第1話 出会い①

 空間が裂けた。

 その瞬間、6畳のアパートの空気が一気に冷え込み、電子レンジのタイマーが勝手に点滅し、蛍光灯がチカッと明滅する。


「え……なに……? 停電……?」


 夜の自室で、動画を見ていたみのりは画面のフリーズに眉をひそめた。

 次の瞬間、彼女の背後の空間がガラスのような音を立ててひび割れた。


「っ――!?」


 バリィィッ!


 黒い裂け目の中から、巨大な影がゆっくりと這い出してくる。


 角。鎧。漆黒のマント。

 圧倒的な存在感に、空気が重くなる。

 床が軋むほどの重量感と、肌を刺す気配。


「……ここはどこだ?」


 低く反響する声。

 みのりは悲鳴すら上げられなかった。


 影が完全に抜け出し、部屋の真ん中に立つ。

 天井に頭がつきそうなほどの体格――いや、ついた。


 ゴッ。


「ぐっ、なんだこの妙に低い天井は……?」


 魔王アークロンは眉間を押さえつつ、部屋をゆっくり見回した。


「ふむ……異界か。魔力の流れも文明も、我が知る世界と一致せん。目的座標から外れたな……勇者め、愚かな真似を」


 魔王が一歩踏み出すと、フローリングがミシッと悲鳴を上げた。


「ひっ……ひぃ……!」


 やっと声を絞り出したみのりにアークロンは視線を向けた。


「小娘。ここは貴様の住処か?」


「す、住処……? え、なに、コスプレ……? いやでか……無理……」


 恐怖と混乱が入り混じった声。


 と、そのとき。


「……出口はどこだ?」


 アークロンが部屋のドアへ向かった。

 ノブに手を伸ばし、軽く捻る。


 ――ベキィッ。


「え、ええ!? ノブ折れた!!?」


 アークロンは手元の金属片を見つめる。


「脆い……まるで紙細工だな」


「いやいや、あなたの力が強すぎるんだよ!!」


 みのりのツッコミが部屋に響く。


 ドアはロックされたままノブを失ったため、アークロンは力任せに開けようとする。


「こんな貧弱な扉……」


 ミシミシミシ……バキンッッ!!


「あああああああ!! ちょっと! それ原状回復とか敷金とか……!!」


「しき……きん? ……貴様の言語は難解だな。だが、出られた」


 アークロンは満足げに頷いている。


 ヒロインは片手で頭を抱え、もう片方でスマホを震える指で掴んだ。


「ちょ、ちょっと……通報……」


 その瞬間、アークロンの瞳がわずかに赤く光った。

 圧倒的な威圧が空気を押しつぶす。


「待て。それを使えば、この世界の者どもが押し寄せるのであろう? 我は争いを望まぬ。……少なくとも今はな」


「“今は”がすごく怖いんですけど!?」


 アークロンはふぅ……とため息をついた。


「小娘。貴様に危害を加えるつもりはない。我は……帰還方法を探すまで、しばしこの地に留まらねばならぬ」


「え。もしかして……ここに住むってこと……?」


 魔王は真剣な眼差しで頷いた。


「うむ。おい、そなたの名は?」


「え、わ、私は佐伯みのり――」


「そうか。では我を呼ぶときは……アークロン・ディフェルガと――」


「長っ! 呼びにくっ! あっくんでいいよ! あっくん!!」


「……あっ……くん?」


 魔王の表情が固まった。


「我は“魔王”なのだが……?」


「じゃあ“魔王あっくん”で!」


「……余はなんという世界に転移してしまったのだ……」


 魔王は天井を見上げ、みのりは壊れたドアを見下ろし、

 二人の同居生活の開幕を告げるように、部屋の蛍光灯がピッと消えた。

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