第4話 真相

# 第四章


 神林が陰陽師の家を訪れてから、三日が経った。

 その間、神林は記事を書きあぐねていた。あの陰陽師のことを書けば、間違いなく売れる。だが、どう書けばいいのか。あまりにも酷すぎて、逆に書きにくい。どこから手をつければいいのか。

 神林は、もう一度、陰陽師の家を訪れることにした。

 追加取材、という名目だ。本当は、あの男がどこまで本気なのか、もう一度確かめたかった。あの男の言葉、あの態度、あの生活。全てが、本当なのか。それとも、何か裏があるのか。


 本郷の陰陽師の家。門を叩くと、またあの雪女が出てきた。

「いらっしゃいませ」雪女は相変わらず、丁寧に頭を下げた。「お待ちしておりました」

「また待っていた、と?」

「はい」雪女は微笑んだ。「主人が、そろそろ来るだろうと」

 神林は、少し不気味に思った。なぜ、自分が来ることがわかるのか。

 応接間に通されると、今度は、陰陽師がすでに座っていた。

 前回と同じ、だらしない格好。いや、前回よりも酷いかもしれない。無精髭はさらに伸び、髪はさらに乱れ、目やにはさらに増えている。着物は、同じものを着ているのか、それとも別のものなのか、どちらにしても汚れている。

「よう」陰陽師は、欠伸をしながら手を上げた。「また来たのか」

「ええ」神林は座布団に座った。「追加で、お聞きしたいことがありまして」

「ああ」陰陽師は煙管に火をつけた。「何でも聞け」

 神林は手帳を開いた。

「前回、最近の怪事件について伺いましたが」

「ああ、妖怪の仕業だって言ったな」

「ええ」神林はペンを構えた。「それについて、もう少し詳しく教えていただけますか」

「詳しくって」陰陽師は煙を吐いた。「何が知りたいんだ」

「なぜ、最近、妖怪が荒れているのか」

「ああ」陰陽師は面倒くさそうに言った。「それはな」

 そして、あっさりと言った。

「俺が、こないだ、山一つ分の妖怪を、一括で調伏したからだ」


 神林は、ペンを持つ手を止めた。

「は?」

「山一つ分の妖怪」陰陽師は繰り返した。「めんどくさかったから、一括でな」

 神林は、何を言われているのか理解できなかった。

「山一つ分、って」

「ああ」陰陽師は煙管を吸いながら、当然のように言った。「西の山に、妖怪がうじゃうじゃいたんだ。うるさくてな。だから、一括で調伏した」

「一括で」

「そうだ」陰陽師は鼻をほじった。「めんどくさいから、一匹ずつ相手にするのは。だから、山全体に結界を張って、一気に浄化した」

 神林は絶句した。

 この男、何を言っているのだ。

 山一つ分の妖怪を、一括で調伏。

 そんなことが、できるのか。

 いや、そもそも、妖怪なんて存在するのか。

「それで」陰陽師は続けた。「多分、それで妖怪の親玉が怒ってるんだろうな」

「親玉」

「ああ」陰陽師は煙を吐いた。「妖狐だと思う。九尾の狐。あいつ、気が短いから」

「九尾の狐」

「そうだ」陰陽師はあっさりと言った。「まあ、怒るのも無理はない。配下を大量に調伏されたんだから」

 神林は、この男が何を言っているのか、もはや理解できなかった。

 妖狐。九尾の狐。配下。

 全て、おとぎ話の世界だ。

 だが、この男は、本気で言っている。

「それで」神林は半ば呆れながら聞いた。「その妖狐が、人間を襲っている、と」

「そうだろうな」陰陽師は頷いた。「だから、最近の怪事件が起きてるんだ。妖狐が配下の妖怪たちに命じて、人間を襲わせてる」

「なぜ、そんなことを」

「怒ってるからだろう」陰陽師は当然のように言った。「俺が配下を調伏して、自分の配下にしちゃったから」

「あなたが」

「ああ」

 神林は、頭を抱えたくなった。

 つまり、この男の言い分によれば、最近の怪事件は、全てこの男のせいだということになる。

「では」神林は少し語気を強めて言った。「あなたが妖怪を退治しなければ、この事件は止まらないのでは」

「そうだろうな」陰陽師はあっさりと認めた。

「では、なぜ退治しないのですか」

「めんどくさい」陰陽師はきっぱりと言った。「妖狐と戦うのは、めんどくさい」

 神林は、開いた口が塞がらなかった。

 この男、人が死んでいるのに、めんどくさいから何もしないと言っているのだ。


 神林は、深く息をついた。

 この男は、本物の屑だ。

 だが、同時に、神林は疑問を抱いた。

 この男、本当に、山一つ分の妖怪を一括で調伏したのか。

 そんなことが、できるのか。

「あの」神林は聞いた。「本当に、そんなことができるのですか」

「ああ」陰陽師は煙管を吸いながら、あっさりと頷いた。「俺は天才だからな」

「天才」

「そうだ」陰陽師は自慢げに言った。いや、自慢げ、というより、事実を述べているだけ、という口調だった。「幼い頃から、妖怪の調伏は得意だった」

「幼い頃から」

「ああ」陰陽師は煙を吐いた。「五歳のときに、最初の妖怪を調伏した。それから、次々と調伏していった。十歳のときには、すでに百匹以上の妖怪を使役していた」

 神林は、手帳にメモを取った。

 この男、完全に妄想の世界に生きている。

「それで」神林は聞いた。「その妖怪たちに、何をさせていたのですか」

「色々だ」陰陽師は煙管を吸いながら言った。「掃除、洗濯、料理、買い物。面倒なことは、全部妖怪にやらせた」

「全部」

「ああ」陰陽師は頷いた。「俺は、働きたくないんだ」

 その口調は、きっぱりとしていた。まるで、信念を語るかのような口調だった。

「絶対に、働きたくない」

 陰陽師は、そう言った。

「なぜですか」神林は思わず聞いた。

「めんどくさいから」陰陽師は即答した。「働くのは、めんどくさい。朝起きて、身支度をして、外に出て、仕事をして、帰ってくる。全部、めんどくさい」

「しかし」

「だから」陰陽師は続けた。「幼い頃から、面倒なことは全部、妖怪にやらせていた。妖怪は文句を言わないし、給料もいらない。最高だ」

 神林は、この男の怠惰さに、改めて呆れた。

 だが、同時に、ある種の徹底ぶりに、感心もした。

 この男、本気で、一生働かずに生きるつもりなのだ。


「それで」神林は聞いた。「今も、妖怪を使役しているのですか」

「ああ」陰陽師は頷いた。「たくさんいるぞ」

「何匹ですか」

「数えてないな」陰陽師は煙管の灰を落とした。畳の上に。「まあ、数百匹はいるだろう」

「数百匹」

「そうだ」陰陽師は言った。「幼い頃から調伏し続けてるからな。それで、各所に派遣して、その上前をはねて生活してる」

「上前を」

「ああ」陰陽師は当然のように言った。「妖怪を、人間の職場に派遣するんだ。料理屋、商店、工場、色々な場所に。妖怪は、人間より働き者だし、文句も言わない。給料も安い。だから、雇い主は喜ぶ」

「それで、あなたは」

「派遣料を取る」陰陽師は言った。「妖怪が稼いだ金の、半分をもらう」

「半分」

「ああ」陰陽師は頷いた。「それで、俺は、何もせずに生活できる」

 神林は、この男のビジネスモデルに、ある種の感心を覚えた。

 いや、感心している場合ではない。

 これは、完全に搾取だ。

 妖怪を、労働力として酷使し、その対価を巻き上げる。

 ヒモだ。

 いや、ヒモというより、奴隷商人だ。

「それで」神林は聞いた。「あなた自身は、何をしているのですか」

「寝てる」陰陽師は即答した。「あとは、色街に行ったり、酒を飲んだり、博打をしたり」

「それだけですか」

「ああ」陰陽師は煙管を吸った。「それだけだ」

 神林は、深く息をついた。

 この男、本当に、どうしようもない。


「あの」神林は、ふと思いついて聞いた。「身の回りのことは、どうしているのですか」

「身の回りのこと?」

「ええ」神林は言った。「食事とか、掃除とか」

「ああ、それか」陰陽師は頷いた。「全部、妖怪がやってる」

「妖怪が」

「そうだ」陰陽師は言った。「雪女が料理をして、座敷わらしが掃除をして、河童が洗濯をする」

 神林は、手帳にメモを取った。

 この男、完全に妄想の世界に生きている。

「風呂は」神林は聞いた。

「めんどくさい」陰陽師は顔をしかめた。「だから、三日に一回くらいしか入らない」

「三日に一回」

「ああ」陰陽師は頷いた。「それも、妖怪に言われて、仕方なく入る」

「妖怪に言われて」

「ああ」陰陽師は煙を吐いた。「良識ある妖怪たちがな、『主人、そろそろ風呂に入ってください』って言うんだ。うるさいから、仕方なく入る」

 神林は、この男が本気で言っているのか、それともふざけているのか、もはやわからなくなってきた。

「それで、風呂に入るときは」

「女の妖怪に洗わせてる」陰陽師はあっさりと言った。

 神林は、ペンを持つ手を止めた。

「女の妖怪に」

「ああ」陰陽師は頷いた。「自分で洗うのは、めんどくさいから」

「それは」神林は少し声を荒げた。「セクハラではないですか」

「セクハラ?」陰陽師は首を傾げた。「妖怪相手に?」

「妖怪でも、女性でしょう」

「妖怪だぞ」陰陽師は言った。「人間じゃない」

 神林は、もはや何も言えなかった。

 この男、完全に倫理観が欠如している。


 神林は、気を取り直して、別の質問をした。

「あの、なぜ、あなたは山一つ分の妖怪を調伏したのですか」

「ああ、それか」陰陽師は煙管を吸いながら言った。「うるさかったから」

「うるさかった」

「ああ」陰陽師は頷いた。「西の山に、妖怪がうじゃうじゃいて、夜になると騒ぐんだ。それが、うるさくて」

「それで、一括で調伏したと」

「ああ」陰陽師はあっさりと言った。「一匹ずつ相手にするのは、めんどくさいから」

 神林は、この男の言葉を聞いて、ある疑問を抱いた。

「では、その山の妖怪たちが、人間を襲っていたのですか」

「いや」陰陽師は首を振った。「別に、襲ってなかった」

「では、なぜ」

「うるさかったから」陰陽師は繰り返した。「それだけだ」

 神林は、この男が何を言っているのか、理解できなかった。

 人間を襲っていないのに、うるさいというだけで、一括で調伏して自分の配下にした。

 それが、本当なら。

 いや、本当のわけがない。

 だが、この男は、本気で言っている。


「それで」神林は聞いた。「あなたは、そのことを、どうやって知ったのですか」

「何をだ」

「妖狐が怒っていることとか、最近の怪事件が妖怪の仕業だということとか」

「ああ」陰陽師は煙管を吸いながら言った。「派遣してる妖怪たちから聞いた」

「派遣してる妖怪」

「ああ」陰陽師は頷いた。「妖怪は、妖怪同士で情報交換するからな。派遣先で、色々な噂を聞いてくる。それを、俺に報告する」

「なるほど」神林はメモを取った。「それで、妖狐が怒っていることも」

「ああ」陰陽師は頷いた。「妖狐が、配下の妖怪たちに、人間を襲えって命じてるらしい。それで、最近の怪事件が起きてる」

「では、その妖狐を退治すれば、事件は止まるのでは」

「そうだろうな」陰陽師はあっさりと認めた。

「では、なぜ退治しないのですか」

「めんどくさい」陰陽師はきっぱりと言った。「妖狐は強いから、戦うのがめんどくさい」

 神林は、もはや何も言えなかった。

 この男、人が死んでいるのに、めんどくさいから何もしない。

 最低だ。


「あの」神林は、少し呆れながら言った。「あなた、陰陽師なのに、妖怪退治をしないのですか」

「しないな」陰陽師は即答した。「働きたくないから」

「しかし、それが仕事でしょう」

「仕事はしたくない」陰陽師はきっぱりと言った。「絶対に」

 神林は、この男の徹底ぶりに、ある種の感心を覚えた。

 だが、同時に、怒りも覚えた。

 この男のせいで、人が死んでいる。

 この男が妖怪を調伏したから、妖狐が怒って、人間を襲わせている。

 そして、この男は、それを知っていながら、何もしない。

 めんどくさいから。

 許せない。

 神林は、そう思った。

 だが、同時に、神林は、ある疑問を抱いた。

 この男、本当に、天才陰陽師なのか。

 本当に、山一つ分の妖怪を一括で調伏できるのか。

 そんなことが、できるのか。

 もし、本当なら。

 もし、この男が本当に天才陰陽師なら。

 なぜ、何もしないのか。

 神林は、わからなくなってきた。


「あの」神林は言った。「あなた、本当に陰陽師なのですか」

「何度も言わせるな」陰陽師は煙管を吸いながら言った。「俺は天才陰陽師だ」

「では、証拠を見せてください」

「証拠?」陰陽師は首を傾げた。「何の証拠だ」

「あなたが本当に陰陽師だという証拠です」

「ああ」陰陽師は考えた。それから、面倒くさそうに言った。「見せてもいいが、めんどくさい」

「では、いいです」神林は諦めた。「どうせ、見せられないのでしょう」

「いや、見せられるが」陰陽師は言った。「めんどくさいだけだ」

 神林は、手帳にメモを取りながら、この男との会話を続けた。

「では」神林は聞いた。「普段の一日は、どのように過ごしているのですか」

「寝てる」陰陽師は即答した。「朝起きて、飯を食って、また寝る。昼に起きて、飯を食って、また寝る。夜に起きて、飯を食って、また寝る」

「それだけですか」

「ああ」陰陽師は頷いた。「たまに、色街に行く。あとは、博打場とか」

「いつ行くのですか」

「気が向いたとき」陰陽師は煙管を吸った。「まあ、週に三回くらいは行くな」

 神林は呆れながらメモを取った。この男、本当に働いていない。

「色街では、何を」

「女を抱く」陰陽師はあっさりと言った。「他に何がある」

「それは」神林は顔をしかめた。「あまり、記事には書けませんが」

「そうか」陰陽師は興味なさげに言った。「まあ、書きたければ書けばいい」

 神林は、この男の無神経さに、改めて呆れた。

「博打は、何をされるのですか」

「花札、賽子、色々だ」陰陽師は言った。「負けることもあるが、まあ、大体勝つ」

「勝つのですか」

「ああ」陰陽師は頷いた。「運がいいんだ、俺は」

 神林は、この男が本当に運がいいのか、それとも、何か不正をしているのか、疑った。

「それで、酒は」

「飲む」陰陽師は言った。「毎晩のように」

「どれくらい」

「一升くらいは」

 神林は、目を丸くした。

「一升ですか」

「ああ」陰陽師は煙管を吸った。「まあ、普通だろう」

 普通ではない、と神林は思った。この男、肝臓が壊れないのだろうか。


「あの」神林は、ふと気になって聞いた。「歯磨きは、本当に三日に一回なのですか」

「ああ」陰陽師は頷いた。「めんどくさいから」

「虫歯になりませんか」

「ならない」陰陽師は言った。「丈夫なんだ、歯は」

 神林は、この男の体が、どういう構造になっているのか、疑問に思った。

「爪は、切っているのですか」

「妖怪に切らせてる」

「髪は」

「妖怪に切らせてる」

「ひげは」

「妖怪に剃らせてる」

 全部、妖怪任せか。

 神林は、ため息をついた。

「あの、ご自分では、何もされないのですか」

「しない」陰陽師はきっぱりと言った。「全部、めんどくさい」

 神林は、この男の徹底ぶりに、もはや感心すら覚えた。


「では」神林は聞いた。「妖怪たちは、あなたに不満はないのですか」

「あるだろうな」陰陽師はあっさりと認めた。

「では、なぜ、従っているのですか」

「調伏されてるから」陰陽師は言った。「俺に逆らえない」

「それは」神林は眉をひそめた。「強制ですか」

「そうだ」陰陽師は頷いた。「妖怪は、調伏されたら、術者に従うしかない」

「それは、倫理的に」

「妖怪に倫理なんてあるか」陰陽師は煙を吐いた。「あいつらは、人間を食う存在だぞ」

 神林は、それ以上何も言えなかった。

 この男の論理は、どこか歪んでいる。だが、その歪みを指摘しても、おそらく無駄だろう。


 神林は、気を取り直して、別の質問をした。

「あの、あなたは、なぜそこまで働きたくないのですか」

 陰陽師は、しばらく黙っていた。それから、煙管を吸いながら、ぽつりと言った。

「理由なんてない」

「理由が」

「ああ」陰陽師は天井を見た。「ただ、働きたくない。それだけだ」

 その口調は、いつもの面倒くさそうな感じではなく、どこか静かで、確信に満ちていた。

「人間は、働くために生まれてきたわけじゃない」陰陽師は続けた。「生きるために働くんだ。だが、働かなくても生きていけるなら、働く必要はない」

「しかし」

「俺は、妖怪を使える」陰陽師は言った。「妖怪に働かせれば、俺は働かなくていい。だから、働かない。それだけだ」

 神林は、この男の論理を聞いて、何かが引っかかった。

 確かに、論理としては、一貫している。

 だが、何かが、おかしい。

 この男は、何かを隠している。

 神林は、そう感じた。


 そのとき、陰陽師が、ふと言った。

「そういえば」

「何ですか」

「妖狐に手紙を書かなきゃならない」陰陽師は煙管を吸いながら言った。

「手紙?」

「ああ」陰陽師は頷いた。「一応、な」

 神林は、手帳にメモを取った。

「何を書かれるのですか」

「それは」陰陽師は面倒くさそうに言った。「まあ、書いてからのお楽しみだ」

「では、その手紙を書くのに」

「紙と筆が必要だ」陰陽師は言った。「持ってないんだ」

 神林は、一瞬、自分の耳を疑った。

「紙と筆を、持っていない?」

「ああ」陰陽師は頷いた。

 神林は、呆れた。

 陰陽師が、紙と筆を持っていない。

 まるで、料理人が包丁を持っていない、大工が鋸を持っていない、そんな話だ。

「なぜですか」

「持ってないから」陰陽師は当然のように言った。

 神林は、この男の答えに、頭を抱えたくなった。

「それで」陰陽師は神林を見た。「お前、これから暇か」

「は?」

「紙と筆を買いに行くんだ」陰陽師は言った。「付き合え」

「なぜ、私が」

「お前、記者だろ」陰陽師は言った。「記事のネタになるだろう」

 神林は、この男の言い分に、呆れた。

 だが、同時に、これはチャンスかもしれない、と思った。

 この男が、外に出るところを見られる。

 この男が、どんな生活をしているのか、もっと詳しく知ることができる。

 記事のネタが、増える。

 神林は、頷いた。

「わかりました」神林は言った。「付き合いましょう」

「おう」陰陽師は立ち上がった。だが、そのまま、だらしない格好だった。

「あの、着替えないのですか」

「ああ」陰陽師は言った。「雪に怒られる。ちょっと待ってろ」

 そう言って、陰陽師は部屋を出て行った。

 神林は、一人、応接間に残された。

 雪女が、お茶を運んできた。

「お待ちいただき、ありがとうございます」雪女は言った。「主人の支度に、少々時間がかかるかと」

「構いません」神林は茶を受け取った。

 雪女は、手早く部屋の中を片付け始めた。陰陽師が吸った煙管の灰を掃き、座卓を拭き、座布団を整える。その動作は、無駄がなく、美しかった。まるで舞を踊るような、流れるような動きだった。

 そのとき、廊下の向こうから、小さな足音が聞こえてきた。

 神林が振り向くと、小さな子供のような姿をした妖怪が、山のような洗濯物を抱えて歩いてきた。いや、抱えている、というより、洗濯物に埋もれている、という表現の方が正しかった。小さな体が、完全に洗濯物に隠れていて、足だけが見えている。

「よいしょ、よいしょ」小さな声が聞こえる。「重い、重いよぉ」

 座敷わらしだ、と神林は思った。いや、本当に座敷わらしなのか、それとも、ただの子供なのか。

 洗濯物の山が、よろよろと歩いている。

「あ、危ない」雪女が駆け寄った。「また、そんなに一度に運んで」

「だって」洗濯物の中から、か細い声が聞こえた。「主人様が、一度に全部運べって」

「まったく」雪女は、洗濯物の一部を受け取った。「無理をしなくていいのですよ」

「でも」

「大丈夫です。私が手伝いますから」

 雪女は、優しく笑った。

 二人、いや、二匹は、洗濯物を運んで、部屋の奥に消えていった。

 神林は、その様子を見て、複雑な気持ちになった。

 あれが、妖怪なのか。

 あの小さな座敷わらしが。

 だとすれば、陰陽師が言っていたことは、本当なのかもしれない。

 いや、まだわからない。

 あれも、演出の一部かもしれない。子供に妖怪の格好をさせて、神林を騙そうとしているのかもしれない。

 神林は、まだ疑っていた。


 しばらくすると、また別の妖怪が現れた。

 今度は、河童のような姿をした妖怪だった。背中に甲羅を背負い、頭に皿がある。その皿には、水が張られていた。

 河童は、廊下を雑巾で拭いていた。その動きは、機械的で、黙々としていた。

「ご苦労様です」雪女が声をかけた。

「おう」河童は、ぶっきらぼうに答えた。「まったく、主人はすぐに廊下を汚すからな」

「すみません」

「いや、雪女さんが謝ることじゃねえ」河童は、雑巾を絞った。「主人が悪いんだ」

 そう言って、河童は、また黙々と廊下を拭き始めた。

 神林は、その様子を見て、ますます混乱してきた。

 あれも、妖怪なのか。

 それとも、ただの人間が、妖怪の格好をしているだけなのか。

 神林には、わからなかった。

 ただ、一つだけ確かなことがあった。

 この家には、何か、普通ではない何かがある。

 神林は、それを確信していた。

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