さらば私の思い出たち

東雲 千影

第一章 イヤホン型のゲーム機

第1話 私は離婚調停の弁護士

 私は弁護士である。

 もとは東京の医者の家に産まれた俗に言う『お坊ちゃん』であった。しかし、私がまだ三歳だった頃に、両親は離婚し、私は母の手一つで育てられた。父とは年に数回しか会わず、なけなしの養育費を送ってくるだけの赤の他人同然の存在である。

 シングルマザーの家庭でお金に余裕がなく、母の苦労している背中を見て育った私は、父親を見返してやるとの恨みから、ひね曲がったど根性のようなものが身に付いてしまった。その結果、同級生が部活や恋愛など青春を謳歌する最中、私は孤独に、勉強とアルバイトに精を出した。そして、やっとの事で東京大学の門をくぐったのは二十六歳のことであった。

 在学中も勉強とアルバイトに明け暮れた青春時代であった。

 目的のないサークル活動、そこで知り合う本名が分からない友人達。何度でもやり直しの効く人間関係。欲に任せた異性交遊。私はそんな華々しい大学生活を思い描いていたが、現実にはそんな楽しみを持つ余裕などなかった。

 東京大学を出た私はそのまま大学院へと進学し、弁護士へと続く道をひた走った。無論、大学院に入ってからも勉強とアルバイトに費やす生活であった。

 この頃になると、アルバイト先では、もはや正社員も私に頭が上がらない程の地位を得ていた。一番長く続いていたコンビニでのバイトではオーナーから何度も正社員になることを勧められた。そして、外国人アルバイトの皆からは『キャプテン』と呼ばれ、モテはやされたものだ。いったい、何故バイトリーダーだった私が、『リーダー』ではなく、『キャプテン』と呼ばれていたのか、それは今になっても謎のままである。制服が青色で横縞模様のシャツだったので、海兵でもイメージされてしまったのだろうか。いずれにせよ、私は『キャプテン』という呼ばれ方が非常に気に入っていた。

 今となっては、学生時代にバイト先で『キャプテン』にならずに、もう少しくらい恋愛やスポーツに時間を費やしても良かったと後悔していないわけではない。しかし、この身を削った学生時代があったからこそ、今の暮らしがあるのだと思うと、なかなか悪い学生時代ではなかったと、そうも思えるものだ。


 大学院卒業後、私は東京都大手町のど真ん中にある大手弁護士事務所に入った。

 そこでの経験は非常に苦痛を伴うものであった。これほどの苦痛を味わうのなら、コンビニに就職して『キャプテン』を続けていた方が断然幸せだっただろうと、何度も心が折れたものだ。

 弁護士事務所には、私以上に講釈や詭弁が好きな奴らが揃っている。奴らは口が立ち、頭が良いくせに、やれ飲み会やら、やれ宴会芸やら、やれ接待やら、体育会系的な阿呆あほうぶりをぶちまけるのだ。仕事の時間は、あれほど論理的で理性的な人間達が、一滴でもお酒が入ると、小学生……いや、幼稚園児のように騒ぎ回るのだ。……全くもって理解し難かった。

 正義を掲げて、立派なスーツに身を包んでいる奴らは、一見するとヒーローのようであるが、私にとっては、手のつけられないほどの悪党どもである。酒の弱かった私は幾度となく、記憶を飛ばし、畜生のように路頭を彷徨ったこともあった。


 そのような環境に嫌気の差した私は、三十五の歳を迎えた時に独立し、今は東京品川区の片隅で一人、こぢんまりと事務所を構えている。


 事務所を構えてから既に四年が経った。この四年間で来た案件といえば、離婚相談だの、離婚した後の養育費の問題だの、ちんけな案件ばかりである。だが、品川区に住んでいる既婚者達はお金に余裕があると見えて報酬はなかなか割の良いものである。さらに、私自身大きな仕事をしたいとも思っていない。弁護士業に限らず、どんな大きな仕事も、悪党同士で動かして貰い、庶民は首を突っ込まない方が良いのだ。


 私は離婚相談に乗った数は多いが、離婚はおろか、結婚したことすらない。

 独身で痩せこけたメガネの中年男を相手に、夫婦間の痴話喧嘩の相談をするために、わざわざ足を運んでくれるのは、私が結婚というものを知らないからだろうと思う。

 離婚や結婚といった問題は、他人の問題に親身しんみになるような人間には到底務まらない。ましてや他人事ではなくなってしまうから、親や兄弟、親戚といった身内にはなおさら務まるはずもないのである。

 その点において、私のような独身者は結婚が何たるかも分からぬから、いくら話がこじれていようとも、それはテレビで見る遠い異国の政治問題と同じくらい、どうでも良いものなのだ。つまり、離婚がどれほど辛いのか、私には想像し難いから、親身になりたくてもなれないのだ。

 ゆえに、どれだけクライアントが目の前で泣いていようが、お互いに罵倒し合っていようが、私ときたら、ただただ話を聞き、客観的に法律的な助言をすることぐらいしかできないと、はなから割り切っている。

 また、熱のこもった伴侶の愚痴を、まるで坊主の読経を聴くかのように、右から左へと受け流すという技術は、物心つく前から母によってそれを聞かされ続けたという英才教育の賜物であるとも思えた。

 おそらく、このような才能に恵まれたことが離婚調停の弁護士という今の成功に繋がっており、非常に重宝されている性質なのであろう。


 この仕事の面白いところは、人の腹の奥底を垣間見ることができることである。

 夫婦というたがが外れると分かった途端に、互いに積年の思いをぶちまけ始める。


 たいていの場合、夫の方は『家族のために汗水たらして働いてきた!』と主張する。そして、それに対して妻の方が『家事育児という年中無休の仕事を頑張ってきた!』と主張する。

 仕事も家事も適当にやる私にとっては、両者の言い分もある程度分かるが、やはりこれが喧嘩になるということは分からない。

 確かに仕事も家事も面倒だし、それらは体力がいることだ。しかし、どちらかをサボってしまえば、生活が成り立たなくなるわけだし、生きるためにはどちらも頑張ってやるしかない。

 夫は、いきなり妻が家事育児を放棄したら生活できなくなってしまうことも十分理解しているし、妻の方もまた、夫が働かなければ、ママ友とのランチも気軽に行けなくなることを理解している。夫婦喧嘩というものは、互いにそれらを分かっていながらなお、『こちらの方が大変な思いをしている!』と主張し合うのだから面白い。

 要は互いの普段の仕事に理解がないからこうなるのだ。

 これは何も夫婦に限った話ではないのだろう。例えば、弁護士事務所に勤めていた際、弁護士としてクライアントの前に立つ人間よりも、案外、経理や人事などの事務職の人間の方が怒りっぽい。経理は『無駄な費用を使うな!』と怒り、人事は『残業を減らせ!』と怒っていた。そのような怒りは彼らの仕事だからまだ仕方がないとして、ひどいのは『申請様式が違う!』と怒ってくることだ。しばしば、『弁護士のくせに経費申請の様式もきちんと守れないのか』と経理部の痩せぎすのおばちゃんから怒りの電話があったことを思い出す。

 つまり、経理や人事もまた、要は相手の仕事をきちんと理解していないからこそ、こんな不遜な怒りを当たり前に覚えられるのだ。経理のおばちゃんは、弁護士という仕事が分からないから普段膨大な契約書を神経すり減らしながら読み込んで、ちょっとした隙間時間で経費申請する気持ちを分かっていない。そしてまた、我々弁護士の方も、間違った申請が日に数百と上がってくる経理のおばちゃんの気持ちが分からないのだ。

 このような問題の根源は、縦割り文化によるものなのだろう。

 『これは私の担当ではないから』などという高飛車な態度が、相手への配慮を欠落させ、自ら不遜な怒りを抱えるという地獄を味わう羽目になるのだ。大手企業に勤める人間も一度は独立して生計を立ててみるという経験を積んでみるが良いと思う。仕事は『担当』ではなく、『目的』と『結果』なのだということを理解するだろう。

 話が逸れたが、要するに『怒り』の根源は大抵の場合、『理解不足』であることが多い。相手の気持ちは、その身になってしまわなければ本当には分からないのだろうが、相手への理解を持てば態度は変わるものだと思う。夫婦喧嘩の根源も概ねこのようなものだと想像している。


 また、結婚とはずいぶんと窮屈な思いをするようだ。

 例えば、納豆の臭い一つで一週間以上も口を利かなくなったり、洗濯機の回し方だけで大声で罵り会う喧嘩に発展したりもするようだ。納豆の臭いなどは、そもそも納豆という食材の問題であって、妻のせいでも夫のせいでもない。ましてや、洗濯機に関しては、洗剤を決まった量入れて、後はスイッチを押すだけのことだ。

 互いに好き同士でくっついたはずなのに、それほどの小さな事でケチをつけたくなるという感覚は想像に難い。


 このような話し合いの場で、しっかりと両者『殴り合い』の喧嘩になるケースはまだマシだと言える。大抵は妻の方がオフェンスに回り、夫の方はふらふらになりながらディフェンスに徹することが多い。

 離婚相談に来る夫婦において、よくある夫のケースとして、下記の三つのパターンがある。

 一つは、時代錯誤も甚だしく、亭主関白であるケース。

 二つ目は、対照的に、家庭内でも良い顔をするし、周りにも友達の多いような男だが、女たらしで浮気をするケース。

 そして三つ目のパターンは、一見すると、家庭にも社会に置いても何の害もなく、真面目に働き家事をこなしたりするが、存在感が薄く、面白味が全くなくて結婚を続ける意味が見いだせなくなるケースである。まるで、コンビニの塩おにぎりの上に申し訳なさそうにひっついているゴマのような態度をしていては、妻としてはだんだん腹が立ってくるのであろう。これは偏見だとの批判を覚悟して言うが、概してこのような男は薄給であるし、無理をしてたくさんお金を稼ごうという気概もない。第一、そのような気概があれば、コンビニ塩おにぎりのゴマにはなるまい。

 今は、女性が活躍し、男よりも稼ぎながら、同時に子育てもやってのけるような時代である。そのような時代にあって、上の三つのパターンの男たちは、もはや用済みになってしまうのだろうか。別段、独身の私としては何の悲しみもうれいも無いのだが、男という生き物はいつの時代も情けのないものである。

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