第13話 エリスの一日

 私の名はエリス。

 はるか東方の大陸にある帝国絹の国セリカの出身らしい。私の両親が奴隷としてこの大陸に連れてこられた。どのような経緯があって、連れてこられたかは私は知らない。

 私が東方大陸出身であるのはこの黒髪と黒い瞳、凹凸が少ない顔が証明している。

 私の記憶は過去になるほどぼやけている。

 エリスという名も教団につけられたもので、元の名前は覚えていない。

 レオン様の上官であるクラリスがいうには洗脳に使われた薬物が原因だという。

 年齢も良く分からない。

 わからないので見た目が同じぐらいというので、レオン様によってダリア嬢と同じ一八歳となった。

 私はレオン様の恩情により、許されて仕えることになった。


 レオン様に仕えるようになってひと月が過ぎた。

 雨季の終わりがみえかけたとある暑いの日のことである。

 私は市場に出かけていた。

 洗脳から解き放たれたものの、ひどい後遺症に悩まされていた。

 耐え難い乾きに襲われ、ねむることすらままならなかった。

 王都の市場にある薬屋には私が望むものがあると聞きつけたので、そこに出かけた。

 その店は作りもののあまったるい匂いに満ちていた。嗅いだだけで悩まされていた乾きと疼きが楽になる気がした。

 ここなら私が求める薬がある。

 私は店主にかつて飲まされていた薬の特徴を言う。

「あれはなかなか高価なものですが、まああなたならすぐに稼げるでしょう」

 店主は私の胸を見て、にやにやと気味の悪い笑いを浮かべる。

 何でも良い、私はその薬がほしかった。

 店主は棚からいろいろな薬草や粉薬を取り出し、それらを混ぜて紙袋につつんだ。

 それを店主から受け取ろうとした私の手を誰かが止めた。

「そいつを使ったら旦那が悲しむぜ」

 私の手を止めたのはヴィクトであった。

 いつもへらへらと笑っていヴィクトが珍しく真剣な顔をしていた。


 私はヴィクトに手を引かれて、店を出た。

 ヴィクトは私を王都一の商人の屋敷に連れて行った。下手な貴族の屋敷より豪華な屋敷であった。

 そこの一室に私は連れて行かれた。

「ヴィクトさん、よく止めてくれました」

 そのほっそりとした美しい女性はそう言った。

 前にレオン様に紹介されたことがある。

 たしかマルクス商会の一人娘シシリアだ。

「エリスさん、どうです気晴らしに本でも読んでみては?」

 シシリアは私を図書室に連れて行った。

 ヴィクトは任せたぜと言い、屋敷を出て行った。

 本を読んでこの乾きが収まるのかと私は半身半疑であった。

 でもレオン様の信用するシシリアの言う事だから、とりあえず聞いてみることにした。

 シシリアは私にいろいろな本を勧めた。

 絹の国セリカの虎を素手で殴り殺しだ英雄の物語。砂漠の商人が何度も遭難しながら冒険を繰り返す物語。魔女に愛された騎士の物語などなどだ。

 どれも面白かったが渇きを癒すほどではなかった。

 やはり本を読んだだけでこの渇きと疼きを抑えることなんてできないはしない。

 そう思いながら、私はとある本を手にとった。

 それは遠い異国の老騎士と庭師の少年の物語だった。老人と少年のお互いを思う愛の物語であった。

 私はそれを時間を忘れて読みふけった。

 時刻は夕刻になっていた。

 私は時間を忘れて、本を読みふけっていたのだ。

「どうやらその本が気にいったようですね。同じようなものがいくつかあるので差し上げます。それらは私の趣味ではありませんので遠慮なくお持ち帰りください」

 私はシシリアに本を数冊もらい受けた。

 シシリアはなんと気前が良いのだ。

 聖女と呼ばれる意味が理解できた。

 これらの男性と男性の愛の物語をえがいた人物はフェルゼン公国のイザベラという女性であった。


「エリスさん、お腹が空きませんか?」

 シシリアに私はそう訊かれた。 

 たしかに空腹であった。

 私はシシリアに連れられて王都にある酒場「赤兎亭」に連れて行かれた。

 赤兎亭の女女将レイラが私たちを出迎えてくれた。

 レイラは桃色がかった金髪の美しい女性であった。どこか貴族めいた高貴さを感じる。

 だけどレイラの口調は親しみやすく、ぐけたものだった。

「ほら遠慮なくお食べ」

 レイラが酒と料理を次々ともってくる。

 テーブルは酒と料理であふれた。

 酒の飲めない私は果実水を飲むことにした。

 薬物依存の強い私は酒を飲まないほうがいいとクラリスに言われていた。

「それでは遠慮なく」

 気が付かとヴィクトが隣に座っていた。

 元暗殺者である私に気づかせないとは。

 私はこのヘラヘラ笑う男を見直した。

 ヴィクトはダリア嬢を連れてきていた。

「やっぱりここにいましたのね」

 にこにことダリア嬢は可愛らしい笑みを浮かべる。この笑みを見て、レオン様が好きになるはずだと私は納得した。

 四人で楽しく飲食いしていた私たちに酔っぱらいがからんできた。

 三人も若い女がいるのだから、こういうこともあるだろう。

 私が懐の短剣に手を伸ばしかけたところ、またしてもヴィクトに止められた。

「これから面白いものが見られる。そいつを止めるのは野暮と言うものだぜ」

 ヴィクトは私にだけ聞こえる声でそう言った。


「なあ嬢ちゃんたち、俺たちといいことしようぜ」

 酔っぱらいは五人ほどいた。その内の頭に毛髪がない男がそう言った。

「あらあら、いいですよ。その前にどうでしょうが。私との見比べしてみませんが。もしあなたがたが勝てたら私たちを好きにしてかまいません」

 ダリアが酔っぱらいの男たちに言う。

 シシリアはダリアの言葉を聞き、くすくすと笑っている。

 男たちはあからさまにいやらしい目で私たちを見る。

 特に私の胸を舐め回すように見られたのが腹に立つ。

 それにしてもダリア嬢はなんてことを言い出すのだ。そんなの勝てっこないに決まってるじゃないか。

 私はもしもの時に備えて、こいつらを皆殺しにする算段をたてる。

「そいつは無駄になるぜ」

 ヴィクトは私の心を読んだように言う。


 結果的にはヴィクトの言う通りになった。

 ダリアは大の男五人を真正面から迎え討ち、すべて撃破した。

 テーブルの下には空になった木の樽が置かれている。

 五人の男たちは酔いつぶれて、床に寝転がっている。床は男たちの吐いた汚物で汚れていた。

「レイラさん、お代はこの人たちにつけてもらえるかしら」

 ダリア嬢は平然とした顔でエール酒を飲んでいる。

「あいよ」

 レイラは慣れた手つきで男たちかの懐から財布を取り出し、銀貨を抜きとった。

 私は充満した酒の匂いで気分が悪くなりそうになった。

「エリス、覚えておきな。あれが酒樽潰しのダリアだ。あんな可愛らしい顔をして、ああやって絡んできた男たちを潰すのを趣味にしているんだ」

 ヴィクトは青ざめた顔で私に言った。

 私はこの日、本当の英雄は誰かということを知った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る