霧灯のラグナ ~崩壊する迷宮世界を、旧人類の《管理者権限》で書き換える~

諏維

プロローグ

灯の消える街で

【はじめに】


本作『霧灯のラグナ ~崩壊する迷宮世界を、旧人類の《管理者権限》で書き換える~』にお越しいただき、ありがとうございます。


この物語は――

《全てが迷宮で出来た世界》で、

灯を失った少年ラグナが、生きる場所を探しながら成長していく

“迷宮幻想ファンタジー”です。


焦土と霧、古い術式、忘れられた街、秘匿された血脈、

そして世界の奥底に横たわる“観測機構(《リヴィエラ》)”の謎――。


長編になりますが、読者の皆さまと同じ歩幅で、世界を一つずつ開いていく物語にしていきます。


まずは物語の始まり、プロローグをどうぞ。



ーーーーーー



 ――灯は、霧の中に消えた。


 最初に響いたのは、世界が崩れる音。

 地鳴りでも、爆発でもない。


 やがて、遠くからかすれた声が滲む。

 誰かの叫びにも似たその響きは、

 終焉を告げる鐘のようで――

 耳の奥に、重く、鈍く、焼き付いて離れなかった。



――――――



 立派な石造りの図書館から、ひとりの少年が飛び出してきた。

 数冊の本を胸に抱え、息を切らせて走る。


 ――ラグナ。


 黒髪に大きな瞳をもつ、十歳ほどの少年だ。

 小柄ながらも足取りは軽く、抱えた本を落とさぬよう、両腕でしっかりと押さえている。


 本と花を愛するその姿は、街の人々にとって見慣れた日常の一部だった。


 街の中央広場には巨大な円環状の《転移門》がそびえ、今日も光を放って旅人を吐き出していた。

 門の脇では案内人が声を張り上げる――観光都市ならではの光景だ。


「ようこそ花のリュナメスへ!――中央層でもっとも美しい迷宮都市! 花祭りは今週末、宿は水路沿いがおすすめですよ!」


 ラグナが急いで横を駆け抜けようとすると、案内人がにやりと目を細めた。


「おやおや、また本か? 坊や、本より花の細工を買った方が女の子にモテるぞ」

「い、いいんだ! 本のほうが面白いんだから!」


 案内人はわざとらしくため息をつき、肩をすくめた。


「まったく、本に夢中な子だ。……だがまあ、そういう子が将来大きなことをするのかもしれないな」


 観光客たちが笑い、空気が和む。

 ラグナは耳を真っ赤にしながら軽く会釈し、走り去った。


 広場にある噴水の周りは賑やかな市場になっていた。

 生花を束ねたブーケ、乾燥リース、花粉香料――観光客が感嘆の声を上げ、手に取っては買い求めていく。


「おーいラグナ! また図書館か! 母さん怒ってたぞ!」


 今度は、露店の店主が手を振る。

 ラグナは慌てて頭を下げ、「はいっ!」と返して走り去る。


 石畳の道を抜け、青白い灯光石が水路を照らす小路を進む。

 ようやく辿り着いたのは、街の西側にある小さな石造りの家。


「ラグナ〜!」


 ドアを開けた途端、母の声が響いた。

 昼をとっくに過ぎているが、室内は珍しい霧のせいで薄暗い。

 水路から反射した光だけが揺れていた。


「ラグナ。パン、冷えてるわよ」


 台所に立つ母の言葉に、ラグナは振り返った。

 皿に並べられたパン。

 いつもなら立ちのぼる湯気も、今日はもう消えていた。


「ご、ごめんなさい」

「ふふ。本の知識より約束を守ることを先に覚えた方がいいかもね」


 母はからかうように笑い、ラグナの頭を撫でた。


 母は穏やかで優しかった。

 けれど時折、どこか見透かすような深い目をした。

 ラグナが迷宮や古い術式のことを尋ねても、母は笑ってはぐらかした。


「研究していた頃のことは、もういいの。知れば知るほど、怖いものもあるのよ」


 そう言って、いつも話題を変えてしまうのだった。


「……ごめんね。今日も遅くなっちゃった」


 皿を前に腰を下ろしながら、ラグナは小さく謝った。


「いいのよ。ラグナが本を好きなのは知ってるから」


 母は微笑んで、パンの端をちぎる。


「でもね、本に書いてあることがすべて真実とは限らないの。ときどき、自分の目で確かめることも大切よ」

「……うん」


 ラグナは答えながら、本を胸に抱き寄せた。

 それは彼にとって、外の世界を知る唯一の窓だった。


 昼食を終え、ほんのひとときの静けさが訪れる。

 霧は相変わらず濃く、灯光石の青白い光が室内の壁を淡く照らしていた。


「ねえ、ラグナ」


 母はふいに手を止め、じっと息子を見つめた。


「もし、この世界が――見たことのない形に変わったら、どうする?」

「え?」

「たとえば、見慣れた景色がすべて裏返ったり、信じていたものが違う姿を見せたりしたら」

「……わかんないよ。そんなの」


 ラグナは戸惑いながら首をかしげた。


 母は小さく笑い、手を伸ばして頬を撫でる。


「ごめんね。でも大丈夫。ラグナが歩く道が、きっと灯りになるから」


 その言葉の意味を理解する前に――街が震えた。


 低い軋みが足元を震わせ、耳の奥を揺さぶる。

 棚の本が雪崩のように崩れ落ち、皿が砕ける破片が足に跳ねた。

 水路の水が逆巻く音が窓越しに聞こえ、青白い灯光石が次々に暗転していく。

 鼻を突く焦げ臭さが、もう安全ではないことを告げていた。


「……来たのね」


 母の震える声が、静かに現実を告げた。

 轟音とともに家が揺れ、市場の方から悲鳴が響いた。

 母はラグナの手を掴み、力強く引っ張る。


「走って、ラグナ!」


 母が扉を蹴破る。ラグナも続いた。


 ――視界が、一変する。


 石畳が割れ、瓦礫が雨のように降り注ぎ、広場を覆っていた花々がちぎれ飛んでいる。

 中央の転移門は黒に濁り、そこから異形の影が次々と溢れ出していた。


 角を折られた露店の棚は軋みを上げて崩れ、踏み潰された花々から甘い香りと血の匂いが混じり合って立ちのぼる。

 つい先ほど声をかけてくれた店主が悲鳴を上げる間もなく影に引き裂かれ、赤い飛沫が花弁と共に宙を舞った。


(うそだ……こんなの、街じゃない……!)


 ラグナの胸が凍りつく。

 恐怖で足が竦み、呼吸がうまくできない。


 母は息を切らしながらも、必死に人混みをかき分けながら、ラグナを引っ張る。

 その横顔は蒼白で――けれどまだ、希望を捨ててはいなかった。


(母さんは、逃げ切れるって……思ってるんだ)


 そう信じたい気持ちが、ラグナの胸を支えていた。


 だが――次の瞬間、異変が起こった。

 市場を荒らしていた影たちが、突如として動きを止めたのだ。

 そして、一瞬の静寂のあと、まるで見えぬ合図を受けたかのように、全ての頭が一斉にこちらへと向く。


 闇に瞬く無数の目が、ラグナと母だけを射抜いた。


(……なんで、僕たちを……?)


 母の息が詰まる音が耳に届く。

 逃げ惑う群衆を見渡し、なお影たちの狙いが自分たちだけに集中していることを悟ったのだ。


 握る手が震え、強くなる。

 だがその力は、逃げ抜くためではなく――切り離すためのものに変わっていた。


 母はかすかに顔を伏せ、唇を噛む。

 その表情を見た瞬間、ラグナの胸に、言葉にできない恐怖が走った。


「……やっぱり、狙いは私たち……」


 そして母は、決断した。


「ラグナ、ごめんね……!」


 母は立ち止まり、振り返ってラグナを抱きしめた。

 焦り、悲しみ、そして覚悟。

 その全てが込められた抱擁に、ラグナは本能的に違和感を覚える。


「やだ! 一緒に行く! ひとりは……いやだ!」


 必死に叫び、母の服に縋りつく。

 涙で視界が歪み、ただ恐怖と混乱で胸がいっぱいになる。


 母は小さく震えながらも、耳元で囁いた。


「大丈夫……怖くないわ……」


(……違う。これは、僕を安心させるための嘘だ!)


 幼い心に、言葉にならない絶望が突き刺さる。


 次の瞬間、背中に焼け付くような熱が押し当てられた。

 痛みに似ていながら、それでいて包み込むような温もり。

 光が脊髄を駆け上がり、胸を貫く。


 ――視界が、白に塗り潰されていく。


「これが《転移式紋章》。――あなたに残せた、最後の術。お願い……どこへでも、遠くへ逃げて」

「母さん、やめて! 一緒に行こうよ!」


 必死に叫ぶ。

 どうにか伸ばした指先が、かすかに母の手に触れた。

 だが掴む前に、視界は白く弾け――

 ポケットの奥に硬い何かが押し込まれる感触だけが残った。


 音が消え、感覚も、そして世界さえも断たれる。

 ただ――声だけが届いた。


『灯りは、きっと見つかる。

 ――だから君は進んで。何があっても、生きて』


 その日、少年はすべてを失った。

 残ったのは――耳の奥に焼き付いた母の声と、ポケットの奥に眠る《銀の箱》の重みだけ。


 けれど、彼はまだ知らない。

 その小さな箱の中に、崩れ落ちた世界の理(ことわり)を書き換えるほどの“禁忌”が眠っていることを。

 これは、霧に閉ざされた世界で、少年が“神”を殺すまでの物語。



ーーーーーー



【後書き】


 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 面白かった、続きが気になると感じていただけたら、 作品のフォロー・★評価・♥️で応援していただけると嬉しいです。

 すでに10万字程度は書き上げているので、しばらくは毎日投稿でお届けできると思います。


 なお、本作はフィクションであり、登場する人物・団体・名称等はすべて架空のものです。(実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません)


◆ コメント・感想について

 感想や「ここ好き!」などのコメントは大歓迎です!

 一緒に物語を盛り上げていただけたら、作者としても本当に励みになります。


 ただし、過度に攻撃的な指摘や、読む方が萎縮してしまうようなマイナス感情の強いコメントについては、作者のモチベーション維持のため、ブロック・削除などの対応を行う場合があります。


 読者の皆さまと気持ちよく交流しながら、長い物語を一緒に歩んでいけたら嬉しいです。


 次話もどうぞよろしくお願いします。

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