第9話 石矢と20発の銃弾
# 第九章:石矢と20発の銃弾
森が、開けた。
それは突然のことだった。うっそうと茂る木々の間を抜けると、視界が一気に広がった。空が見える。青く澄んだ空が、まるで祝福のように頭上に広がっていた。
そして、そこには集落があった。
木々の間に点在する建物は、四人がこれまで見てきたどの建物とも異なっていた。丸太を組み上げた壁、樹皮で葺いた屋根。それらは森の一部であるかのように、自然と調和していた。建物の表面には、複雑な模様が刻まれている。渦巻き、動物の姿、幾何学的な文様。それらは単なる装飾ではなく、何か意味を持っているようだった。
セオドアは、その模様を見つめた。石碑で見た文字に似ている。おそらく、これらは祈りの言葉か、あるいは部族の歴史を刻んだものだろう。
建物は、大小さまざまだった。大きなものは、大人が十人は入れそうな広さがある。小さなものは、一人か二人が眠るだけの空間しかない。それぞれが、異なる役割を持っているのだろう。
集落の中央には、広場があった。
その広さは、驚くほどだった。直径にして、優に五十メートルはある。地面は踏み固められ、草はほとんど生えていない。その中央には、石で組まれた祭壇のようなものがあった。周囲には、焚き火の跡がいくつも見える。
広場を囲むように、建物が配置されていた。まるで、広場を守るかのように。あるいは、広場を中心に生活が営まれているかのように。
セオドアは、その配置を見て、わずかに息を呑んだ。
これは、計算されている。集落全体が、一つの意図をもって配置されている。防御、儀式、日常生活。それらすべてを考慮した、見事な設計だった。
森と集落の境界は、曖昧だった。
建物の周囲には、木々が残されている。その木々は、集落を隠すためのものか、あるいは森の恵みを得るためのものか。木の枝は、建物の屋根に触れるほど近い。蔦が、壁を這っている。
森と集落は、対立していなかった。融合していた。
人間が森に住んでいるのか、森が人間を受け入れているのか。その境界は、もはや見分けがつかなかった。
カミラは、その光景を見て、わずかに笑った。
「美しいわね」
その声には、わずかな感嘆が混じっていた。
イーサンも、目を輝かせていた。
「すごい! こんな集落、初めて見た!」
エースは、何も言わなかった。ただ、前を向いて立っている。
だが、その瞳は、集落を見つめていた。
セオドアは、周囲を見回した。
そして、わずかに眉を寄せた。
人の気配がない。
建物はある。広場もある。焚き火の跡もある。だが、人がいない。
風が吹き、木の葉が揺れる音だけが聞こえる。鳥の声も聞こえる。だが、人の声は聞こえない。
まるで、この集落は無人であるかのようだった。
セオドアは、その違和感を感じ取った。
これは、おかしい。
集落がある以上、人がいるはずだ。だが、その気配が全く感じられない。
まるで、何かが起きたかのように。
あるいは、何かを待っているかのように。
セオドアは、警戒心を高めた。そして、小声で言った。
「いいか、慎重に行動しろ」
その声は、緊張していた。
カミラも、セオドアの警戒心を察した。彼女は、周囲を見回しながら、わずかに体勢を低くする。
イーサンは、相変わらず笑顔だった。だが、その瞳は、鋭く周囲を観察していた。
エースは、何も言わなかった。だが、その手が、わずかに腰のリボルバーに触れた。
四人は、ゆっくりと集落に足を踏み入れた。
一歩、また一歩。
踏み固められた地面が、靴の下で軋む。その音だけが、静寂を破る。
カミラの心臓が、速く打っていた。百年以上を生きてきた彼女でさえ、この静寂は不気味だった。
イーサンは、周囲を見回しながら、小声で言った。
「誰もいないね」
その声は、わずかに緊張していた。
セオドアは、答えなかった。ただ、前を向いて歩き続ける。
エースは、相変わらず無表情だった。
四人は、広場の中央に向かって歩いた。
そして、その中央に立った。
静寂が、四人を包んだ。
風が吹き、木の葉が揺れる。その音だけが、世界に存在するかのようだった。
セオドアは、深く息を吸い込んだ。そして、大きな声で言った。
「我々は、敵ではない! 話がしたい!」
その声は、集落に響いた。
だが、返事はなかった。
静寂だけが、続いた。
セオドアは、再び叫んだ。
「我々は、ドラゴンのことで来た! 協力したい!」
その声は、さらに大きかった。
だが、やはり返事はなかった。
カミラは、セオドアを見た。そして、小声で言った。
「本当に、誰もいないのかしら」
その声には、わずかな不安が混じっていた。
セオドアは、首を振った。
「いや、いるはずだ。この集落は、つい最近まで使われていた形跡がある」
その言葉の直後だった。
ヒュン。
空気を切り裂く音が聞こえた。
セオドアは、反射的に体を伏せた。
何かが、彼の頭上を通り過ぎた。
それは、矢だった。
石でできた矢じりを持つ、長い矢。それが、セオドアの頭上を通過し、背後の木に突き刺さった。
カミラも、すぐに体を伏せた。
イーサンは、笑顔のまま、素早く建物の影に隠れた。
エースは、動かなかった。
ただ、前を向いたまま、立っている。
次の瞬間、無数の矢が飛んできた。
ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン。
空気を切り裂く音が、連続して響く。
矢は、四方八方から飛んできた。建物の影から、木の上から、草むらから。まるで、集落全体が、四人を狙っているかのようだった。
矢の数は、少なくとも二十本はあった。
それらは、正確に四人を狙っていた。頭、胸、腹。致命傷を与えるための、精密な狙い。
セオドアは、地面に伏せたまま、叫んだ。
「くそっ! やはり待ち伏せか!」
カミラも、建物の影に隠れながら、叫んだ。
「数が多いわ!」
イーサンは、笑顔のまま、小声で言った。
「師匠、どうする?」
エースは、何も答えなかった。
ただ、両手を腰に当てた。
そして、両方のリボルバーを抜いた。
その動作は、一瞬だった。まるで、呼吸をするかのように自然に、二丁の銃が手に握られている。
エースは、銃を構えた。
そして、引き金を引いた。
パン、パン、パン、パン、パン。
銃声が、連続して響いた。
右手の銃が火を噴く。弾丸が、空気を切り裂いて飛んでいく。
一発目。
飛んできた矢に命中した。矢は、空中で砕け散る。
二発目。
別の矢に命中した。やはり、空中で砕ける。
三発目、四発目、五発目。
次々と矢が撃ち落とされていく。
エースの銃は、的を外さなかった。飛んでくる矢を、正確に撃ち落とす。まるで、矢がどこから飛んでくるか、すべて見えているかのようだった。
だが、それだけではなかった。
エースは、右手の銃を撃ち終えた。
六発。
リボルバーの弾倉は、六発入りだ。もう、撃てないはずだった。
だが、エースは引き金を引き続けた。
パン。
七発目が発射された。
カミラは、目を見開いた。
セオドアも、息を呑んだ。
七発?
六発入りのリボルバーで、七発?
だが、それだけではなかった。
パン、パン、パン。
八発目、九発目、十発目。
エースは、右手だけで、十発撃った。
そして、左手の銃も、同じように十発撃った。
合計二十発。
飛んできた矢は、すべて撃ち落とされた。
空中で砕け散った矢の破片が、地面に落ちてくる。カラカラと乾いた音を立てて、石の矢じりが転がる。
静寂が戻った。
セオドアは、伏せたまま、エースを見つめた。
カミラも、建物の影から、エースを見つめた。
イーサンは、笑顔のまま、小声で言った。
「師匠、かっこいい」
エースは、何も言わなかった。ただ、両手の銃を、リロードした。
その動作も、驚くほど速かった。弾倉を開け、空の薬莢を捨て、新しい弾丸を装填する。その一連の動作が、まるで一つの流れのように滑らかだった。
カミラは、息を整えながら、イーサンに小声で尋ねた。
「あいつの銃は……特別製なのかい?」
その声には、驚きが混じっていた。
イーサンは、にこりと笑った。
「師匠は、ちょっぴり数字が弱いから」
その答えは、何の説明にもなっていなかった。
だが、カミラは、それ以上聞かなかった。
このガンマンには、常識が通用しない。それは、もう理解していた。
セオドアは、ゆっくりと立ち上がった。そして、周囲を見回す。
建物の影から、人影が現れ始めた。
一人、二人、三人。
次々と、先住民の戦士たちが姿を現した。
彼らは、まさに「the インディアン」だった。
腰には、獣の皮で作られた腰蓑を巻いている。それは、シンプルで、しかし機能的だった。動きやすく、暑さにも耐えられる。
上半身は裸だった。筋骨隆々とした肉体が、陽の光に照らされて輝いている。胸板は厚く、腕は太い。それは、日々の狩りと戦いで鍛え上げられた、戦士の体だった。
頭には、鳥の羽が挿されていた。色とりどりの羽。青、赤、黄色。それらが、頭の後ろから立ち上がり、まるで冠のようだった。
顔には、赤や黒の塗料で模様が描かれている。それは、戦化粧だった。敵を威嚇し、自らの勇気を示すための。
手には、弓を持っていた。
だが、その弓は、今、地面に落ちていた。
エースの銃弾が、弓を撃ち落としたのだ。
弓は、木と蔦で作られていた。シンプルだが、しっかりとした作りだった。その弦は、動物の腱で作られているようだった。
地面には、矢が散乱していた。
矢は、木の枝を削って作られている。先端には、石でできた矢じりが結びつけられていた。その石は、黒曜石のようだった。鋭く削られ、光を反射して鈍く輝いている。
矢の長さは、大人の腕ほどだった。本数は、少なくとも三十本はあった。
それらすべてが、エースの銃弾によって、無力化されていた。
矢は撃ち落とされ、弓は落とされ、だが、戦士たちには傷一つない。
セオドアは、その光景を見て、わずかに息を呑んだ。
全員、無傷。
これほどの数の矢を防ぎ、これほどの数の敵を無力化しながら、誰一人として傷つけていない。
これは、ただの防御ではない。
これは、精密な制圧だ。
敵を殺さず、しかし完全に無力化する。そのためには、驚異的な射撃技術が必要だ。
セオドアは、エースを見た。
ガンマンは、相変わらず無表情だった。ただ、前を向いて立っている。
まるで、今行ったことが、当たり前であるかのように。
先住民の戦士たちは、戸惑っていた。
彼らは、弓を落とされた。だが、傷はない。
矢は、すべて撃ち落とされた。だが、自分たちは無事だ。
これは、どういうことなのか。
もし、この白人たちが本気で自分たちを殺すつもりなら、今頃、全員が死んでいただろう。
だが、生きている。
戦士たちは、顔を見合わせた。
その表情には、驚き、困惑、そして、わずかな恐怖が混じっていた。
一人の戦士が、前に出た。
彼は、他の戦士たちよりも大きかった。身長は、優に二メートルを超えている。筋肉は、さらに隆々としていた。まるで、熊のような体格だった。
彼の顔には、深い傷跡があった。額から頬にかけて、斜めに走る傷。それは、過去の戦いの証だった。
頭には、黒と赤の羽が挿されている。他の戦士たちよりも多く、そして大きい。それは、高い地位を示すものだろう。
彼は、エースを睨みつけた。
その瞳には、敵意が宿っていた。
だが、同時に、わずかな敬意も感じられた。
彼は、低い声で言った。
「貴様、何者だ」
それは、先住民の言葉だった。
セオドアは、その言葉を理解した。連日徹夜で学んだ成果だった。読み書きだけでなく、聞き取りも、話すことも、すべてマスターしていた。
だが、エースは、その言葉を聞いた。
そして、わずかに頷いた。
まるで、理解したかのように。
セオドアは、驚いた。
エースが、先住民の言葉を理解した?
いや、違う。
理解したのではない。感じ取ったのだ。
この男は、言葉ではなく、雰囲気で相手の意図を読み取る。
野生の勘。それが、この男の武器だった。
大柄な戦士は、再び言った。
「貴様の銃は、我らの弓を嘲笑うのか」
そして、胸を叩いた。
それは、挑戦の仕草だった。
エースは、わずかに首を傾げた。
そして、銃をホルスターに戻した。
戦士は、満足したように頷いた。そして、周囲の戦士たちに言った。
「武器を下ろせ。だが、警戒は解くな」
戦士たちは、ゆっくりと後ろに下がった。
だが、その敵意は、まだ消えていなかった。
弓は拾い上げられ、矢は回収された。だが、いつでも撃てる構えは崩していない。
セオドアは、その様子を見て、わずかに眉を寄せた。
これは、まだ終わっていない。
先住民たちは、まだ警戒している。
そして、その警戒心には、理由がある。
セオドアは、深く息を吸い込んだ。そして、前に出た。
彼は、先住民の言葉で言った。
「我々は、敵ではない」
その言葉は、流暢だった。まるで、母国語のように。発音も、抑揚も、完璧だった。
戦士たちは、驚いた表情を見せた。
白人が、自分たちの言葉を話す?
しかも、こんなにも流暢に?
大柄な戦士は、目を見開いた。そして、セオドアを見つめた。
「貴様……我らの言葉を話すのか」
セオドアは、頷いた。
「ああ。石碑を読んで学んだ」
その言葉に、戦士たちがざわめいた。
石碑?
あの、古代の文字で書かれた石碑を?
大柄な戦士は、一歩前に出た。
「石碑を……読んだと?」
「ああ」
セオドアは、鞄から資料を取り出した。そして、それを見せる。
「これが、その記録だ。私は、あなた方の歴史を学んだ。文化を学んだ。そして、言葉を学んだ」
戦士は、資料を見た。そして、わずかに息を呑んだ。
それは、確かに石碑の内容だった。古代の文字が、正確に翻訳されている。
戦士は、セオドアを見つめた。
その瞳には、もはや敵意だけではなかった。
驚き、そして、わずかな敬意が混じっていた。
だが、それでも警戒は解けていなかった。
戦士は、低い声で言った。
「白い者どもは、我らを追いやった。土地を奪い、森に追い込み、数を減らした」
その声には、深い怒りが込められていた。
「貴様らも、同じではないのか」
セオドアは、その言葉を聞いて、深く息を吸い込んだ。
これは、予想していたことだった。
先住民たちは、白人に迫害されてきた。それは、事実だった。
セオドアは、自分の記憶を辿った。
保安事務所で見た記録。先住民との衝突の記録。
ある記録には、こう書かれていた。
「開拓団が先住民の集落を襲撃。抵抗する者は射殺、残りは森へ追放」
別の記録には、こう書かれていた。
「先住民の狩場を農地に転換。先住民の抗議は無視」
さらに別の記録には、こう書かれていた。
「先住民の聖地に鉱山を開発。反対する族長を逮捕」
これらは、すべて事実だった。
白人たちは、先住民を迫害してきた。土地を奪い、文化を破壊し、数を減らしてきた。
そして、先住民たちは、それを忘れていなかった。
憎しみは、深く根付いていた。
セオドアは、戦士を見つめた。
そして、言った。
「私は、それを否定しない」
その声は、真剣だった。
「白人たちは、あなた方を迫害してきた。それは、事実だ」
戦士は、セオドアを見つめた。
セオドアは、続けた。
「だが、我々は、土地を奪いに来たのではない。我々は、ドラゴンのことで来た」
その言葉に、戦士たちが再びざわめいた。
ドラゴン?
この白人たちは、ドラゴンのことを知っているのか?
セオドアは、さらに続けた。
「あなた方の森で、地震が起きている。それは、ドラゴンが復活しようとしているからだ」
その言葉に、戦士たちの表情が変わった。
驚き、そして、わずかな恐怖。
大柄な戦士は、セオドアを睨みつけた。
「貴様、どこまで知っている」
セオドアは、答えた。
「石碑に書かれていた。百年ごとに、ドラゴンは復活しようとする。そして、あなた方は、儀式でそれを鎮めてきた」
その言葉に、戦士は息を呑んだ。
セオドアは、真剣な表情で言った。
「我々は、協力したい。ドラゴンを鎮めるために」
静寂が、流れた。
風が吹き、木の葉が揺れる。
戦士たちは、顔を見合わせた。
カミラも、イーサンも、エースも、動かなかった。
大柄な戦士は、セオドアを見つめ続けた。
その瞳には、まだ疑念があった。
だが、同時に、わずかな期待も見えた。
やがて、戦士は口を開いた。
「待て」
その声は、低かった。
そして、戦士は後ろを向いた。
建物の影に向かって、何かを言った。
その言葉は、敬意を込めたものだった。
静寂が、再び訪れた。
カミラは、セオドアを見た。そして、小声で尋ねた。
「何を言ったの?」
セオドアは、小声で答えた。
「誰かを呼んでいる。おそらく……」
その時、建物の影から、気配が動いた。
戦士たちは、一斉にその方向を向いた。
そして、道を開けた。
セオドアは、息を呑んだ。
何かが、近づいてくる。
誰かが、姿を現そうとしている。
イーサンは、目を輝かせた。
カミラは、わずかに身構えた。
エースは、相変わらず無表情だった。
だが、その瞳が、わずかに影の方を向いた。
そして――
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