第12話『反芻』

①接触

聡太郎は夏の陽射しの最中、いざよい橋を何度も往来し、あの日見えた学生服姿の少女を探していた。

あの日、彼女は聡太郎に何かを訴えようとしていた。聡太郎もその声を聞こうと、揺らめく陽炎に手を伸ばした。しかし、彼の手が届く前に彼女は蜃気楼のようにその姿を消した。そしてそれ以降、彼女は姿を表さなかった。出てこない以上は放置する他無いが、彼女の困り兼ねた表情が、聡太郎にはどうしても引っかかって仕方が無かった。また、彼女の周囲に漂う臭気が、どことなく今回の連続殺人事件の被害者達と酷似していたのも事実。。ややもすると、彼女も被害者か? いや、それにしては『顔』は無事だった。

こうなれば直接聞くしかない。

そう考えた聡太郎は、彼女が現れた場所、時間を合わせて、いざよい橋にわざわざ足を向けるのだった。


ずっと同じ時間、同じタイミングで彼女を待ちわびるが、彼の前を通り過ぎるのは、見知らぬ生きし人々。彼らの雑踏に紛れて、見落としてしまって居ないか、聡太郎は目を凝らす。

すると、遙か数十メートル先から、あの少女と同じ匂い、同じ色調の波動をたなびかせる女性が、こちらに向かって来るのが見えた。

聡太郎は息を飲んで、今一度目を凝らせた。


その女は、あの少女がまさに女性に成長したと言わんばかりに、容姿とその佇まいがあまりにも酷似していた。年齢も見るからに四十代以上。よもや母親か? とさえ思える程に、面影がそこに息づいていた。

これは『誰か』の仕業でもなく、もし、実在するとしたら神の思し召しなのかもしれない。或いは少女の願いが、聡太郎とその女性を引き合わせたのか?

そう考えてもおかしくないほどに、その少女とその女性に流れる色と温度は、瓜二つだった。

彼女が近づくにつれ、聡太郎はどぎまぎと挙動不審になる。彼女にその視線がばれると、確実に不審者確定だ。

さりげなく彼女に近づく事は出来ないか?

聡太郎はほんの数分の間に、頭をフル回転させた。

『そうだ!』

聡太郎は行き交う人の波の中、その場に跪いて左手をアスファルトの上に置いた。そしてそこから少女の映像をその女性に向けて流し込んだ。

直接手を繋いだり物体を介する事によって、聡太郎は相手に時分の記憶する映像を送る事が出来る。

それがたくさんの人の行き交う道の真ん中で、地面を介する事で果たして可能なのか?

精細に映像にする事は不可能だが、それが『誰か』である事は、知っている人からすればきっと伝わるはす。聡太郎は陽に照らされ、熱を帯びたアスファルトに、火傷する覚悟で今一度、左手を押し付けた。






②過去

「あなたには、死んだ人の姿が見えて、それでうちの娘が見えたって事? はい、そうですか? とは信じ難いわね」

幹恵は目の前に立つ、真夏の最中に白いパーカーのフードを被った怪しい男に、訝しげな視線を投げかける。

仕事の途中にふと、頭に流れ込んできた少女の映像。そこに映し出されていたのは、紛れもなく茉里子だった。急に割り込んできたその映像に、彼女は足を止めた。そして、ある男と視線が重なった。


「はい。娘さんは、何かを伝えようとしてくれているようです。ただ、彼女の念を周囲の低俗霊達が食い漁っているので、我々に直接見えるような、聞こえるような具体的な訴えは、かなり困難なようなんです。なので、こちらからもアプローチを掛けて、彼女の声を受け入れる事が大切なんです」

切々と聡太郎は訴えた。

あの少女をいちばん身近で知っていたのは、母親であるこの女性、幹恵のはず。彼女から少しでも情報を引き出せば、今回求める解に近付けるはず。


「あの、信じる訳ではないけど、あの子の声を聞く為にはどうしたらいいの?」

「はい。先ずはあの女の子について教えてください。名前や趣味とか、特に生前の様子や困ってた事、悩んでた事とか……」


いざよい橋の近くにある喫茶店で二人は、茉里子について思案を巡らせていた。

見るからに扮装が季節外れの男と、誰もが二度見するほどの美麗な才女の組み合わせに、店員を含め、他の客も不審気な眼差しを向けるのだった。


「あの子の名前は茉里子と言います。彼女自身、心を病むとか、身体的な問題等は、私の知る限りは無かったと思っています。ですが……」

幹恵は、少しだけ言葉を詰まらせた。

「あ、言える範囲で大丈夫です。もし、言葉にする事がお辛いようであれば、そっと今のお気持ちだけを、僕が覗き見ることも出来ますが……」

聡太郎は務めて慎重に切り出した。きっと幹恵には触れたくない、触れられたくない過去があるのだろう。彼女の唇を噛み締める仕草に、聡太郎はそれを読み取った。それを他人にも聞こえるような『言葉』に置き換える事が、正解とは限らない。だとしても、その内面を、今知ったばかりの男に覗き見られるのも、気持ちがいいものでもない。こっそりと見る事も出来るが、敢えてそれを彼はしなかった。それは、最終手段。誰かの命が脅かされるような、緊急事態の時のみ。

「いえ、ひとまずあなたを信用して、お話をします。あの子には、別の父親がいるんです。今となってはもう過去の事ですが、以前より私はとある男に、ずっと付き纏われていました。結婚が決まっても尚、それはおさまらず――」

そう言いながらも、幹恵の唇は震え、声は時折上ずっていた。

「結婚式の一週間程前の夜、私はあの男から辱めを受けました。当時はまだマンションではなく、アパートに住んでいたので、簡単に部屋に潜り込めたんだと思います。前日の夜、私は職場の飲み会で、ほぼ泥酔状態で帰宅しました。その入室の際を狙っていたんでしょう――」

彼女の話を遮り、聡太郎はテーブルの上に置かれた幹恵の右手に、そっと自分の左手を重ねて、唇の前で人差し指を立てた。

幹恵はそれに従い、震える口をつぐみ、深く深呼吸をする。

彼女の表情から察すると、未だに癒えない心の傷があるようだ。それを感じた聡太郎は、さっきの考えとは正反対に、敢えて彼女の中へと、その目と耳を傾けた。




「おおよその、事のあらましは分かりました。決して僕は口外はしませんので、ご安心ください。必要であれば、一筆書きますが?」

「そこまでされなくても、大丈夫です。私にはもう過去です。蒸し返されたとしても、ただの事実でしかありません」

幹恵は気丈に振る舞うも、その声はまだ震えていた。




幹恵と別れた後、聡太郎は溜息をこぼした。

彼女が体験した過去。それはまさに、天国から地獄へと堕とされた蛮行。

『何故そこまでして……』

彼は憤りさえ覚えた。それは怨念よりも醜悪で低俗。同じ男として申し訳がないのと同時に、その男の思考が、彼には分からなかった。否、それ以上に許せなかった。

幹恵より見えた過去は以下の通り。


彼女が学生時代に、アルバイト先の飲食店で、とある男に見初められる。それ以降、その男は彼女の出勤日目掛けて来店するようになった。そもそもがファンの多い彼女だったので、その手の客は少なくなく、幹恵も店主もさほど気にはしていなかった。

しかし、その男だけは他の客とは異質だった。

彼は他の客のように、直接彼女に話しかけようとはせずに、来店すると執拗に彼女へ熱い視線を送り続け、帰り際に手書きのメモを渡して帰るという、異様なアプローチだった。

最初は

『美味しかった』

『ありがとう』

など、無難な言葉が多く書かれており、単に恥ずかしがり屋な客だと認識していたが、徐々にそれは幹恵自身へのメッセージへと変貌していく。

それは他の客への嫉妬やら、服装やら、デートへの誘いなど、一言も言葉を交わさないのに、男の中で二人の関係が勝手に独り歩きをし始めていた。

それ以降は、その男が来た時は裏に隠れる、或いは曜日をずらすなどして対処していたが、まるで彼女の出勤日を知っているかのように、その男は頻出し、幹恵を視界に収めるのだった。

出禁にする事も出来たが、高齢の店主の手前、極力波風を立てないように、幹恵は就職を口実にその飲食店から姿を消す。


そして就職、職場で出来た恋人との結婚も決まり、彼女は順風満帆の中、その男の影は記憶の遠い場所に、押し流されていた。

しかし。

彼女は考えが甘かった。

男はそれ以降も彼女の周辺に居て、ずっと彼女を観察し続けていた。その証拠に、ベッドの下からその男からのメモが数百枚も発見される。

男は彼女が居ない間も部屋に侵入し、彼女の残り香を愉しんでいたようだった。そのメモには彼女の日常や、人には言い難い癖や、料理の味やら、本人しか知りえない事について、詳細に感想やアドバイスが綴られていた。

末恐ろしくなった幹恵は、恋人にその事を打ち明けようとしたが、結果的に彼女は口を噤む。

恋人の父親は、地元では名の知れた地主であり、有力者でもあった。故に面倒事の持ち込みはご法度だった。また田舎特有の排他的で他所者には厳しい空気に、余計に彼女は萎縮し、歯を食いしばるのだった。


そして、寿退社を経ての送別会の日。同僚達にしこたま酒を飲まされ、彼女は泥酔した状態で自宅に帰りつく。男が居ないであろう事を無意識のうちに確認すると、彼女はそのままソファに倒れ込み、押し寄せる頭痛と睡魔に身を委ねた。



『子供、何人欲しい? 僕は一人がいいな! だって君は唯一無二。君の遺伝子は、そのまま一人に色濃く受け継がせたいんだ。そしてまた僕はその新しい『君』をまた愛するんだ』


誰かの囁き声が聞こえた後、身体の中心部に熱い違和感を感じた。そして耳元で繰り広げられる、愛の言葉の旋律。いや、戦慄。合わせて小刻みに揺れる身体。逃げようとしても身体は、その倍以上はある誰かの身体で、がっちりと押さえつけられていた。

  彼女が苦悶に眉をひそめ、身をよじらせようとすると、誰かはより一層、彼女を抱きしめる腕と肩に力を入れる。そこに打ち付けられる一本の杭。それは程なくして、熱い吐瀉物を彼女の中に放出し、事を得た。

『二人で大切に育てようね』

誰かはそう耳元で囁くと、彼女から身体をはずし、そそくさと部屋を出ていった。

幹恵はあまりの恐怖に身動きが出来ず、声と言葉を失っていた。

数秒? 数分? 数時間?

どれだけそのままにしていたか定かではないが、彼女は徐に立ち上がり、シャワーでその内部を洗い流した。彼女の胎内から、とめどなく溢れ出る白い吐瀉物。その吐瀉物自体が意思を持っているかのように、掻き出そうとすればするほど、それは奥に進んでいる気がして、キリが無かった。掻き出したその一部でさえ、シャワーの水圧だけでは指からは離れなかった。 その様に一層の恐怖を覚えた幹恵は裸のままスマホを取ると、慌てて緊急アフターピルを依頼。

それは早朝に届き、彼女は貪るようにして、大量にそれを飲み込んだ。


数ヶ月後。

しかし、彼女はその身に生命を宿す。

彼女は独り、戦慄を覚えた。

結婚式も終え、夫とも何度も何度も身体を重ねた。

しかしながら、よもやあの男の子供では無いか? それが自分を疑心暗鬼に陥れ、ひたすらに幹恵を苦しめる。

それに反比例するように懐妊を喜ぶ夫と、その他の親族。口が裂けてもこの事は口外してはならない。

万が一そうであった場合、彼女はどうなってしまうのか? 想像するだけで、背筋の凍るほど。


そして茉里子は順調に彼女の中で育ち、皆の祝福の中、この世に産声をあげる。

皆が満面の笑みの中、彼女だけは複雑な心境で娘を抱きしめる。彼女の心境とは裏腹に、茉里子の身体は温かく、無防備なだけに全身の信頼の下に、幹恵に身を委ねている。絶え間なく幹恵の中に頻出する殺意の隙間に、それを覆い隠すように『母性』が芽生えたのも確かだった。


茉里子はそれからも順調に育ち、三歳の誕生日を迎える。その誕生パーティには親族が多数集まり、結婚式の披露宴さながらに、盛大に執り行われた。

そしてその日、夫が茉里子の成長の記録として、撮りためた動画を公開する。

皆が茉里子のあどけない姿に一喜一憂し、その度に歓声をあげる。

そして……

動画が終わったかと思った瞬間に、また別の動画が再生を始めた。そこには

『茉里子はこうして産まれた』

と、テロップが流れて画面が暗転した後、女性の喘ぎ声が怒涛のように流れ始めた。そして画面には顔にモザイクをかけられた、裸の男とそれの下敷きになっている女性が映し出される。


「きゃあああ!」

幹恵は壊れたように叫び声をあげた。

『もう、終わりだ……』

幹恵は恐怖に打ち震え、それを否定する事も出来ずに、その場に泣き崩れた。


その動画は紛れもなく、あの日、あの男に辱めを受けた、あの時のものだった。

周囲は騒然と化し、怒声と罵声が飛び交った。しかし、もはや彼女の耳はそれを判別・認識する事は出来なかった。


三日後。

ありとあらゆる叱責を受けた後、幹恵と茉里子は家を追い出される。

もうこの街には居られない。宛てどなく二人は彷徨い続けて、やっと今のマンションに辿り着いた。

幸い茉里子は幼かったこともあり、その日の記憶は曖昧で、心の傷は無いように思えた。

幹恵は娘を激しく憎んだ事もあったが、やはり我が子。抱きしめたとて、突き放すことは出来なかった。

彼女は人生の中で最悪の時を一緒に乗り越えた茉里子を、心から愛する覚悟をした。父親が誰であれ、茉里子は茉里子。それは揺るぎない事実である。そして幹恵の娘である。それこそ紛れもない真実。

狂気の沙汰に宿った生命は、澱むことなく清廉に育ち続ける。その無垢な姿だけが、幹恵の生きがいであり、心の拠り所となった。



そしてそれから、諸処の紆余曲折はあったものの、時は流れ、茉里子は真っ直ぐに育っていった。

合わせて幹恵の仕事も順調に運び出し、二人は凡庸ながらも幸せの最中に居た。


しかし、事件か事故か? 茉里子は帰らぬ人となった。


聡太郎はわずか数分の間に、その追体験をする。凝縮された記憶と心の傷は流石に重く、目を開けるまでに、彼は数分を要した。


目を開けると、目の前にいる幹恵も瞳を潤ませて、嗚咽をこらえていた。

感極まって、聡太郎は重ねていた幹恵の手を、強く握り締めた。

二人は互いに何も言わず、頷きあって心の声を共有し合うのであった。



そして。

幹恵はパソコンを取り出して、ある動画を見せてきた。

それは娘、茉里子の葬儀の時の映像のようだった。

そこに映し出されていたのは、何ら変哲もない会場内の様子。祭壇を前に読経を務める僧侶と、後ろに並ぶ参列者の背中が映し出されている。

聡太郎はその映像に異変が無いか、隅々にまで目を凝らした。


「あれ?」


ほんの一瞬だけ何かが映りこんだように見えた。

「やっぱり分かりました? おかしいところ……」

「黒い影が一瞬だけ映り込んでますよね?」

「流石ですね。そうなんです。それでその黒い影を拡大すると、こうなってるんです……」


数十倍に拡大された画像は粗く、判別の域を越えていたが、その黒い影の中には、不気味な笑みを浮かべる中年男性の顔が浮かんでいた。

「この男って、もしかして?」

聡太郎の問いに、幹恵は無言で頷いた。






③火蓋

聡太郎と幹恵は連絡先を交換しあい、再会を約束した後、喫茶店を後にした。

聡太郎はあの動画に、並々ならぬ禍々しさを覚えた。特にあの男の表情。恍惚とした上で狡猾な笑み。 何かを企んでいるのは一目瞭然。そしてそれは紛れもない生霊。この男は存命でどこかで生きているはず。そしてその臭い。動画から臭いを嗅ぎとるのは至難の業ではあるが、その画面からも溢れ出る劣悪で曲がった臭いに、彼は覚えがあった。


散らばっていたそれぞれ別のものが、今その線を繋ぎ始めた。確たる証拠など今は無いが、事態は動き出した。聡太郎はそう、確信を持つのであった。



『……めて……魔しな……で……』

不意に聡太郎の耳元に誰かが囁いた。

聡太郎は足を止め、周囲に目を凝らす。

すると昼間の陽射しが一瞬にして暗転し、濛々と濁った闇が彼の周囲に湧き上がった。一瞬にして視界は遮られ、彼は一歩も前に進めなくなった。

そして周囲の闇は音を立て回転を始める。激しい突風が聡太郎を囲い込み、キリキリと音を立てる。その至る所にかまいたちが発生し、一歩でも動こうものなら切り刻まれるのは必至だった。

聡太郎は敢えて左手を少し動かす。その途端にかまいたちがその手に牙を向き、指先を噛みちぎった。

「……」

痛みに耐え、歯を食いしばる。

『誰だ!』

聡太郎は心の中で叫んだ。

その途端、前方の闇の中から誰かが歩いて来るのが見えた。それはあらゆる低俗霊を引き連れて、こちらに向かってくる。

「!」

徐々に鮮明になるその姿。

飢えた雑踏の中に立つ、一際禍々しい怨霊。

その者の顔を見た時、聡太郎は絶句した。

「……君は!」




つづく





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