2回目 竜骨ラーメン~ライスを添えて~
資格勉強と甘味の軍勢
カーボの街にある喫茶店のテラス席。
眼鏡をかけて参考書を読んでいるだけで、私は賢くなった気がする。
「なるほど、分からん」
紅茶を
頭がくらくらしてきた。とりあえず、なにか食べよう。
私は形だけの眼鏡を外し、メニュー表を開いた。
「なるほど、分からん」
今になって、自分の食に対する知識のなさを呪った。
とりあえず、資格勉強で疲れた脳には糖分だ。
私は店員を呼び、無知を悟られないよう余裕ぶった笑みを貼り付けて注文する。
「すまない。ここからここまで頼む」
「ぜ、全部ですか?」
「問題ない」
私はメニューの甘味のところを、指で一直線になぞって全て選んだ。
甘いものなら外さない。私は甘いものが好きだ。
少し心配そうにこちらを見た店員が去っていくのを見送り、ふと空を仰ぐ。
思いつきで始めた資格勉強。
食の可能性を広げるために挑戦したが、なかなかうまくいかない。
危険区域特例狩猟士乙種――参考書、高かったのにな……
昔、武芸大会で稼いだ路銀は底をつきかけている。
働かなければ食っていけない。なんとも世知辛い世の中だ。
ありがたいことに、ここ“カーボ”は資格試験の会場でもあるらしい。
条件は揃っている。本試験は来週だ。なのに、やる気が出ないのはなぜだろう。
「ドカグーイ卿、私はどうすればいいのですか……」
やる気が出ない。本当に出ない。
ああ、甘いもの食べたい。こってりしたもの食べたい。
目の前でポテトが、シェイクに浸りながら『俺を食べに来ないのか』と私を誘惑してくれればどれほど楽か。
塩味と甘味の共同作業……あれは正義だ。
「狩猟士を目指しているのですか?」
頭の中が完全に食べ物で満たされきったその瞬間、誰かが声をかけてきた。
私は視線を横に向け、声の主を見る。
大きな丸眼鏡をかけ、黒い三つ編みを揺らしながら本を抱えた少女だった。
「君もか。立ち話もなんだ、座ってくれ」
彼女が抱えている本が、私の持っているものと同じであることに気づき、隣の椅子を引いて勧める。
「うう……話しかけたのはいいけど、私まで視線を浴びちゃうな……」
少女はもじもじと恥ずかしそうに席についた。
「私、アルコルって言います。この街には昨日着いたばかりで……同じ受験者を見つけて、つい声をかけちゃって。あ、店員さーん! コーヒーを黒でお願いします!」
アルコルと名乗った少女は、手を高々と上げ、はっきりした声で注文した。
コーヒーを“黒”とは……大人だな。
私は紅茶に角砂糖を落としながら、そう思った。
アルコルは椅子にちょこんと座り、背筋を伸ばしてはいるものの、足は地面に届いていなかった。ぶらぶらと揺れる足先が、緊張とそわそわを物語っている。
見た目は小柄だが、抱えている本は分厚く、その大きさに対して明らかにアンバランスだ。彼女が本を胸に抱えると、ほとんど体の半分ほどを占めてしまう。その姿が、必死さとけなげさを同時に演出していた。
黒い三つ編みは、きっちりまとめられているというより、何度も結び直したような乱れ方だ。完璧を求めて努力した痕跡があるが、それでも少し跳ねてしまう髪が、彼女の真面目さと不器用さを表しているようだった。
眼鏡は大きく、本人の顔が小さいせいで少しずり落ち気味だ。時折指でクイッと直すたび、レンズが光って表情が分からなくなる。そして直した瞬間、ぱちっと大きな瞳が現れ、気合の入った受験者の顔に戻る。
しかし、そんな見た目に反して声はよく通り、芯がある。
先ほどの『コーヒー黒でお願いします!』という注文も、体格からは想像できないほどはっきりしていた。
どうやら気は小さいのに、勢いで突っ走るタイプらしい……
「は……私としたことが、ここまで相手を観察したのは久しぶりだ。すまない」
私はジロジロとアルコルを見ていた自分に気づき、思わず頭を下げた。
武芸者時代、道場破りはまず相手の観察から始まっていた。
とうに消えたと思っていたその癖が自然と戻ったということは──
このアルコルという少女、ただ者ではないのかもしれない。
「いえいえ。私のほうこそ、あなたを見ていましたので……ところで、お名前をうかがっても?」
アルコルは気にする様子もなく、柔らかく笑っている。
「ムチーノだ。新米ではあるが、美食家を自負している」
「ムチーノさん、ですね。私はアルコル。私もです。新米“愛飲家”を自負しています」
愛飲家──聞き慣れない言葉だが、美食家の派生のようなものだろうか。
同じ“新米”同士、仲良くできそうだ。
そして私は、会って間もないこの少女をすでに信頼していた。
理由は簡単だ。目を見れば分かる。
アルコルの目は、何かに夢中な人の目をしている。
「お待たせしました。コーヒーの黒と、デザートです」
ちょうどその時、私が注文した甘味が運ばれてきた。
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【今日のメニュー】
・白く淡い雲のような冷菓
・陽気な果実を閉じ込めた丸い甘味
・ふわふわの羽根のような軽い生地の甘味
・つやつやと光るもちもちした甘味
・きらきら光る砂糖衣をまとった、棒状の揚げ菓子
・焦がし香の漂う、ほろ苦い焼き菓子
・小皿にちょこんと乗る、小さく可愛い焼き菓子
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名前は分からないが、おいしいということだけは分かる。
テーブルいっぱいに広がる甘味の軍勢に、私は思わず頬がゆるんだ。
「すまない、話の途中だというのに……」
本当は今すぐ口に放り込みたかった。だが、アルコルがいることで、辛うじて人としての理性が残っている。
「いえいえ! 私も私で楽しみますので!」
そう言ったアルコルは、ポケットから小瓶を取り出し、コーヒーに透明な液体をトポトポと注いだ。
……なるほど、甘味の同胞か。
無理していたのだな。分かるぞ、その気持ち。
アルコルは、そのままコーヒーを一気飲みした。
「くぅ〜ッ! 効く〜ッ!!」
妙に豪快な飲みっぷりだ。私も負けていられない。
気がつけば、私の理性は食欲に置き換わっていた。
「感謝を」
私は手を合わせ、開戦の合図をする。
冷菓は、ひと口で脳に『正解!』の鐘を鳴らす。
丸い甘味は、ぷるぷる震えるたびにこちらの頬まで緩ませてくる。
軽い生地の甘味は、一瞬で消える。まさに“高速甘味”。
もちもち甘味は、噛むほどに幸福が追加される“追い甘”。
棒状の揚げ菓子は、『ザクッ』の音だけで幸せになれる。
小さく可愛い焼き菓子は、紅茶との相性があまりにも犯罪的。
そしてほろ苦い焼き菓子は、表面のパリッと割れる音が、なぜか健康に良い気がする。
ああ……素晴らしき甘味軍団よ。
一つ一つは小兵でも、集団になると破壊力が桁違いだ。
量は正直足りなかったが、私は大満足だった。
帰って寝たい……いや、だめだ。寝たら終わる。
「待たせた。アルコル、少し聞きたいことがある」
私は同士として、アルコルに助言を求めた。
「資格勉強が上手くいかなくてな。どうしたらいいと思う?」
かなり曖昧な質問だ。私の理解度はこの程度なのだ。
「それは、座学の方ですか?」
「ああ、そうだ。実技は……まあ、なんとかなる」
「でしたら簡単ですよ」
アルコルは鞄から分厚い参考書を何冊も取り出した。
「ここ数年分の過去問です。乙種なら、これを丸暗記すれば余裕です!」
「そ、そうだったのか……」
書店で見たやつだ。だが高かった。
私はその日の食費と相談し、一番分厚くて強そうな本だけ買ったのだ。
「私はもう全部覚えていますので、貸しましょうか?」
「頼む!」
即答していた。これ、いったい何食分なんだろう……
「ただし、条件があります」
アルコルはじっと私を見つめてきた。
「なんだ? 私にできることであれば何でも」
「はい。では、その……教えてほしくて」
彼女は少しだけ恥ずかしそうに視線を上げる。
「どうしたら、そんなに大きくなれますか?」
なんだ、そんなことか。
私の身体を見ての質問なら、身長だろう。
私は昔から背が高い。成人男性より高いくらいで、女性としては確かに目立つ。
……いや、むしろ最近さらに伸びている気もする。なぜだ。
だが、考えられる理由はひとつだけ。
「よく食べ、よく動き、よく寝ることだ」
私は自信満々に頷いた。
これ以上の成長理論は存在しない。
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