自称霊能力者の男と付き合っていた頃の話②

 堀口がまた仕事を辞めてしまった。


 理由を聞いても「ごめん」と言うばかりで、私が彼を責めているみたいだった。好きなら、黙って支えてやれば良いだけだ。それができないなら、私は彼のことを好きではない。そんな風に考えたが、疲れ切って帰ったある日に、堀口の一言で私の中で何かが冷めてしまった。


「何でそんなにイライラしている?」


 何がきっかけで、そんなことを言われてしまったかは忘れてしまった。でも、この言葉で私は脳が燃え上がって、小一時間後に至った結論は忘れていない。


 そうだ、私はもう彼のことが好きではないのだ。


 それから数日後のこと。狙ったようなタイミングで、悠也から連絡があった。


「神崎さんと、結婚するんじゃなかったの?」


 私は突き放すように言ったが、悠也は暫く黙ったあと、こんなことを言った。


「後悔したくないんだ。だから、会ってほしい」


 堀口のことで心が疲れているせいもあって、私は悠也と会ってしまった。


 自分でもおかしいくらい、悠也との関係は進んだ。最終的に、悠也が「別れて、光莉と結婚したいんだ」と言うに至るほど。だから、私もそのつもりで、堀口と別れることを決断した。


 そのときの堀口の表情は、今でも忘れられない。


「光莉に捨てられたら、俺は生きていけないよ」


 泣きすがるような、その顔は、確かに同情を誘うものがあった。だけど、私はこの表情が本当に嫌いで仕方ない。


 それはいつも「お前は冷酷な人間だ」と責めて、私の感情をかき乱す。これ以上、振り回されるのは、嫌だった。


「お願いだ…せめてもう少しだけ、俺と一緒にいてくれ。今、取り憑かれている霊がいなくなるまでで良いから。そうじゃないと、本当に俺は死んでしまうかもしれない」


 目に涙を溜める堀口に、私は言い放つ。


「ごめん…私、幽霊とか信じられない」


 堀口は目を丸くした。見えてしまうことで起こる理不尽や生き難さが、彼には山ほどあったのだろう。それで職を転々とし、誰にも理解してもらうことなく、孤独だった。堀口からしてみれば、私は唯一の理解者だったのかもしれない。


 でも、私は限界だった。私は幽霊の存在を否定するわけではないが、信じているかと問われたら、微妙なところだ。それでも、堀口と出会ってから、信じよう思ったが、信じようと思えば思うほど、彼のことが嫌いになったのは、確かなことだ。


「し、信じなくても良いから」


 堀口は震えた声で、私を引き止めた。


「今だけは一人にしないでくれ。俺、一人にされたら、本当に死んじゃうよ。俺が死んでも良いの?」


 堀口の必死の訴えに、私は冷酷な言葉を返す。


「知らないよ。悪いけれど、私はもう…貴方と関係のない人間だから」


 ずっと、堀口から突き付けられていた私の在り方を、そこで受け入れた。堀口は目を見開き、私の見つめた。


「俺が死んでも、関係ないってこと…?」


 頷きもせず、その場を去ろうとした。そんな私の背中に、堀口は言う。


「悠也って男のせいだろ」


 決して大きくはなかったが、強い攻撃性を含んだその声に、私は思わず足を止めた。


「あいつとは上手く行かないよ」


 何を知っているのか、何を視たのか、堀口はそんなことを言う。


「あいつは光莉を大切にできない。他に女がいるんだ。それなのに、あの男のところへ行くのか?」


「知っている。それでも、私は悠也の方が好き」


 私は今度こそ堀口のもとを去った。


「死んでやる! 俺が死んだらお前のせいだ。お前が殺したんだ! 」


 恨みがこもった言葉を浴びせられても、私は彼に背を向けたのだった。




 私は堀口を否定した。人格だけではなく、その存在価値まで。憎まれても仕方のないことだ。だから、私は堀口に助けを求めるべきではない。それに、勇気を出して電話をかけても、つながるとは限らないだろう。それだけ、酷い別れ方をしたのだから。


「もしもし」


 堀口は数回のコールで電話に出た。


「久しぶり」と私は言う。


「……どうした?」


 堀口はどこか煩わしそうで、用件だけを言うように、と求めているみたいだった。


「相談があるの」


 意外なことに、堀口は電話を切ることなく、私の話を聞いた。


「どう思う?」


 悪夢や痣について話し、堀口に意見を求めた。


「実際に見てみないと、何も言えない。明日の夕方…五時なら空いている」


「仕事、しているの?」


 私はそう口にしてしまってから、余計なことを言った、と後悔する。電話を切られてしまうのではないか、と恐れたが、堀口は冷淡な調子で答えた。


「あの頃とは違うから」


「…ごめん、変なこと言って」


「それで、予定は?」


 怒ったような口調だが、予定を聞いてくれるのだから、見放されたわけではないようだ。


「大丈夫。行ける」


「分かった。じゃあ、後で場所を送るから」


 電話を切ったあと、堀口からどこかの住所が送られてきた。そこは私の職場からも近い場所だった。


 堀口に会う、と思うと自然に溜め息が出た。もう会うことはないと思っていた。だから、あれだけのことをした。それなのに私は、彼に助けを求めている。堀口からすれば、とんでもない話だ。それでも、私はこの状況を解決したかった。


「もう一度会って、伝えたいことがある」


 悠也はそう言っていた。死んでも尚、電話をかけてまで伝えたいこととは、何だろう。今、私の人生は最悪の状態と言える。だからこそ、悠也のメッセージを聞けたのなら、これからの生き方を決めらえるような気がしていた。


 そのためには、向き合いたくない過去を目の前にしても、踏み出さなくてはならなかった。

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