異世界かぐや 〜竹取物語?いいえ、竹食物語ですが〜

悪戯道化

プロローグ


 夜は、まるで世界が息を潜めているかのように静まり返っていた。


 庭の竹が月光を反射し、

 風もないのに、細い影だけがすっと地面に伸びている。


 虫の声すら聞こえない。

 まるで“何か”が始まる瞬間を、息をひそめて待っているような――

 不穏で、しかしどこか神聖な夜だった。


 その中心で。


 かぐやは、帝の前でゆっくりと振り返り、

 凛とした声で告げた。


「……帝。

 私、月には帰りません」


 空気が張りつめる。

 庭に差し込む月光さえ、動きを止めたように感じられた。


 帝は眉を寄せ、静かに問い返す。


「……理由を聞いても?」


◆ 厳粛さ、しかしそれは一瞬で崩壊する


 かぐやの肩が、ぷるぷると震えた。


 そして――。


「向こうの食事が無理なんですッッ!!!」


 バンッッ!!


 静謐な空気が粉々になるほどの勢いで、かぐやは畳を叩いた。

 近くの障子が、びくん、と情けない音を立てて震える。


「ゼリー!! 霞!! ゼリー!! 霞!!

 “栄養はありますから”って、あの無表情料理人!!

 あれ絶対、味覚という文化を知らない星なんですよ!!」


帝「……姫。上品さ、どこへ置いてきた」


 かぐやは涙目で、怒りと悲しみをぐちゃぐちゃに混ぜて帝をにらむ。


「帝……聞いてください……

 料理人が自信満々に“栄養はあります”って言うたびに……

 五回くらい殺意湧いたんですよ……」


帝「五回は多い!!」


 かぐやは畳を叩く手をぎゅっと握りしめ、

 天を見上げて叫んだ。


「白米!! 味噌汁!! 焼き鮭!! 漬物!! そしてお茶!!

 この五柱の奇跡を知ってしまった私が!!

 あの無味地獄に戻れるはずがないでしょう!!」


帝「ちょっと待て!!

 前は“白米・味噌汁・漬物が三種の神器”と言っていたはずだ!!」


「美味しいものは増えるの!!

 感動が増えたらランクも増えるの!!

 食べ物に序列なんてつけられないの!!」


帝「なら最初から“三種”って設定にするな!! 竹生えるぞ!!!」


 かぐやは帝にしがみついた。


「帝……私を連れて逃げてください……!

 いえ、いっそのこと私と一緒に月と戦争しましょう!!」


(そうだ、戦争しよう。私の胃袋のために)


帝「無茶を言うな!!

 “いっそのこと”で国家戦争を始める姫があってたまるか!!」


「私の胃袋のために、宇宙の覇者になってぇぇぇ!!」


帝「無茶ぶりが過ぎる!!」


◆ 天が裂ける――迎えが来る


 かぐやの叫びがまだ部屋に反響しているその時だった。


 ふと、外の庭から白い光が差し込んだ。


 ス……ッ。


 庭の空が、薄紙を破くように静かに裂け、

 白い霧が、滝のようにゆっくりと流れ落ちてくる。


侍女A「て、天から……!」


侍女B「月の使者が、姫様を迎えに……!」


「やだあああああああああ!!!!」


 かぐやは畳にダイブし、

 畳の目に指をねじ込まんばかりの勢いでしがみついた。


(行きたくない行きたくない行きたくない!!)


「私は白米のある星と結婚するの!!

 味噌汁と漬物とお茶と添い遂げるの!!」


帝「今、焼き鮭を忘れたな!? いや、そこじゃない!!」


 白装束の使者たちが、白い霧の中からすっと現れる。


使者A「……かぐや姫様。

 迎えに参りました」


 その表情は能面のように一切の揺らぎがない。

 本来なら荘厳な場面のはずなのに、

 畳にめり込んでいるかぐやのせいで台無しである。


 かぐやは本気で畳の下に潜ろうとした。


「今日は不在って言ってぇぇぇ!!」


侍女A「この状況で居留守は無理ですわ!!」


 帝がかぐやの肩を押さえ、決断する。


帝「姫、せめて庭へ……!

 ここで抵抗したら部屋ごと持って行かれるぞ!!」


「外もイヤぁぁぁ!! 部屋もイヤぁぁぁ!!」


帝「イヤを重ねても現実は変わらん!!」


 侍女たちが顔を見合わせ、覚悟を決めた。


侍女B「行きますわよ皆さん! せーの……ッ!!」


「ぎゃーーーーーっ!!!」


 畳の縁を指で削りそうな勢いでしがみつくかぐやを、

 侍女たち三人がかりでずるずると引きずり出す。


 庭へ放り出されると、ひんやりとした夜気が肌を刺した。


 かぐやは転がるや否や、即座に地面へダイブする。


 ザシュッ!


 月光に照らされた土の匂いがふわりと鼻をくすぐる中、

 かぐやは両手両足を広げて地面に貼りついた。


「私はこの地面と結婚するの!!

 永劫にここで暮らすのぉぉ!!」


侍女B「姫様、それは儀式ではありません!!」


帝「儀式っぽい動きはやめなさい!!」


◆ 転移光、暴走


 月の使者が淡々と、しかしやけに忙しなく機器を操作する。


 ピ……ピピッ……


 庭に白光が走り、空気が震えた。

 竹の影が白く塗りつぶされ、

 夜が一瞬だけ、昼のように明るくなる。


使者A「転移光、起動します」


 白い光が、かぐやを包む。


 ……が、かぐやは地面にめり込む勢いでしがみついたままだ。


使者B「……出力を上げます」


帝「上げるな!!」


 バチバチィッ!!


 火花が走り、風もないのに空気がぐにゃりと揺れる。


使者A「先輩っ!! 波形が跳ねてます!!」


使者B「どれくらいだ!?」


使者A「竹の暴風林みたいにバッサバッサ揺れてます!!」


使者B「そんな状況、聞いたこともないわ!!」


使者C「座標乱れ!! 固定できません!!

 転移先が――消失!!」


使者D「お、俺、この仕事が終わったら彼女と結婚するんだ……!」


使者B「今フラグを立てるな!!」


帝「姫!! 離れろ!!」


「やだぁぁ!!

 まだ白米も味噌汁も漬物もお茶も焼き鮭も食べ足りないの!!

 五柱セットぉぉ!!」


帝「柱の数がブレるのをやめろぉぉ!!」


 光がさらに暴走し、

 月光とは違う、鋭くきしむような白光が空間そのものを切り裂いていく。


使者A「波形崩壊!!!」


◆ かぐや、消失


 バチィィィィン!!


 強烈な閃光が爆ぜた。


 光が晴れたとき――。


 そこには、もはやかぐやの姿はなかった。


 庭の土だけが、

 かぐやがしがみついていた形に、わずかに凹んで残っている。


◆ 月の使者、壊滅的パニック


使者A「姫……が……いない……」


使者B「転移先……不明……?」


 一瞬の静寂。


 そして――。


使者C「どうするんだこれぇぇぇ!!

 報告書に書けるかこんなの!!」


使者A「“姫を見失いました”って書いたら一族ごと終わりだぞ!!」


使者D「結婚の話、なかったことにされるぅぅ!!」


使者B「現実逃避してる場合か!! 上司が絶対許さない!!」


 帝は叫び散らかす使者たちをよそに、

 静かに、庭の凹んだ地面を見つめていた。


 夜風が吹き、

 かぐやの消えた空間を、そっとさらっていく。


 帝は、ふっと目を細めた。


帝「……姫。

 本当に……食いしん坊だな」


 その言葉を、

 澄んだ満月だけが静かに照らしていた。


 こうして、かぐや姫は――

 “食への執念”で転移光を暴走させ、

 異世界へと吹き飛ばされてしまったのである。


 物語は、ここから始まる。


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