第4話 お前の札束を数えろ

「大丈夫? 立てますか?」


 無様に尻もちをついている合儀肺助へ、阿賀谷戸命香は自然に手を伸ばした。


(うっわあ、馬鹿みたいに足腰に力が入らん)


「あばばばばばば」


 その上言葉すら発せなくなっていた。しかし、そんな奇獣・珍獣、合儀肺助に対して阿賀谷戸命香は嫌な顔一つしない。


「た、立てますからご心配なく」


 肺助は何とか両手を地面に突っ張り立ち上がる。その様子を、阿賀谷戸命香はじっと見つめていたが、やがて小さく溜息をついて背を向けた。肺助は、そんな彼女の背中すら見つめられず、アキレス腱のあたりをじっと見ていた。


「そう。なんかつまんないね」


「え?」肺助も聞き間違いかと思うほどの小声。


「ごめんね、お邪魔しちゃった。じゃあ明日、楽しみにしてるから」


「おっと……?」


 肺助が慌てて顔を上げたとき、すでに命香は不思議と目の前からいなくなっていた。まるで夢幻の如く。


「まさかな……気のせいか……?」


 肺助は例の銀杏の木に向かって思わずそう声をかけていた。寧ろ、それは彼の祈り、願いでもあった。


「そんなわけ、ないのにね」校舎の陰で、少女はふふ、と微笑んだ。


 *


 翌日、夜明け前。あと三十分ほどで山間から太陽が顔を出す頃合い、合儀肺助は家に帰ってきた。当然、こっそりと、である。


 合儀家の、通りに面した方は通称〈会館〉と呼ばれ、合儀家の大黒柱、合儀椎子がお客様を相手にする場所になっている。


 よって、家族が過ごす一般的な家はその裏手。母椎子と息子肺助だけが住む一軒家。その二階、自室までこそこそと壁を登り、鍵のかかっていない窓を開ける。靴、リュックサックを部屋奥に投げ入れ、そして肺助はベッドに着地した。


「おはようございます、肺助さん」


「……ただいま帰りました、お母さま」


 肺助はベッドに着地後、瞬時にその場で跳ね上がり正座の姿勢で着地した。


 肺助の部屋のど真ん中で、靴二足を右手、鞄を左手にキャッチした実母、合儀椎子がいた。年齢、三十三。周囲と比較すると若い母親である彼女の見た目は、大きな目や低い身長、肌艶などからそれ以上に幼く見え、まるで女子大生のようでもあった。否、もしも肺助と並べば、随分と大人びた女子高生と断じられ、姉とすら言われるかもしれない女である。


「何をしていたのか、言ってみなさい」


 訂正。確かに幼く見える合儀椎子であるが、その息子に対する威圧感たるや、母以外にあり得なかった。


「……黙秘し……」


「家の中では、家長に対し、あらゆる『抵抗』を『禁じる』」


 相手は強敵であった。これは禁歌である。肺助は必至で母の禁歌を跳ねのけようと思案を巡らした。


(家の中は呪いで満ちている! 家長である母さんとの呪いの掛け合いは圧倒的に不利!)


 相対しただけで、肺助は血の気が失せる気がした。しかし、だからといって今この場で逃げようものなら、相手の呪いの強さを認めたことになり更に不利になる。窓から飛び降りる前に一言、逃走を禁じられて終わりだ。


(黙秘を拒否に含めないよう思い込み、さらに言葉にすることで補強しろ! 相手に次の言葉を言わせるな!)


「黙秘はただの『無言』故、抵抗に該当しない! 母さんこそ、息子の行動についてあれこれ詰問するのは加虐に該当する。世間一般からも禁じられた行為故、合儀椎子のDVを禁ず!」


 本当は完璧な形で九字法を、せめて何かの手印だけでも結びたかったが、そんなことをしている数秒がもったいない。そんなことをしているうち、次の母の呪禁ですべてを吐かされてしまう。合儀家の中にいるということは、家長である合儀椎子の用意した俎板の上に寝かされているのと同義であった。


 そんな、必死の肺助に対して、椎子は一切動じることなく言い放つ。


「合儀肺助の屁理屈を禁じる」


 確かに息子の部屋への無断の立ち入り、およびこういった詰問をDVに該当させるのは容易い。しかし、問題は当の肺助自身にあった。


 合儀椎子と肺助の関係は、母子だけでなく呪術の師弟でもある。


 この合儀家内で培われてきた母と息子の立ち位置は特殊である。稼いでいる母が上、呪術を教える母が上、食事を作るのも、洗濯も、学費も……育ててきた母が上。そのほか、まだまだ肺助には『負い目』があった。


「禁歌を学び呪禁を実践するものとして、いいえ、呪術師として深夜に勝手に家を抜け出し、生活を乱すのは許されるべきではありません。きちんと理由を説明し、場合によっては禊すら必要です。説明なさい」


 母はすでに、息子がこっそり呪術を執り行ったことを察している。呪術師の師弟として、師に黙って儀式を行うなど、あってはならないことである。


 椎子は呪禁を使っていない。そして、肺助自身も、これ以上の言い合いは不要だと感じていた。


(屁理屈を禁じる、この禁歌が効いている……否、そもそも、この合儀家の敷地内には、家長の意思は絶対だという呪いがかかっている。どう足掻いても勝つことなどできはしない)


 そうして肺助はすべてを諦めた。


 ――相手、合儀椎子はこの家において最強の生物である。家長の言葉や認識は絶対という呪いが蔓延している。どんな抵抗をしても無駄だ。


「学校で護摩行を行いました」正直に肺助は言った。


「何故?」


「学校の生徒に、まじないを掛けてほしいと頼まれたからです。そのまじないの成功率を上げるため、儀式で学校の一部区画を清め、禁歌と禹歩で結界としました」


「そう。わかりました」


 椎子は案外あっさりと引き下がった。鞄を下ろし、やれやれと左手の靴を睨む。肺助はほっと息を吐いた。


「師として、この弟子の持禁に乱れがあると見えたなら、きちんと儀式を行い禊を……」


「まあ、そんなことはどうでもいいです」


 ぴしゃりと椎子は言い放つ。肺助はハッと顔を上げた。


「で、肺助さん。いくらもらったの?」


「……え?」


 母の思わぬ言葉に、肺助は眉を顰めた。その先に、すでにスマートフォンを取り出し、その電卓で計算をしようとしている母の姿が映った。


「わたしの相談料は一回、三十分で五十万円。初回は十万円。ちなみに一時間コースだと八十万円。そのほか、特殊な儀式は道具の費用や準備費など、諸経費に加えて一時間ごとに五十万円戴いています。さあ、あなたの夜十一時から朝四時まで行った『相談料』は?」



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