本を愛する虐げられ乙女は呪われ伯爵と幸せをつづる
佐斗ナサト
第1話
母が亡くなった日、
利害のために結婚した妻には無関心で、若い
継母はあやを虐げた。妹もやがて一緒になってあやをいじめるようになった。
冷たい言葉で。えぐるような態度で。
『九つにもなるのに気が利かないわね。本当にとろい子だこと』
『お姉様、女のくせに本ばかり読んでるんだもの。変なの』
『でもこの本は、お母様の大事な形見なんです』
本を抱きしめ、震える声で言い返した。すると、寒くて明かりひとつない蔵の中に閉じ込められた。
翌日、蔵から出してもらって学校へ行っている間に、あやの部屋の本はすべてなくなっていた。かわいがられている妹・美影の教育にふさわしいとされたものだけ都合よく取り上げられて、あとは裏庭で焼かれてしまったのだ。
あやは床に崩れ落ちた。
お母様、お母様、と嗚咽しながら。
あの日から、もう八年だ。だが今でも思い出さずにはいられない。
あやへのいじめは年を追うごとにひどくなり、いつしか下女同然の扱いを受けるようになっていた。
じめっとした奥座敷に住まわされ、床を磨かされ、服を洗わされる。冷たい水で手は切れ、膝は埃に汚れる。学校も途中でやめさせられた。
(最後に文字に触れたのは――もう、いつだったかしら)
物思いにふけりながら廊下を磨く。雑巾を絞り、汚れた水を捨て、井戸で汲みなおす。
重い
飾り気なく結い上げた黒髪、暗い褐色の目。母にそっくりの顔立ち。顔色の悪さがなおのこと死ぬ前の母に似ていて、なんともいえない気持ちになった。
廊下に戻り、掃除を再開する。
玄関の方から妹と継母の声がした。
「ふふ、やってるやってる。女中を雇うお金が浮いていいわね、お母様」
「これ、あまり見ると汚いのが移るわよ」
「はぁい」
雑巾を絞る手を止めて顔を上げると、美影と目が合った。彼女は得意げに目を細め、海老茶色の女袴の裾をわざとらしく翻してみせた。
栗色がかった髪を流行りの様式に結い上げ、血色のよい肌に紅をのせて。本当にあやとは似ていない。
そういえば、女学校の友人たちと新しくできた
喫茶店。洋食店。良家の子女の社交の場。どこもかしこも、あやには一生関係のない場所だ。小さく溜め息をつき、作業に戻った。
美影が出かけてしばらく経ったときだった。
板張りの廊下が軋んだ。重い足取り。視界の端に映る洋装の足元。
「……お父様?」
慌てて立ち上がり、膝の埃を払う。
父はいかめしい顔であやを見やり、腕を組んだ。
「お前に嫁入りの話が来た」
「えっ?」
予想だにしていなかった言葉にあやは目をしばたたいた。
「
「伯爵家……ですか?」
無用のもの扱いをされている自分が、華族様の嫁に? 何か裏があるような気がしてならなかった。
戸惑うあやを見て、父はますます顔をしかめた。
「断る気ではあるまいな。私に恥をかかせるつもりか?」
「……いいえ」
断る選択肢などありはしない。自分に何かを選ぶ権利などない。
あやの人生は、母が死んだあの日、とうに終わってしまったのだから。
父はそっけなくうなずいて去っていく。あやはその場に立ち尽くした。
桶の縁にかけた雑巾から汚水がぽたりと垂れ、あやの足袋を濡らした。
***
あやの継母は、口元を扇で隠しながらほくそ笑んでいた。
時は夜。あやを除く浅輪家の面々が邸宅の居間に集まっていた。
「お姉様は同意してくれたのね、お父様?」
「ああ」
「よかったぁ。これで私が跡取り娘ね」
美影はにっこりと笑む。その隣で、あやの継母はますます目を細めた。
そう。今回の縁談は、あやを厄介払いするためのものに他ならなかった。
浅輪家には最近、良い
そんなところに都合よく飛んできたのが、伯爵家の妻にあやが欲しいという話だった。
美影は母の耳にそっと囁いた。
「篠塚伯爵からの縁談、本当に運がよかったわね、お母様」
「ええ。……周りの人間を次々死なせる、呪われ伯爵ですもの」
扇で口元を隠したまま囁き返すと、美影はくすくすと笑った。
まだ若い篠塚伯爵の人生は、数多の死にまみれている。
幼い頃に父母と兄が悲惨な事故で死に、一人だけ生き残った。その後も後見役を務めたおじやおばが次々と死んだ。使用人もバタバタ倒れていくという噂である。
それが事実ならば――妻となるあやも、きっとただではすまない。
(二度と戻ってこなければいいわ。この家にも、この世にも。栄華を得るのは私と、私の美影だけでいいのよ)
そう思って継母は微笑む。夫は無言で酒器を傾ける。美影は楽しげに目を細めた。
外では雨が重く降っている。奥座敷では、あやが独り、寒さに震えていた。
***
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