8話 潮風に焼けた赤毛と、宮廷の黒き瞳
「本当に、これでいいんですか? もっと、特徴的な単語にしたほうが……」
「殿下のご指示よ。一番の目的は、あなたの能力を知ることですし」
「はあ。なら、音の複雑な歌がよくないですか? 音符が長く連続する曲とか」
「さてね。殿下にお聞きなさい。あら、汚い字」
流れるように馬鹿にされ、詩響は苛立った。あの太子にしてこの部下ありだ。大きく呼吸をして、自分を落ち着かせる。すると、ふいに翠蘭の服に目がいった。
絹だろうか。薄い生地が優雅に揺れる。耳飾りも上品だ。埋め込まれた青い宝石は、控えめなのに存在感を放っている。揃いの首飾りは、品のある顔立ちに似合っていた。
髪は艶があり、滑らかなのは見て取れる。肌はみずみずしく、透明感もあった。きっと、隅々まで手入れしているのだろう。
翠蘭の美しさに見惚れたら、急に自分が恥ずかしくなる。日々潮風に打ち付けられる詩響の服は、使い倒した麻袋のようだった。性別は同じなのに、雲泥の差だ。
自分を、みすぼらしいと思ったことなどなかった。農作業で泥にまみれるのは、生きる術だ。廉心と支え合っている、誇るべき成果ともいえる。
だが、初めて知った。自分は汚く、くたびれているのだろう。
(宮廷の女性は、皆さま同じ衣装なのかしら。もし廉心が宮廷に入って、私も宮廷で生活するようになれば……私でも……?)
高価な娯楽商品なんて、欲しいと思ったことはない。そんな物より、水と食料の備えだ。天災に見舞われれば、命に関わる。
着飾ることを、必要と思ったことはない。けれど、翠蘭から目を離せない。
せめて、もう少しまともな羽織を持ってくればよかった。耐え切れず部屋を出ようと思ったけれど、突如、ぐいっと後ろから襟を引っぱられる。
「ぐえっ!」
襟で首が絞まり。呼吸をできなくなった。振り返ると、犯人は予想していた通りの人物だ。呆れと怒りで震え、思わず怒鳴った。
「殿下! 普通に登場してくれませんか! 首絞める必要ないでしょう!」
「呆けているのが悪い。宮廷に戻ったら、服は好きなだけやる。まじめに働け」
「えっ」
突然のご褒美発言に、詩響はつい黙った。即座に鼻で笑われて、いいようにあしらわれたことを理解する。慰めるように朱殷から頭を撫でられ、さらに恥ずかしくなった。
けれど陵漣は気にも留めず、詩響を通り過ぎる。翠蘭から訛りの譜面を受け取り、譜面を見て小さく頷いた。
「いいだろう。この調子で、妖鬼言語も頼むぞ」
「それは廉心次第です。旋律の意味は、廉心じゃないとわかりません」
「まあ、そうだろうな。あとは廉心に――……」
言いかけて、陵漣は詩響を振り返った。なにか思い立ったような顔をしている。
「廉心といや、あいつはどこで勉強したんだ。蒸留といい、独学とは思えない」
「独学ですよ。本を読み漁ってました。あとは、朱殷にもいろいろ習ってます。ね?」
隣に立っていた朱殷を見上げる。朱殷は、なぜか、ばつが悪そうに頷いた。陵漣は驚いたようで、まじまじと朱殷を見ている。
「廉心に教えられるほど賢いのか、お前は」
「いえ。学問の基礎と、外の情報を教えただけですよ。俺は外からの移住なんで、持ってる情報量がこいつらより多い。それだけです」
「移住だと? いつ?」
「五年くらい前ですかね。前は長老さまの家に居候してましたけど、いまは団練の宿舎で生活してます」
陵漣と翠蘭、魏懍も、全員が驚いたようだった。陵漣は目を丸くして、詩響を振り返る。
「そうなのか?」
「はい。でも、すぐ仲良くなれました。雀晦村には、年の近い子どもはいませんから。廉心にはいい教師でもあったから、懐いてます。それが、なにか?」
「……いや。移住者がいたとは初耳だ」
詩響には、なにということもない。けれど、陵漣はひどく気にかかったようだった。腕を組んでなにか考え込んでいる。しばらく唸っていると、もう一度朱殷に顔を向けた。
「言われてみれば、お前は雀晦の者とは顔立ちが違うな。移住は多いのか?」
「ええ。団練のおとなは、ほぼ全員。団練を作るために、腕利きを招いたそうです。ほとんどは近隣からですけど、俺は旅の流れ者ですよ」
「どうりで。どこの生まれだ。鳳凰国に、赤に連なる姓はない。鳳凰陛下を意味するからだ。ましてや『朱殷』は、黒ずんだ朱色の意。姓名で赤を示すなど、ありえない」
「ご想像にお任せしますよ。必要以上に過去を語るのは、嫌いなんでね」
急に訪れた沈黙に、詩響は縮こまった。
(どうしたのかしら。雀晦の移住なんて、殿下たちには関係ないでしょう)
悪いことをしたわけでもないのに、重い空気は、責められているような気持ちになる。詩響は沈む空気に耐え切れず、逃げるように朱殷へ話しかけた。
「たしかに、もったいないわよね。裕福な家で可愛いご令嬢の護衛でもすれば、婿入り話だってあるかもしれないわ。村の女性、みーんな虜にしたくらいなんだから」
「……その話を蒸し返すな。本当に面倒なんだ、色恋の話は」
朱殷は綺麗な顔をしている。都会で洗練されたのであろう精錬な雰囲気に、村中の女性が色めきだった。既婚の女性も惚れ込んだことで、一時期は問題にもなったくらいだ。
愉快な話で空気を明るくできれば、と思ったけれど、やはり陵漣たちは重苦しい顔をしている。とくに陵漣は不満げな顔だったけれど、なぜか詩響と朱殷を交互に見ている。
やたらと見られるのは気持ちのいいものではなくて、さっと朱殷の背に隠れた。
「じろじろ見ないでください。翠蘭さまと違って、慣れてないんです」
「いや。可愛いご令嬢の護衛をしてるのにな、と思ってね」
陵漣は軽く笑うと、すっと手を伸ばしてきた。長い指で詩響の髪を一束つまみ、すいっと持ち上げ、髪に口付けした。
「へっ!?」
「美しい赤だ。まさしく鳳凰国の民」
場にいた全員が固まった。陵漣の言葉が、詩響の脳内でぐるぐると回る。
農作業で日に焼けた赤毛は、翠蘭のように美しくない。艶もなく、藁を括っている紐で結んでいることもある。手入れなんて、なにもしていない。
田舎娘らしさを演出する、くたびれた髪に陵漣は口付けた。くすんで冴えない赤毛に。
黒く美しい陵漣の瞳で射抜かれた詩響は、言葉を失い、慌てて陵漣から離れた。
「冗談はやめてください! 妙な噂が立ったら、どうするんですか!」
「妻にしてやろう。よろこべ。鳳凰天子の配偶者だ」
「はい!?」
とんでもない言葉に、詩響は壁まで後ずさり激突した。顔が熱い。鏡を見なくても、赤くなっているのはわかった。
「馬鹿なことを言わないでください! 殿下ご自身の名誉に関わりますよ!」
「殿下と呼ばれるのは好きじゃない。陵漣と呼べ。俺の字だ」
「できるわけありません! 殿下を字でなんて、許されませんよ!」
「俺がいいと言えば許されるんだよ。ほら、呼んでみろ」
今度はまた、なにを言いだすのか。字とは、親しい者にしか許されない呼称だ。親兄弟や師、許されれば親しい友人も呼ぶだろう。
けれど、詩響は血縁でも親しくもない。縁の薄い異性に字を許すなんて、ありえない。
それでも陵漣は、詩響の髪を握りしめたままだった。うっすらと口角を上げ、密やかに見せた微笑みは妖艶だ。あまりにも魅惑的で、抗うことなどできなかった。
「……陵漣さま」
礼儀を考えれば、今すぐ謝罪すべきなのかもしれない。従者は腹を立てているだろう。周りにいる人々の表情をうかがうことは、できなかった。
けれど、恐ろしいからではない。ただ、陵漣から目を離せなかったからだ。
詩響の気持ちをわかっているのか、いないのか。陵漣は最後に優しく微笑むと、するりと去っていった。
わけがわからず立ち尽くしていると、とんっと翠蘭に肩を叩かれ現実へ引き戻される。
「真に受けなくていいわよ。人をからかって遊ぶのが好きなかたなの」
「あ、ああ、そう、そうですよね。すみません。私には高度すぎる冗談でした……」
翠蘭は呆れたように笑った。呆れた相手が陵漣なのか詩響なのかは、わからない。けれど、美しいはずの微笑みを見ているのは、なんだか苦しかった。
魏懍は陵漣に付いて出て行ってしまった。誰もが同じように呆れるのか、それとも違う反応を見せるのか。それだけ、知っておきたかった。
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