第4話 姉

「使用人や兵は遊び相手や相談相手ではないと、何度言ったら貴女は理解するのかしら? いつまでも子供のように振舞って、恥ずかしい」


 突然、部屋に現れたのは、マリーエルの二番目の姉レティシアだった。


 本来なら、部屋を訪ねる際には呼び鈴を鳴らして、それを報せるのが礼儀なのだが、レティシアはマリーエルを詰る為なら、そのような決まりを自分の理屈で捻じ曲げて、自身の言いたいことだけを主張し、マリーエルがそれに屈するまで責め続けるのが常だった。


 祭事や来客がある訳でもないのに、頭の天辺からつま先まで隙なく着飾ったレティシアは、綻びを探すようにマリーエルの自室を見回した。そうしてから、ぐっと胸を張り、硬直していたマリーエルを見下ろした。


「貴女の部屋を飾る花が足りないのではなくて?」


「……えぇと、さっきすみれの精霊が──」


「すみれ。確かに、可憐な花だけれど、貴女は精霊姫なのよ。もっと色んな花で飾らなくては駄目でしょう」


 レティシアはそう語りながら、カツカツと靴音を鳴らして、部屋を歩き回った。じろり、とアメリアとカルヴァスに目を向け、気に入らないとでも言うように、鼻を鳴らす。


 二人は、レティシアが声を上げた時、既に立ち上がり、マリーエルの後ろに控えていた。それは、レティシアが引き連れている侍女と同じような格好だった。


 マリーエルが許し、そうするように求めているのだから、本来二人がどう行動しようと咎められる必要はない。しかし、執拗に責めたてるレティシアに辟易して、こういう場合には、その場をやり過ごすために、大人しく従う方が早いのだと、嫌な共通認識があった。


 それは、レティシアがグランディウスの子孫としての務めを果たす際にも、それに関わる人々の間で共有されていた。


 レティシアは卓の上に目をやり、眉をひそめた。


「私があげた茶器は?」


「大切に仕舞ってあります」


 以前、贈り物として貰った花瓶をうっかり割ってしまった際に、酷く罵られたことから、マリーエルはレティシアから贈られたものは大切に仕舞い、何かの行事の際にだけ使うようにしている。


 割ってしまったのは、勿論マリーエルの落ち度ではあるが、周囲が気の毒に思う程に、レティシアはマリーエルを責め立てた。母であるシャリールが間に入らなければ、もっと酷いことになっていただろう。


 しかし、レティシアも責めたり詰ったりするばかりではない。確かに、贈り物の数々は、質の良いものだったり、滅多に目に掛けることの出来ない珍しいものもある。


 マリーエルが内心でそう心を奮い立てていると、レティシアが大きな溜め息を吐いた。


「茶器は使わなくては意味がないのよ。あれは今、大陸で流行している一品なの。私が特別に取り寄せた物の内のひとつなのだから正しく使ってあげて。正しく、とは使用人や兵に茶を振舞うことではないのよ。お分かりね?」


「……はい」


 レティシアは、彼女が成人した頃の宴で出会った、〝さる高貴なお方〟から教わった作法を、この精霊国で実践している。


 その〝さる高貴なお方〟は、大陸にある華発の国のある地方の領主ではあるのだが、精霊国内では馴染みのないものが多く、更には多くの者が望まず、必要とも思っていない作法ばかりであった。


 国によって慣習が異なることを、マリーエルはアントニオから教わっている。それについて、どういう意見も持ち合わせていない。しかし、レティシアのように誰彼構わず押し付けるのは、如何なものだろう。少しは周囲の様子も見て欲しい、と思うことは幾度もあった。


 レティシアは、今でも手紙を通じて、様々な作法や華発の国流のやり方を仕入れている。


 精霊国において、グランディウスという存在は、今や力の象徴として在り、初代グランディウスからその役目を引き継いでいるに過ぎない。


 力を持つ者が生まれ、民を率いることが出来るから、多くの者が敬い従うのだ。


 そのことに、グランディウスの名を継ぐ者は誇りを持ち、民の暮らしを守る為尽くしてる。そして、初代より続く関係と、個人同士の絆がこの国を造っている。


 主人と従者という関係だけでは、この国は成り立っていない。


 表面上は、そのように在ったとしても、それよりも先に個人としての関係性が優先されるべきだ。そうマリーエルは父と母より教えられていた。だから、茶の席を共にするくらいは、有り得る話なのだ。


 そう反論しようとしたマリーエルは、面倒なことになるだけだと、すぐに思い直した。


「失礼をしました」


 マリーエルが頭を垂れると、レティシアは満足そうに唇を上げた。


 それに微笑み返しながら、マリーエルは、先程から気付かれないように背中を突くカルヴァスを振り返った。


 僅かな申し訳なさを感じながら、背筋を伸ばして、高圧的に申し渡す。


「もう行って良いですよ」


 そう言うと、カルヴァスは兵に出来る限りの正しい礼をして、速やかに部屋を出て行った。


 兵になど興味はないとばかりに一瞥いちべつしただけだったレティシアは、カルヴァスが部屋を出る際に、おどけたように笑顔を浮かべ手を振って出て行ったのを目にしなかった。


 軽率な行動に呆れつつ、マリーエルは何処か気持ちが軽くなったような気がした。


「それで、お姉様はどのような用事でいらしたの?」


 マリーエルが卓の上の片付けをアメリアに命じるのを満足そうに見やりながら、レティシアはマリーエルの腕に手を回した。朽ち葉色の瞳が熱意に光る。


「今日は衣装合わせでしょう? 私も一緒に確認してあげなくちゃと思ったのよ。装飾に関して私は詳しいから」


 その言葉に、今日は読書をする時間は取れなさそうだと、マリーエルは内心で頭を抱えた。


 予想通り、衣装室について来たレティシアは、あれこれと口を出して大いに場を混乱させた。


 装飾性ばかりの提案を言われるままに決める訳にもいかず、なんとかアメリアが他の提案をすると「世話役は黙りなさい」と言い捨て、思い通りにならない状況に、徐々に声に苛立ちを滲ませた。


 何度目かになる押し問答をしていると、呼び鈴が鳴った。


 アメリアが出迎え、シャリールが微笑みを湛たたえながら部屋に現れた。


「もう少し早く来るつもりだったの。ごめんなさいね」


 シャリールは優雅に歩いてくると、レティシアに気が付き、驚いた顔をした。


「あら、貴女も来ていたの。大切な妹の成人の儀ですものね」


 シャリールはニコニコと笑いながらアメリアを呼び寄せ、あれこれと相談をし始めた。


 アメリアに険のある視線を向けながら、硬い笑顔で輪に加わろうとしたレティシアだったが、母にやんわり意見を訂正され却下されるうち、それ以上口出し出来なくなり、手持ち無沙汰に時折衣装のしわを伸ばすだけとなった。


 マリーエルやアメリアの意見にシャリールが賛同する度、レティシアが激しい憎悪ともいえる感情を込めた瞳でじろりと睨み付け、二人の気持ちを消耗させた。


「さぁ、これでいいかしら」


 シャリールはマリーエルの全身を見回し、頷いた。


 光を受けると微かに透ける、滑らかな生地で作られた衣は、裾や襟に同生地で作られた花があしらわれている。髪は編み込み、程よく垂らす。こちらにも花を添える。


「あとは……杖は届いているわね?」


「はい、こちらに」


 アメリアが捧げ持つ杖の先端に取り付けられた精霊石が、しゃらしゃらと音を立てる。丁寧に花型を彫り仕立てられた杖は、舞で使用するものだ。


 精霊姫にとって精霊の力を導くのに道具は必要ないが、あれば補助的に力を分け扱うことが出来るし、儀式には慣例というものがある。


 マリーエルに杖を持たせ、全身くまなく眺めたシャリールは感慨深そうにマリーエルの頬を撫でた。


「貴女なら立派に役目を果たすでしょう。誇りに思います」


「有難うございます。精一杯尽くします」


 少しでも立派に見えるよう、背筋を伸ばして答えると、シャリールは嬉しそうに微笑んだ。


「さて、この後は舞の稽古でしょう? 行ってらっしゃいな」


 そう言ってから、マリーエルをじぃっと見つめていたレティシアを振り返る。レティシアは慌てて笑顔を取り繕った。


「貴女は、今日の用事は全て終わったのでしょう? 少し休憩したいと思っていたところなの。一緒にお茶にしましょう」


 頷いたレティシアの手を取ったシャリールは、その手をぽんぽんと愛おしげに叩いた。


 部屋を出かけたレティシアは言葉を探すように視線を動かし、「励みなさいね」とだけ言って顔を背けた。


 「ねぇ、お母様知っていて?」と浮ついた声が遠ざかっていく。


 マリーエルは、思わずアメリアの顔を見やり、長い溜め息を吐いた。


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