第4話:仕込みに宿る料理の力
朝の静けさの中、「民宿 花笠」ではオヤジと麻衣子が各部屋や廊下の清掃に取りかかっていた。
その間、和永はひとり厨房に立ち、昼の弁当の仕込みに集中していた。
彼にとってこの時間は、料理人としての自分を取り戻す大切なひとときだった。
『イカ墨のリゾット』
正式なリゾットの手順とは異なるが、ここ民宿で出すにはこの方法が合っている──そう和永は思っていた。
米は研いでから一時間ほど置き、ふっくらと炊き上げる。
朝のうちに解凍しておいたスミイカを丁寧に掃除し、身、ゲソ、墨、腸、そして甲羅に分ける。
甲羅は後で別の用途に使うため、大切に取っておいた。
鍋にオリーブオイルを熱し、微塵切りにしたニンニクと玉葱を炒める。
香りが立ったところで白ワインを注ぎ、しっかりと煮詰める。
そこへ、先に仕込んでおいた魚の出汁を加え、さらに煮詰めて旨味を凝縮させる。
イカの身は二センチ角に、ゲソは一本ずつに切り分けて加え、火が通るまで炒める。
次にトマトソースを加えて煮込み、最後にイカ墨を投入。
鍋の中が漆黒に染まったところで火を止め、冷まして「イカ墨ソース」と名付けた。
炊き上がったご飯にこのソースを混ぜ合わせれば、イカ墨のリゾットの完成だ。
弁当箱のご飯スペースに、艶やかな黒が美しく盛り付けられていく。
『カボチャのスープ』
カボチャは皮を剥き、小さなサイコロ状にカット。
鍋にバターとベーリーフを入れ、スライスした玉葱を炒める。
香りが立ったらカボチャを加え、さらに炒めてからチキンブイヨンを注ぎ、柔らかくなるまで煮る。
牛乳を加えて再び火にかけ、沸騰したら少量ずつミキサーにかけて滑らかにする。
再び鍋に戻し、塩で味を調えたら、冷ましてカップに注ぐ。
優しい甘みとまろやかさが、口の中に広がる一品だ。
『キスのフリッター カレー風味』
解凍しておいたキスの身は、ペーパータオルで丁寧に水気を拭き取る。
卵は卵白と卵黄に分け、卵白は角が立つまで泡立てる。
炭酸水に漉した薄力粉、卵黄、塩を加えて混ぜ、そこに泡立てた卵白を合わせて衣を作る。
揚げ油を熱し、まずは一センチ角に切った食パン──クルトンを先に揚げる。
魚の匂いが移らないようにするための、和永なりの工夫だ。
続いて、キスの身に塩を振り、強力粉をまぶして衣をつけ、カラリと揚げる。
揚がったフリッターは半分にカットし、塩とカレー粉をまぶして弁当箱の一角に盛り付ける。
『生春菊のサラダ ポーチドエッグ クルトン・ベーコンソテー添え』
醤油ベースのドレッシングを仕込み、冷蔵庫で冷やしておく。
ベーコンは一センチ角に切り、フライパンでカリカリに炒めて油を切る。
畑から摘んできた春菊は柔らかい部分だけを選び、水洗いして五センチほどにカット。
次亜塩素酸ナトリウム希釈液に漬け込み、最後に水にさらしてシャキッとさせた後、よく水を切って冷蔵庫へ。
浅い鍋に湯を沸かし、酢と塩を加えて卵を茹でる。
本来なら黄身がとろりとしたミディアムレアが理想だが、弁当用なのでしっかり火を通す。
冷ましたポーチドエッグを弁当箱に入れ、その上に春菊を盛り、クルトンとベーコンを散らす。
仕上げに、蓋の上に貼るメニューカードを一枚ずつ丁寧にテープで貼っていく。
麻衣子が作成したそのカードには、写真とともにこう記されていた。
◇◆◇
『本日のお弁当のMENU』
・カボチャのポタージュスープ
・チキンカチャトラ バジル風味 トマトソース
・キスのフリッター カレー風味
・生春菊のサラダ ポーチドエッグ クルトン・カリカリベーコン添え
(サラダはポーチドエッグを崩して春菊とよく混ぜてからお召し上がりください)
- イカ墨のリゾット
※このお弁当は生ものが含まれておりますので、恐れ入りますが三十分以内にお召し上がりください。
民宿 花笠 店主敬白
和永はホテルオオクラの時代の麻衣子と一緒に仕事をしていることが不思議でならなかったし、彼女はその時代でも仕事のできる女性だった。
◇◆◇
完成した弁当は、オヤジが観光協会へと配達してくれた。
和永の料理が、島の人々の昼に小さな彩りを添える。
厨房には、まだ次の仕込みの香りが漂っていた。
――つづく。
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