第2話

「次はー常ノ口ときのぐち、常ノ口です」

 車掌のくぐもった鼻声のような車内放送にふと我に返る。常ノ口―沙耶から教わった最寄り駅だ。手筈では、沙耶の父親が車で迎えに来てくれることになっている。バスでもタクシーでも使うのでお構いなく、と最初は固辞してみたものの、不慣れな地では無理は禁物、結局は好意に甘えることにした。

 電車は少しずつスピードを落とし、かろうじて屋根とベンチと1台の自販機のある簡素なホームにゆっくりと停車した。僕は大きなザックを背負い、独り占めしていたボックスシートから腰を持ち上げる。車内の乗客は、自分のほかは数名ほどで、降りる客も自分のほかはいないようだ。僕は隙間の大きく空いた車体とホームの間をやや大げさに飛び越えるように降車した。

 時刻は午後3時半。気温はピークを越えたとはいえ、8月の眩しい日差しが線路に反射する。屋根があってこれなら、外はもっと暑いだろう。空の麦茶のペットボトルを自販機横の空き缶・ペットボトル入れへ投げ捨て、改札へ向かった。


 改札を出ると、お世辞にもあまり栄えた雰囲気を感じない駅前の光景が広がる。24時間営業ではなさそうな、ローカルなコンビニもどきが1軒あるほかはシャッターの閉まった商店が数軒と、取ってつけたようなかたちのロータリーが見えるばかりだ。ロータリーの真ん中には、こじんまりとした花壇がしつらえられているが、あまり手入れが行き届いてそうには見えない。きょろきょろとあたりを見回していると、スマートフォンに沙耶からメッセージが届く。

「向かって右側奥のほうにいるよ」

 メッセージを頼りにロータリー横を歩いていく。しばらく行くとプッと言う軽いクラクションが聞こえた。再度見回すと、土埃で色あせたライトバンの助手席で沙耶が手を振っているのが見えた。

 運転席に座る彼女の父親(と思われる)へまずは挨拶をすることにした。

「はじめまして。沙耶さんの大学の友人で白瀬悠しらせゆうといいます。今回は色々とお世話になりますが、よろしくお願いいたします」

 滞在中の友好的対応を打診してみせたつもりだった。川名父の見た目は熊のように大柄で筋肉質、強面の壮年男性だったが、少し微笑むと返事を返してくれた。

「話は沙耶から聞いているよ。いつも沙耶がお世話になっているようだね。遠いところ、はるばる大変だったろう。とりあえず、乗んなさい」

 後部座席のスライドドアを力いっぱい開けると、仕事道具であろう工具類を無理やり端に寄せて、1人分の座るスペースを作ってもらったのが分かる。僕は恐縮しながらちょこんと腰を降ろした。

「雰囲気があっていいところですね」

 なんとなく、心にも無い褒め言葉が口をついて出てきた。

 川名父はわっはっはと豪快に笑うとこう答えた。

「無理してお世辞をいわなくていい。君たちの大学があるあたりではこんな田舎駅、探すほうが大変だろう。駅前には商店が1つあるっきりで、観光客もそうそう来やしないんだ。だがな、またまだこの辺は栄えているほうだよ。これから向かうところはもっと辺鄙なところだ」

「ここからどのくらいかかるんでしょうか」

「そうさな、この時間帯なら30分てとこかな」

なんと。このローカル駅からさらに30分だと‥‥?


 バンの二列目シートの座り心地があまり良くなかったことを除けば大きな問題もなく、ライトバンは沙耶の郷里の村に僕たち三人を運んでいく。最初は農村風景が広がっていたが、だんだんと道は細くなり、山村風景へと移り変わっていくのをぼんやりと感じていた。川名父は饒舌なほうではなかったが、その代わりに沙耶が目に映る風景をバスガイドよろしく説明してみせたり、大学の様子を父親に語ったりして、車内は賑やかだった。あるいは僕に気を遣ったのかもしれない。

 ライトバンが細い山道に入ったあたりで、川名父が特に前触れも脈絡もないままにおもむろに口を開いた。

「白瀬くん、うちは吉野瀬村で代々治水と土木に携わる建設の家で、沙耶は大事な一人娘だ。もし、遊びで付き合っていて沙耶を泣かせたりするような事があったら‥‥君の身の安全は保証せんぞ」

「ちょっとお父さん!彼氏とかじゃなくてゼミの友達って言ったでしょ!」

「とにかく、手ぇ出したら十岐川の瀬に沈めてやる‥」

 あっ、これ聞いてないな。滞在中は変な地雷を踏み抜かないように注意しよう。僕の脳内で川名父の警戒レベルがぐんと引き上げられた。


 道路標識に「吉野瀬村」という文字が見え、ライトバンはその村域の方、脇道へと進入していった。そろそろ到着だろうか。僕の尻もそろそろ限界だ。

 ライトバンはほどなくして、年季の入ったコンクリートの建物併設のガレージに入庫した。建物の上部には『治水・土木・総合建設工事 川名建設工業㈱』と看板が張ってある。地元の名士なんだろうな。それにしても、治水工事の業者が「川に沈めるぞ」は縁起でもない。僕は改めて背筋を伸ばした。

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