父の遺言

蓮音

第1話 カカシ

 高校に入ってから、通学手段が電車に替わった。これまで通学の時間はペダルを漕ぐことに奔走ほんそうしていたので、このヒマな時間に何をするのが正解なのかもわからず、いつもただぼんやりと外を眺めていた。あれはいつだったか、窓にガリガリ君の広告が貼ってあった気がするので、確か夏だったんじゃないかと思う。でもなぜだか、そんなに暑かったという記憶はない。冷夏なんてここ最近聞きもしないから、きっと列車の冷房が良く効いてただけのことなんだろう。


 右から左へと、景色はゆっくり流れていく。暗闇の中、山の稜線が薄っすら浮んでいるのを横目に、ポツポツと家々の窓から明かりが灯っているのが見えた。疎水そすいを渡る大きな橋を通り過ぎると、モーターをうならせて列車が少しずつ減速する。もうすぐ私の最寄り駅だ。降りる準備をしようと足元のリュックサックを持ち上げ、ドアに向き合った。まさにその時だった。


 踏切で列車の通過を待つ人々の中に、一本のカカシが立っていたのだ。


 ボロボロの麦帽子に破れかけのワイシャツ、顔の部分は真っ白な布地の球体に見えた。停車寸前のことだったので、五秒くらいのことだっただろうか。見間違いではなかったと思う。よく田畑で見かけるあのカカシが、踏切に面した商店街の道のど真ん中に突き刺さってこちらを向いていた。

 だが、それ以上に異様だったのは、カカシの周りで踏切を待つ人間の方だ。

 

 誰もがみな、口角をいびつに吊り上げ、ニヤニヤと笑っていた。それは自然と笑みがこぼれたというよりも、笑わなければならないという強迫観念に駆られているような、そんな笑い方だった。図らずとも、過ぎ去る踏切の方へと首が向いてしまう。それと同時に嫌な悪寒が背筋を走る。思わず振り返ってしまったことを、私は今でも後悔している。


 車内にいる全員が瞬きひとつせず、私のことを凝視していたのだ。

―――――踏切の人達と同じ、あの気味の悪い笑みを浮かべて。


 私はそらおそろしいものを感じて、ドアが開くと身を投げ出すようにしてプラットホームに飛び降りた。発車を知らせるサイン音がけたたましくホームに鳴り響く。先ほどまであの引きつったような笑みを浮かべていた乗客たちは、何事もなかったかのように私の横を通り過ぎていった。誰も私のことなど気にも留めていない様だった。電車は早々とドアを閉めると、ガタンゴトンと重い音を立てて、下りホームを去っていった。呆然ぼうぜんと立ち尽くす私をよそに、プラットホームは再び静寂に包まれた。


それから、あのカカシを見かけることはなかった。

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