は焦点の合わない瞳で二人を交互に見ながら、表情を歪める。


「……ッこれで、このガキ売れば、明日だって……」

「アプリコ! 間違ってもやりすぎるなよ!」

「動く……は?」

「もちろんだとも! 驚かす程度にね!」


 レドの叫びに、男から気の抜けた声がした。男の腕の中で、アプリコは平然とした顔でウインクをした。

 刹那――カチャ、と金属が外れるような音がして、ドスンと無機質で重たい音が路地裏に響き渡った。


「……あ?」


 男が見下ろすと、地面に「下半身だけ」が落ちていた。


「……ひ」

「キミ、こんな真似はやめた方がいい。ボクには傷一つつかないからねっ」


 硬直する男の腕の中で、「上半身だけ」の少女が意気揚々と喋っていた。

 呼吸の音が消えて少しして、アプリコの上半身はぐらりと揺らいだ。


「ばッ…………化け物ッ‼︎」

「ちょ、うわっ、キミキミ! 落ち着いて……」

「ひぃッ……うわああああッ! 脚が⁉︎」

「あっうん、下半身の方も動かせるんだよ。分かったら落ち着いて、離してくれる?」


 男はふらふらとぐらついて、そして気が動転しているのかアプリコの上半身を抱えたまま、へっぴり腰で走り出した。慌てたアプリコの下半身がそれを追いかけるので、あまりにも恐ろしい光景に男の情けない悲鳴が響き渡る。

 暫くして、漸く落ち着いた男はアプリコを解放し、腰が抜けたのか地面に座り込んで立てなくなってしまった。切り離した身体を再度くっ付けながら、少女はやれやれと溜息を吐く。


「ねえ、ボクやりすぎだった?」

「まあ……この世界の人間にはちょっと刺激が強すぎたかもな……」

「……」


 その場で脚を動かして下半身の可動を確認する。首を傾げるアプリコに、レドは何とも言えない顔で座り込んでいる男に目をやった。無抵抗な男は、何も言わず様子を伺うようにちらちらと横目で二人を見ている。


「ねーキミ! ボクはアプリコ! 『楽園』からこの世界にやってきたんだよ。こっちはレド。さっき見てもらった通り、ボクらはギアと言って、不死の存在で、この世界の人間とは違う身体の構造をしていてね……」

「……」

「で、この世界って滅ぶんでしょ? だから、滅んだ後にボクらで楽園を作ろうって言ってたんだよ」


 何も言わない男を見下ろしながら、アプリコはにこやかに笑いながらそう語る。こいつ、絶望の淵にいる現地人の前で、そんな平然と突き落とすような真似を……。隣のレドは、信じられない様子で眉間に皺を寄せて表情を歪めた。


「……それでアンタ、なんでこんなことをした。売るとかなんとか言ってたけど……」

「あ! そうだよ! キミ誰? 今世界はどうなってるんだい?」


 男が黙り込んで話さないので、少年はすっと前に出てアプリコと男の間を遮るように割って入り、訝しげに睨みつける。温度のない声色で問い詰めるその後ろから、便乗するように少女がひょこりと顔を出すので、男はばつが悪そうに顔を背けた。


「……アンタ、無理してアプリコを襲ったろ。本意じゃない感じだった。どういう意図だ?」

「……」

「ま、オレたちも取って食おうってわけじゃない。アンタが答えないなら他を当たるからいい……他にも人間はいるだろうし。行こう、アプリコ」

「そうだねえ」


 路地に転がっている銀色のナイフに視線を落としながら、冷淡な口調で問う。ナイフを握った手の震えを、瞳の揺らぎを、彼らは当然見逃してはいなかった。

 男は変わらず何も答えない。はあ、と一つ溜息を吐いて、オレンジ色の瞳は蔑んだように見下ろす。少年に促され、アプリコも男に背を向けた。

 幸運なことに不死の上位存在から見逃された男は、離れていく二つの足音を座り込んだまま聞くだけだった。


『ね〜え、おにぃ〜』


 ふと、そのように聞こえた気がした。

 振り返った少女の、キラキラした赤い瞳と目が合った。


「――お、い……っ」

「ん?」

「……すまんかった、……訳を話すから、待ってくれ」


 よろよろと立ち上がる男を視認して、アプリコは不思議そうに首を傾げて立ち止まる。隣でレドは怪訝に目を細めていたが、どのみちただの人間がギアに傷をつけることはできない。目を伏せて深く溜息を吐いた。


「……丸腰のガキだけで歩いてたら、俺みたいなやつの格好の獲物だぜ」

「子どもを売るのかい? 売って何になるの?」

「金だよ、当たり前だろ……金がなきゃ、俺たちは生きてけないから。は〜あ……結局、俺の残金は一食分ぽっちってわけだ……」


 男の案内で、路地裏を抜けて開けた大通りに出る。幾分か明るく人気もあるが、寂れて荒んだ街という印象は変わらない。

 男は「グレイ」と名乗り、一人でこの街に住んでいるらしい。仕事を失い家を失い、窃盗などでちまちまと金を稼いで毎日をやり過ごしていた中で、無防備なアプリコたちと遭遇し――あえなく反撃を喰らい、現在に至るのであった。

 ゴミや新聞で散らかった大通りは、アルコールと生ゴミの混じったような異臭が漂っている。人々は疲弊し切った青白い顔で、そこかしこにぐったりと項垂れた人々が座り込んでいた。


「なあ、アレ……そこらで寝てる奴らいるだろ」

「へー、人間は路上で寝るんだね」

「貧しくて卑しいからってだけだろ……」

「……死んでんだよ、あれ」


 路上に横たわるそれを指差して、グレイは冷たい目でそう言った。まるでただ眠っているような、さっきまで普通の生活を送っていたのかもしれない人間は、よく見ると肌は血の気のない土色だった。


「腹が満たされなくなって、清潔な身なりを整えることもできなくなって、居場所がなくなって――そうして絶望したまま眠ったら、そのまま死ぬ。この街の人間は皆、そういう『病』に罹ってる」


 生きているのに死んだような目で語る彼の顔色は、街の人々と同じように青白く、その目の下には黒く濃いクマが出来ている。


「皆生きる為に金が必要なのに、富は金持ちが溜め込んで独占しようとする。俺たちは明日死ぬか生きるかも分からんまま、不安に怯えながらうたた寝するんだよ」


 不健康に痩けた頬と、上着の袖から覗く骨と皮しかないようなゴツゴツした手指。手の震えを押してまでアプリコを襲おうとしたのも頷けるくらいに、飢えに瀕しているのが見て取れる。


「何でこんな病気が流行ってるんだい」

「そりゃあ……あの戦争で全部がめちゃくちゃになって……そのせいだろ」

「へえ、そりゃ大変だ」

「大変だよ、親は戦争で死ぬし、俺は妹と二人残されて……その妹も、戦争とも『病』とも別の事故で死んだし」


 かつてこの通りに並んでいてのだろう多くの店は、割れた窓ガラスの向こうに瓦礫とゴミが散乱しているだけで、がらんとしていて誰もいない。ガラスの破片はキラキラと宝石みたいに地面を飾り、歩くとジャリジャリ音がする。

 戦争の後、この街に復興はなく、ただ終末の病によって死にゆくだけだった。平穏をぶち壊した理不尽な暴力に対し怒る気力すらもう無く、やがて蔓延した絶望は、じわりじわりと人々を殺していった。


「じゃあ、一人きりでこうやって絶望せずに生きてるんだ。キミは不思議だね」

「……まあ、妹が俺に『生きてて』って言ったんでな」


 小さく呟いて、グレイは遠い目で灰色の空を眺める。その横顔を、アプリコは興味深そうに見つめ、レドは何とも言えない表情でただ口を閉ざしていた。

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