世界で一番キミが好き!~S級レンタル彼氏がなんぼのもんじゃい!~

ペンタ

第1話 『背景(モブ)』な僕と、裏の顔

 教室というのは一種の生態系だ。食物連鎖の頂点には声が大きくて容姿の優れたライオンたちがいる。彼らは常にクラスの中心で笑い、世界の主役として振る舞う権利を持っている。その周りには、シマウマやインパラのような一般生徒たちが群れを成し、彼らの機嫌を損ねないように平穏な草を食んでいる。では、僕、仁科悠(にしな ゆう)は一体どこに属するのか。


 答えは、草だ。シマウマたちが食べる、あの草である。いや、もっと言えば、誰も気に留めない背景の岩かもしれない。


「――でさー、昨日の動画マジでウケたんだけど!」


「わかるー! 超ヤバかったよね!」


 私立秀英学園、二年B組。休み時間の教室は今日も今日とてライオンたちの咆哮――もとい、陽キャたちの笑い声で満ちていた。僕は教室の一番後ろ、窓際の席で、出来る限り背中を丸めていた。前髪はあえて目にかかる長さまで伸ばしている。黒縁の眼鏡は、流行とは無縁の野暮ったいデザインを選んだ。制服もワンサイズ大きめで、痩せ型の身体のラインを完全に隠している。机の上に広げているのは、誰も興味を持たないであろう難解な哲学書。もちろん、中身なんて一文字も頭に入っていない。これはただの「ATフィールド」だ。僕は仁科悠。クラスでの通称は『ニシナ』。影が薄く、何を考えているか分からず、無害だが得体も知れない。「クラスにいたっけ?」と言われることこそが、僕にとって最高の勲章だった。


(……よし。今日も平和だ)


 誰の視界にも入らない。誰の記憶にも残らない。これこそが僕がこの学園で勝ち取った安寧のポジションだった。過去の経験から学んだのだ。目立てばろくなことがない。イケメンだとか、優秀だとか、そんな評価は面倒ごとの火種でしかない。高校生活は空気のように過ごす。それが僕の鉄の掟だ。


 ――ブブッ。


 ポケットの中のスマホが、短く震えた。僕は周囲を警戒し、教科書の陰で画面を確認する。表示されていたのは、禍々しい紫色のアイコン。校内非公式メッセージアプリ、『Secret Connect(シークレット・コネクト)』――通称『シーク』の通知だった。


「……げ」


 思わず低い声が漏れた。このアプリは表向きには存在しないことになっている。生徒たちが匿名で悩み相談や、ちょっとした依頼をやり取りするための闇ツールだ。  そして、この通知音は「指名依頼」が入ったことを意味している。


「おやァ?どうしたんだい、仁科くん。眉間にシワなんて寄せて」


 突然、背後からねっとりとした声が掛かった。心臓が跳ね上がるのを抑えながら振り返ると、そこには常に眠そうな半眼の男が立っていた。冴島恭平(さえじま きょうへい)。常にパーカーのフードを目深に被り、授業中は大抵寝ているくせに、テストでは常に学年トップクラスという嫌味な男だ。そして、この学園で唯一、僕の「裏の顔」を知る悪友でもある。


「……冴島。驚かせないでくれ」


「ふふ、君がそんなに動揺するなんて珍しいね。どれどれ?」


 冴島は僕の許可もなく、後ろからスマホの画面を覗き込んできた。彼の正体は、この怪しいアプリ『シーク』の開発者であり、管理者『ジョーカー』だ。僕に通知が来たことなど最初から知っていたに違いない。


「おやおや、これはすごい。S級案件じゃないか」


「声がでかい」


 僕は慌てて冴島の口を手で塞ぎ、周囲を伺った。幸いクラスメイトたちは相変わらず陽キャグループの話題――サッカー部のエース、王司レオの昨日の試合結果について――に夢中で、こちらの陰気な二人組には見向きもしていない。


「……で、どういうつもりだ。僕はもう依頼は受けないって言ったはずだぞ」


 小声で抗議する僕に、冴島はニヤニヤと笑いながら自分のスマホを取り出した。


「まあ、そう言わずに見てみなよ。今回のクライアントは君もよく知っている人物だ」


「誰だろうと断る。僕は静かに暮らしたいんだ」


「『天童かれん』」


 その名前に、僕は思わず言葉を詰まらせた。天童かれん。この学園でその名を知らない者はいない。生徒会長にして、容姿端麗、成績優秀、品行方正。ここ二年B組とは違う、特進クラスの二年A組に在籍し、その美しさと男子を一切寄せ付けない冷徹な雰囲気から『氷の女王』なんて呼ばれている。まさに僕のような日陰者とは住む世界が違う、雲の上の存在だ。


「……生徒会長が、このアプリを使ってるのか?」


「表では清廉潔白を演じている人間ほど、裏ではドロドロした悩みを抱えているものさ。君と同じようにね」


 冴島は皮肉っぽく笑い、僕のスマホ画面をタップして依頼詳細を開いた。


『依頼内容:日曜日に私の婚約者のフリをしてほしい』


『希望条件:口が堅く、絶対にボロを出さない人。ただし学校内では目立たない地味な人がいい』


『報酬:言い値で支払います』


「……は?」


 内容がぶっ飛びすぎていて、思考が追いつかない。婚約者のフリ?あの天童かれんが?しかも「地味な人がいい」とはどういうことだ。普通、偽の恋人役なんて見栄えのいい男を選ぶものだろう。


「彼女、親が決めた婚約者と揉めてるらしいんだよ。『私には愛し合っている恋人がいる』って嘘をついちゃったみたいでね」  


 冴島はまるで他人事のように解説する。


「で、今度の日曜日にその婚約者と会うことになった。そこで完璧な恋人役を演じて、相手の諦めさせたい……と」


「だったら演劇部のエースにでも頼めばいいだろ」


「それができないから困ってるんだよ。イケメンで有名な奴に頼めば、すぐに噂になる。彼女はあくまで『秘密裏に』処理したいんだ。そこで白羽の矢が立ったのが、このアプリで最も目立たず、かつ信頼度の高いランカー……つまり君さ」


 僕は大きくため息をついた。確かに僕は過去に何度かこのアプリ経由で「レンタル彼氏」の真似事をしたことがある。だが、それはあくまで困っている人を放っておけなかったり、冴島に弱味を握られて無理やりやらされたりしただけのことで、本業ではない。それに、僕の「変装」にはリスクがある。


「断る。相手が生徒会長なんてリスクが高すぎる」


「えー?いいのかい?報酬は『言い値』だぞ?君が欲しがってたヴィンテージの銀縁眼鏡、買えるんじゃない?」


「物で釣るな。平穏な日常はプライスレスだ」


「それに……もし断ったら、君が先月こっそり更衣室で女子の悲鳴を聞いてニヤついてた件、全校生徒に配信しちゃうかもなぁ」


「あれは!猫の動画を見てただけだ!」


「誰が信じるかなぁ?『陰キャのニシナくん、実はむっつりスケベだった』なんて噂が広まったら、君の愛する『空気のようなポジション』は崩壊だね」


 こいつは悪魔だ。フードの下で糸目の奥が怪しく光っているのが見える。こいつは本気でやる男だ。僕はギリリと奥歯を噛み締めた。平穏を守るために、一時的に平穏を捨てる。この矛盾した選択肢しか、僕には残されていないらしい。


「……分かった。やればいいんだろ、やれば」


「交渉成立だね!いやあ、持つべきものは優秀な友人だよ」


 冴島は満足げに僕の肩を叩くと、素早い手つきでアプリの『受諾』ボタンを押した。画面に『マッチング成立』の文字が踊る。相手は天童かれん。学園の絶対女王。


「日時は今週の日曜日、13時。場所は駅前の時計台広場だ。くれぐれも遅刻しないようにね、ミスター・シンデレラ?」


「……うるさい」


 僕は机に突っ伏した。全校集会で壇上に立つ彼女の凛とした完璧な姿が脳裏をよぎる。周りの男子たちが憧れの視線を送っても、微塵も気づく様子のない孤高の存在。あんな完璧超人の「彼氏」を演じる?しかも婚約者の前で?無理ゲーだ。どう考えてもカロリーが高すぎる。


(日曜日だけだ……。その一日だけ完璧に演じきって、あとは赤の他人に戻る)


 そう自分に言い聞かせる。だが、僕の野生の勘が警鐘を鳴らしていた。これは、ただのワンオペでは終わらない。僕の完璧な計算によって守られてきた「陰キャ生活」が、音を立てて崩れ去る予兆のようなものが、背筋を這い上がってくるのを感じていた。


 チャイムが鳴る。憂鬱な授業の始まりと共に、僕の波乱に満ちた二重生活の幕が、切って落とされようとしていた。


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