第34話:断絶されたレール
視界の先にあるのは、世界の終わりだった。
爆走する機関車『夜明け号』の前方、霧が晴れた先に待っていたのは、一本の線路ではなかった。
無惨に断ち切られた鉄の道。
その裂け目は、遠目には小さな傷に見えたが、近づくにつれて巨大な口を開けた怪物のように迫ってくる。
「……嘘でしょう」
私はスリット窓に張り付き、絶句した。
クロードの予測通りだった。いや、それ以上かもしれない。
昨日の砲撃による振動か、あるいは誰かの悪意による破壊工作か。
橋の中央部、両岸から伸びた橋桁の接合部分で、レールが完全に脱落していたのだ。
距離にして約3メートル。
そして何より絶望的なのは、その先の対岸のレールが、ガクリと一段低くなっていることだった。
50センチ、いや、もっとあるかもしれない。
まるで階段の踊り場が抜け落ちたような、致命的な段差。
あそこへ突っ込めばどうなるか、想像するまでもない。
車輪が空を切り、対岸の壁に激突する。
数百トンの鉄塊が、時速100キロで壁にぶつかるのだ。
装甲など意味がない。私たちはその衝撃でひしゃげた鉄くずの中で、ミンチになるだけだ。
「……止まる? 止まれるの!?」
本能が悲鳴を上げた。
ブレーキだ。今すぐ全ての車輪をロックして、火花を散らしてでも止まらなければならない。
私の手が、無意識に非常ブレーキのレバーへと伸びる。
ガシッ!
その手を、クロードの手が強く掴んだ。
熱い。火傷しそうなほど熱い手。
「触るな!!」
クロードが叫んだ。
その形相は、鬼気迫るものだった。
目は血走り、額には青筋が浮き出ている。狂気スレスレの、極限の集中状態。
「止まれば死ぬ! わからねえか!」
「でも、あんな切れ目……! 落ちるわよ!」
「落ちねえ! 飛ぶんだよ!」
彼は私の手を振り払い、逆に加速レバー(スロットル)を限界まで叩き込んだ。
ガコンッ! という音がして、レバーがこれ以上動かない位置で固定される。
「
重力に負ける前に、向こう側へねじ込む! それしか生き残る道はねえ!」
彼の理論はわかっている。
時速100キロで突っ込めば、慣性で飛び越えられる。計算上はそうだ。
だが、それはあくまで「計算」だ。
風向き、レールの歪み、車体のバランス。一つの変数が狂えば、計算式は崩壊し、私たちは死ぬ。
機関車が悲鳴を上げる。
キィィィィィン……!
限界を超えた回転数で回る車軸が、焼き付く寸前の高音を発している。
ボイラーの圧力計はとっくに振り切れている。いつ爆発してもおかしくない。
ドォォン!
すぐ横で砲弾が炸裂した。
破片が装甲を叩く。カン! カン!
両軍の砲撃は激しさを増している。私たちが橋の中央――最も狙いやすい位置に来たからだ。
「うわあああっ!」
背後の炭水車から、作業員の悲鳴が聞こえた。
誰かが振り落とされそうになったのか、それとも弾片が当たったのか。
振り返る余裕はない。
「前だけを見ろ! エリザベート!」
クロードが私の肩を掴み、強引に前を向かせた。
「目を逸らすな! 俺たちが進む道だ!
お前が信じてくれなきゃ、この鉄屑はただの棺桶になる!」
彼の言葉が、恐怖で凍りついた私の心臓を殴りつけた。
そうだ。
私が提案したんじゃない。
『飛ぶわよ』と言い出したのは私だ。
悪女なら、自分の吐いた嘘を、最後まで真実に変えてみせなさいよ。
私は奥歯を噛み締め、カッと目を見開いた。
断絶が迫る。
あと300メートル。
秒速28メートルで近づく死の口。
「……ええ、わかったわ!」
私は叫び返した。
腹の底から声を出すことで、震えをねじ伏せる。
「行きなさい、クロード!
貴方の計算が間違っていたら、地獄の底で呪ってやるわ!」
「上等だ! 末代まで祟ってくれ!」
彼は獰猛に笑い、ハンドルにしがみついた。
その背中は、どんな時よりも大きく、頼もしく見えた。
この男に命を預けるなら、悪くない。
あと200メートル。
レールの振動が激しくなる。
ガタガタガタガタ……!
まるで、機関車自体が恐怖で震えているようだ。
その時。
断絶部分の向こう側――対岸のリベール軍陣地から、閃光が見えた。
ズドォォン!!
直射だ。
対戦車砲か何かが、真正面から私たちを狙って火を吹いたのだ。
砲弾が一直線に迫ってくる。
「伏せろ!」
クロードが私に覆いかぶさる。
キィィィン!!
耳をつんざく金属音。
砲弾は機関車の先端、排障器(カウキャッチャー)の角に命中し、火花を散らして弾かれた。
だが、その衝撃で車体が大きく傾く。
「ぐっ……!」
クロードがハンドルにしがみつき、必死に体勢を立て直す。
左側の車輪が一瞬浮き上がった。
脱線する――!
その瞬間、私は見た。
運転席の窓の外、並走する影を。
「戻れぇぇぇっ!!」
ハンズだ。
彼は機関車の側面のステップにへばりつき、浮き上がろうとする車体を、自分の体重と、持っていた巨大なハンマーで叩きつけて抑え込もうとしていた。
物理的には無意味かもしれない。でも、その気迫が、傾いた車体を強引にレールへと戻した。
ガタンッ!
車輪がレールに戻る。
「ハンズ!」
「へへっ、セーフだ!」
彼は風に飛ばされそうになりながらも、親指を立てて見せた。
なんて馬鹿な、なんて愛おしい部下たち。
彼らも戦っている。命がけで、この暴走列車を支えている。
あと100メートル。
断絶が目の前に迫る。
レールの切れ端が、ささくれたように空を向いているのがはっきりと見える。
その下の谷底が、暗い口を開けて待っている。
死ぬかもしれない。
いいえ、死ぬ確率の方が高い。
走馬灯のように、これまでの記憶が蘇る。
泥だらけの現場。不味いスープ。雨の中の作業。そして、月夜のキス。
どれもが、宝石のように輝いている。
後悔はない。
私が選んだ道だ。私が選んだ男だ。
「……クロード」
私は彼の腕を掴んだ。
彼は前を向いたまま、私の手を強く握り返してくれた。
「……怖くねえよな?」
「ええ。……貴方と一緒なら」
嘘じゃない。
心臓は破裂しそうだけど、魂は凪いでいる。
「行くぞオオオオオッ!!」
クロードが咆哮した。
彼はハンドルを固定し、身を挺して私を庇う体勢を取った。
私も彼にしがみつき、目を閉じることなく、その瞬間を見据えた。
車輪が、最後の枕木を蹴る。
鉄と鉄が擦れる、断末魔のような音。
フワリ。
胃が浮き上がる感覚。
轟音が消えた。
振動が止まった。
私たちは、空へ飛び出した。
重力という鎖を引きちぎり、鉄の馬に乗って。
スローモーションの中で、私は見た。
眼下に広がる激流の白。
対岸のレールの、冷たい輝き。
そして、隣にいる男の、世界で一番勇敢な横顔を。
時よ、止まれ。
そう願う間もなく、私たちは運命の着地点へと吸い込まれていった。
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