君の向日葵になりたかった
立華アイ
第1話 向日葵が揺れた日
夏の朝の光は、想像以上に鋭く、校庭をまぶしい黄色に染めていた。
ひよりは制服の胸元を整えながら、隣で早口にしゃべる美月の声を聞いていた。
「ねえ、ひより。昨日の宿題、終わった?」
「えっと……まだ全部は終わってないけど、半分くらい」
「さすが優等生。あたしなんて全然……」
美月は肩を揺らして笑い、汗をぬぐう。
ひよりもつられて小さく笑った。幼馴染として、子どもの頃からずっと一緒にいた美月の声は、今でも安心できる音だった。
けれど、心の奥には微かに違和感があった。
この朝、ひよりの視線は、校門の向こうに立つひとりの男子に吸い寄せられていた。
無表情で空を見上げるその姿――
遥翔。幼い頃、笑いながら手をつないだり、夏祭りで一緒に浴衣を着たりした彼。
でも今、彼はどこか大人びて、夏の光さえも遮っているように見えた。
美月が小声で呟く。
「なんか、あの人……夏に取り残されてるみたいだね」
ひよりは胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
幼い頃の記憶が、一気に心の中で蘇る。
手をつないで笑った夕暮れの公園、駄菓子屋で一緒に食べたアイス、蝉の声に混じって笑った夏祭りの夜――
あの頃の彼は、いつもひよりの隣で無邪気に笑っていた。
でも、今の彼は、どこか遠く、孤独に沈んでいる。
幼馴染として当たり前に接していた距離感は、もう取り戻せないのかもしれない――そんな不安が、胸にじんわりと広がる。
「ひより……また目で追ってるよ。やっぱり気になるんでしょ?」
美月のくすくす笑う声で、現実に引き戻される。
ひよりは慌てて顔をそらす。
「べ、別に……」
口に出せば嘘になるのはわかっていたが、言葉にできなかった。
校門の横に咲く向日葵が、夏の光に揺れている。
黄色く輝く花びらが、ひよりの胸にそっと手を触れるように感じられた。
“昔の彼は、こんなに光をまとっていたのだろうか……”
心の中でつぶやき、自然と小さなため息がこぼれる。
美月はそんなひよりの表情を見逃さず、肩を軽くたたく。
「ほら、変なこと言ってる。やっぱり幼馴染は忘れられないものだよ」
ひよりは頬を赤くし、視線をそらす。
でも、幼い頃の思い出は確かに胸に残っていた。
夏の匂いと光の中、懐かしい感覚が胸に蘇る。
心臓の奥で、かすかに高鳴る音がする。
美月はひよりの微妙な表情を察して、にやりと笑う。
「ねえ、ちょっとだけでいいから声かけてみなよ。向こうも気づくはず」
ひよりは小さく息を吸う。
“声をかける……?幼い頃ならすぐできたのに、今は……”
躊躇のまま、ひよりは校門の前までゆっくり歩く。
向日葵の揺れる葉が、手を伸ばす勇気のように見える。
夏風が頬をなで、蝉の声が遠くから聞こえる。
幼馴染としての記憶と、今の距離感が混ざり合い、胸が苦しいほど熱くなる。
ひよりは意を決して、声をかけた。
「……おはよう。久しぶりだね」
遥翔は一瞬、驚いたようにこちらを見た。
その瞳の奥に、戸惑いと、ほんのわずかな安心の色が浮かぶ。
しかし、言葉は返さず、ゆっくりと視線を外す。
どことなく距離を置きたい気持ちが滲んでいた。
幼馴染として当たり前に近づきたかったひよりの心は、切なさでいっぱいになった。
ひよりは少し沈黙した後、美月が後ろから軽く拍手してくれるのを感じた。
「よし、初日から少し進展したね」
ひよりは頬を赤くしながら、でも心の奥で、初めて少し安心した気持ちを覚えた。
教室へ向かう途中、ひよりの目は何度も遥翔に向かう。
彼の無表情は、子どもの頃にはなかった大人の影をまとっている。
でも、幼馴染としての親しみは確かに残っている。
胸の奥で、少しずつ、距離を埋めていきたいという気持ちが芽生え始める。
夏の光が校庭の向日葵を照らし、風が葉を揺らす。
蝉の声と、遠くで響く笑い声。
その中でひよりは、幼馴染としての再会が、これからの自分にとってどれだけ大切なものなのかを静かに噛み締めた。
遥翔は依然として、距離を置きたい気持ちを隠している。
でも、ひよりの小さな声は確かに届いた。
幼馴染としての記憶と、今の夏が交わる瞬間――
二人の間に、まだ見ぬ未来の光が、ほんのり揺れ始めていた。
ひよりは心の中でそっとつぶやいた。
“久しぶりに会えて、やっぱり……少し嬉しい”
美月の存在が、勇気の背中を押す。
「大丈夫、ひよりなら、きっと話せる」
その言葉と共に、ひよりは再び遥翔に目を向け、夏の光と向日葵に包まれながら、新しい一歩を踏み出した。
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